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我らの生活 2010伊 ダニエル・ルケッティ
最愛の妻が三人目の子供を産み落とし亡くなります。
主人公は子供達と失った大きな空白を埋めることができるか。
という物語です。
同時にイタリア社会のひずみが盛り込まれています。
映画は出産前の家族のうらやましい程の蜜生活と、
イタリアではあたりまえでしょうか、日曜日に親戚で楽しく過ごすシーンが描かれます。
その後、妻の死、
その前には、物語のキーになる、主人公の不法移民の事故死の目撃があります。
主人公は、妻の死を乗り越えるための目標を金儲けに定めます。
このあたりの価値観が中々しっくりときませんが、物語の核心にリンクしています。
主人公は下請け建設業で、不法移民を不法雇用しています。
もちろん、不法移民は報酬を低く抑えることができますし、そもそもそれをしなければ、ペイできない金額での落札のようで、親会社の思惑がチラチラみえます。
しかし不法移民との仕事は上手く行かず、主人公も追い込まれれば(仕事の遅れと欠陥建設になる)、それにより報酬を受け取れない不法移民も追い込まれます。
主人公の事故の隠蔽も、自分の保身と不法移民の雇用、仕事の継続のための無言の社会同意の結果です。
追い込まれた主人公を救うのが家族です。
また、主人公が家族の応援で挽回した具体的な方法は、
不法移民ではなく、イタリア人を雇用することです。
イタリア人の雇用により、(正確にはこれも不法契約です)
窮地を脱します。金はなくなりましたが。
そこで、金儲けに走る目標が妻を失った喪失を埋める物ではないと気が付き、
子供達と本当の再生に向かう。というところでラストです。
イタリアの家族像とイタリア社会の矛盾を描いた映画で、
なにも起こっていない表面の下には、
人が故意に生んでいる格差の実態があることを示します。
前半の家族愛、一族愛との落差の大きさにそこを受け止めずにはいられません。