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早池峰の賦 1982日 羽田澄子
1982年当時でも、奇跡的に受け継がれている、北上山地の二つの山村、
大償と岳の神楽を中心に、両村の姿それはすなわち日本の農村の歴史とそこでの暮らしぶりを映し記録したドキュメンタリーです。
神楽が中心ですが、それが連綿と700年もの間受け継がれていく背景は、この村が置かれている厳しい気象と田畑に期待できない状況があります。故に神楽が中心の生活になるのですが、それを続けるのは山村の農業、山ならではの農産加工が本来の村人達の営みですが、それがすべて神楽にも通じていることも描かれます。
自前ですべてを調達します。神楽に必要なもの一式の原料からそれを元に加工してそろえます。楽器も舞いに使う道具も。
そして、当然村人が囃子も舞いも行いますが、それも仕事とは違う場面で親から子へ伝えられます。そして、個々人の家と、それを束ねる村社会のふたつから機能されています。
ではどうして両村で忠実に神楽が受け継がれたのか。
私の推測でしかありませんが、やはり経済的に恵まれてない環境でしょう。
つい最近まで田んぼが開拓されていない状況や、クルマと電気がないほんの昔、馬や牛と供に一次産業に従事していたこと(たぶん自給の農産物と農産加工品を生産し、現金収入の特産品はほとんどなかった、けれどそもそも現金収入はかつては今ほど必要としない生活だったこと窺えます)、その中で、長い冬の活用でした。準備期間が設けることと、近隣からの出張の要望で長い興行(つらいことのようでした)が行えるからです。
そして、近隣農村もそれほど経済的に余力があるわけでなく、それに加え、神楽は貴重な娯楽であり、神への畏敬の想いは現代とは全然違う感覚だったわけで、両村の神楽は歓迎されたのでしょう。
そしてもっと推測の域になりますが、近隣も神楽のような伝統芸能がないことはなかったはずですが、ここにも経済の力が働き、近隣農村は伝統芸能よりも収入源になることが主になり、その埋め合わせで両村の神楽を迎えたのでしょう。
この仮説は、岳の村人の南部葉という葉巻タバコの生産の描写から強く感じました。
約1年がかりの農産加工品は、多大な村人の労力で成立ちます。その見返りとなる現金収入は微々たるものということは容易に推測できましたが、作品の最後にその金額まで明示されましたが、その金額は私の予測以上に少ないものでした。
それが当時まだ続けられていることが仮説の確信です。
それはおいて置いてこのドキュメンタリーは、そんなけっして裕福でない山村の長い生活を、今の姿から想像させてくれる画をたくさんみせてくれました。
そこには、ほんの50年で様変わりした経済を追った日本の姿の前の、普遍に続けられてきた生き方を頭に描くことができるものでした。
茅葺の家が(第三者の私がみれば)残念にも壊される画、しかし、村の人達にとっては、もう機能できないほど、生活が変わったのでしょう。
けれど、普遍な生き様の精神はかろうじて残っていること、それを遺す努力も図られていることに感動でした。
でも、1982年当時でもあまりに日本は変わっていました。良い悪いを通り越して、そして現在、あの二つの村があれから、この30年間手を緩めることなく変化した日本の中でどうなっているのか、もちろん神楽も含めて、気になってしまいます。
中世から続く神楽が機能していた村だから、その暮らしぶりは普遍であるということを、冒頭とラストのナレーションでは語っています。
もっともっと長い時間軸で振り返らないとその答えはでません。
だからその意味でもこの映画の意義を感じます。