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眠れる美女 2012伊/仏 マルコ・ベロッキオ
イタリア国内を二分したというエルアーナ・エングラーロの尊厳死問題を下敷きにして、
それに通じる三つの話が並行して進みます。
尊厳死に直面したそれぞれの立場、考えの人達の内面を見せることで、尊厳死そのものと、身近な人達との真のかかわりとは、を考えさせる骨太な映画です。
1、 エルアーナの尊厳死を認めない法案を通す党に即するベッファルディ議員は、過去に妻を尊厳死させた体験があります。敬虔なクリスチャンの娘マリアは、もちろん尊厳死反対でそれを許せません。また党の方針に従えないベッファルディ自身も自分の身の振り方に悩んでいます。
2、 薬物中毒で見も心もボロボロな女ロッサは自殺常習犯です。その日もひったくりや盗みで食いつないでいたのですが、ふとしたことからかかわり合いになったパッリド医師の前で手首を切ります。パッリドは咄嗟にロッサを助け治療します。命は取り留めたものの、ロッサはパッリドの前で死のうとすることを繰り返します。
3、 大女優のヴィナマドレには植物状態の娘ローザがいます。女優の仕事を控えてローザに献身の日々です。奇跡を信じて神への祈りも欠かせません。それを横目で見ている俳優志望のローザの兄は、母の輝く姿が封印されているのはローザがいるからだと、母を自由にしてやりたい気持ちが日々高まっています。
三つの話が織り込まれていますが、では尊厳死を認めるか認めないかということへの言及はありません。もちろんこの問題は答えを出すことができないからですが。それよりも尊厳死の問題に直面した人達が自分の気持ちにどう向き合うからを見ることで、身近な人にいかに自分が関わっているかを強く感じました。
なにもできない植物状態でも、その人が与えるものは大きなものがあります。
1、 では妻の命を絶つ夫ですが、こんな切ない選択は愛していなければできません。そして父の真意を汲み取ることができたマリアは父の愛を感じることができます。
2、 では、“死ぬ自由”を主張する女に対して、“救う自由”を医者が高らかに宣言します。そしてそれが人間愛なのだと。そんな男(医者)が向き合ったことで女が変化します。人のために生きることに気づきます。
3、 では息子は勝手に母が妹に縛られていると思っています。だから母を解き放つために妹の生命維持装置を停めようとまでします。娘に尽くすことが自分が生きることとしているのが母です。それに対して全く、微塵も乱れないように見えますが、息子の懸念も母の内面にはあります。娘を愛する気持ちと自分を大事にする気持ちは相反することではないけれど、人(母)は永久に聖女でいることはできません。
三つの話の中には正解やこれでよかったとかダメだったとかはありません。
人の気持ちに複雑さが描かれるだけです。
そして時間は無常に経っていくことも情け容赦なく人は死に向かっていることも匂わせます。
今自分が生きていることで、周りに対してどんな影響を及ぼしているのか、
それと同時に、大事な人達から何を貰っているのか、
鑑賞後に考えてしまう映画でした。