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自由の代償 1975西独 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
主人公フランツが身ぐるみ剥がされることは展開上わかってしまうけれど、
これは大金を失う体験までに留めて欲しい。相手方のオイゲン達に腹立たしいが、彼が見た悪い夢、高い授業料だったで終わって欲しいと願いながら鑑賞しました。
階級社会が生む偏見(同性愛に対する偏見にも抵抗しているように見えました)を問題にしていてまた、搾取であっても、知りえる者が得をするという、それが資本主義のルールとも言いたいようです。
フランツとオイゲンはじめ同性愛者(男同士)が多く登場人物します。
フランツは見世物小屋の芸人でしたが、小屋が閉鎖されて金に困っていたのですが、宝くじで50万マルクを当てます。
その金が物を言って、上流社会のオイゲンと恋人になれて、同棲もできます。
オイゲンは製本会社の経営者の二代目で、社会的地位もあるし、教養もあり芸術にも通じている人物ですが、肝心の会社は火の車です。
そこに登場したのが50万マルクを持ったフランツで、彼はオイゲンを愛するし、上流社会と経営者というブランドに憧れて、オイゲンとその会社に次々と貢いてしまいます。
フランツは金の成る木ですからオイゲンは上流社会の、社会的地位があるオイゲンの家族の一員として表向きは対等に扱いますが、芸人上がりで粗野で無知無教養のフランツを真には軽蔑しています。
そして、知らないことを出汁にして、合法的な搾取と、愛を餌にした搾取をしていきます。
愛されているのは形だけということを認めたくないフランツですが、最終的には心が通じていないことに得心しますが、後の祭りです。
そしてフランツは絶望から、ラストの悲劇の死となります。
フランツにも隙はありました。
でも人らしさがオイゲンにあれば、違う展開にとも思うし、腹立たしいのは山々です。
けれど、オイゲンが持つあの、人を食い物にすることに何も悪くも感じないことは、階級の違いという生まれてこの方ずっと抱いていたオイゲンの当たり前の感覚でしかないのかもしれません。
また、無知無能が経営者を目指せば用の中から搾取されるのは資本主義の常識ではあります。
だから、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督は、敢えて悲劇ではない当たり前だという雰囲気でこの物語を描写していたように思います。
それは同性愛に対する描写も同じで、敢えてホモセクシャルが特別なことではないという感じの映画にもなっていました。
でも理不尽であることは間違いありません。(もちろん同性愛のことではありません)
そしてラストのエピソードにも二つの示唆があり、それはこの物語の真意の普遍性の追い討ちです。
ひとつは、早朝の駅で死んでいるフランツを見つけた二人の少年が、おいはぎをするのです。
もうひとつは、フランツの友人二人がフランツの遺体と出会います。二人は、煩わしい問題に係わりたくないということで見てみぬふりです。しかもそのうち一人はフランツの元彼です。(もう一人はフランツをオイゲンに紹介した男)
そしてその元彼ももうひとりの男の言うことを聞いてフランツに二の舞になるような感じを醸しています。
少年二人は、フランツの友人が来たところでフランツから離れますが、友人達がいなくなると、おいはぎを再開するという念を入れたシーン展開で映画を終えます。
最後まで、“これでもか”と否定したくなる人となりをみせる映画でした。