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海と毒薬 1986日 熊井啓
人間の本質に言及しています。
人間はなんと残酷か、そして脆いか、そして良心とは何かを問うてきます。観る者は自分が主人公二人としたら、どんな罪を感じるか、仕方がない状況と誤って成長した社会構造を非難する側に回るか?
鑑賞後の困惑が止まりません。
昭和20年春の九州の大学病院で行われた米兵捕虜の生体解剖が主の映画です。
このクライマックスに至るまでも秀逸で、病院内の力関係の構図と医療ミスの隠蔽工作を描きつつ、また展開は生体解剖の関係者の米軍の尋問からの回想ということになっていることから、登場人物の人となりと当時の様子が掘り下げられ、怖ろしいことに着手してしまう人間像が丁寧に再現されています。
主人公は医学研究生の勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)です。
勝呂は優しい性格から、生体解剖に関わってしまった自分を咎めます。
リアリストである戸田は、己の行動は、戦時であること、軍と院内からの抗えない力で強要されたことだとし、咎めを自分の心から締め出そうとします。
けれど二人とも心の奥では良心が苛まられることにより救いを求めています。
米軍からの断ろうとすれば断れた生体解剖への参加を何故承諾したか?の尋問に、勝呂は「心も体も疲れていて、もう何も考えられなくなっていた、考えてもしょうがない、自分の力ではどうにもならない状況だった」と答えます。
戸田は米軍からのあなたには良心がないのか?の尋問に対して「良心が麻痺しているとは考えたこともない」と答え、多くの人の死と直面することで、人の死や苦しみに無感動になっていたと言います。
なぜもっと己の良心は自分を責めないのか?戸田は考えます。
生体解剖に参加して十分にうろたえている勝呂も同じことを感じます。
人は自己都合で物事を解釈し、自我を守ろうとします。
でも心が痛むとき、心が苦しむ、嫌らしい言い方をすれば自分で心を苦しめることで、良心を責める結果として自我を救い立て直すのです。
自ら行ってしまったことがどんなに非道で残酷なことでも、行為後の心の動きは同じです。どこまでも自我が破壊されないようにするのが人の本能です。
二人はずっと苦しむことも間違いありません。
生体解剖に携わったのは自らの選択であった事実も認識しています。それは誤魔化せないからです。
でも自分を守るのが人間の本質です。
勝呂と戸田の行動とその動機と、その後の心の動きは、私たちの日常と同じです。
異常な状況だけが違う点です。
そして、その異常な状況は、人が良かれとして構築した社会構造が、そのシステムが人の行き過ぎる欲望でその機能を果たせなくなって行き着いたものです。
人が作った状況で起こす人の行動は繰り返しますが私たちの日常です。
だから今、自分が生きている場も大して異状ではない異状だと思えてきます。
戸田は尋問でこんなことを言います。
「僕にとって良心の呵責とは、他人の眼、社会の罰に対する恐怖だけです。偶然の結果かも知れませんが、僕がやったことはいつも、罰を受けることはなく、社会の非難を浴びることもありませんでしたよ」
私の今を語っています。