いもたつLife
フリーソロ 2018米 エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ ジミー・チン
現在、世界一のフリーソロのクライマー、アレックスの誰も成しえなかった、1000m近い断崖絶壁を完登したシーンをはじめ、彼の人となりのドキュメンタリーです。
冒頭に誰でもすぐに彼のやっていることが解る、怖ろしい登頂映像があり、もうそこからして、椅子に座っていられなくなります。
彼が成功したことを知っているのに、正視できないほどの映像ですから、この映画を作っていた現場の監督や、カメラマンが目をそらす場面があるのですが、とても観ていられないでしょう。
ひとつのミスは即=死というのがフリーソロ、彼はこの完登の準備を8年続けていたようです。
スタートからゴールまでの道のりを、体にしみこませて、反射的に体が反応するまで、そして100%成功するまで、自分が納得できるようになるまで登りません。当たり前ですが。
でも、登りきる過程で、たった一つ、ほんの少しでも描いた絵と違う行いがあれば、死です。
彼の先達ともいえる、世界レベルのクライマーが実際に何人も亡くなっていることも知らされます。
でもアレックスは、誰も成功できなかった断崖を制覇しました。
ではアレックスと、亡くなったクライマー達は何が違うのか?
アレックスも同じで、最後は落ちて死ぬのか。
それは解りませんが、現段階では、アレックスは誰よりも準備に入念だったし、それまで登らない男なのでしょう。
繰り返しますが、成功したとわかっていても、観ていられない映像は、決して登っているアレックスの邪魔(命取り)をしないように配慮して尚且つ、臨場を伝えてくれました。作り手の熱意も感じます。
【いもたつLife】
【spac演劇】寿歌 演出:宮城聰
世界の最期に人々はどうするかを描いた映画で出色と感じているのは、スタンリー・クレイマー監督「渚にて」と、ラース・フォン・トリアー監督「メランコリア」です。
最期の覚悟が描かれます。
この「寿歌」も同じシチュエーションですが、味付けは非常に異なります。(「渚にて」と「メランコリア」もテイストは異なりますが)
旅芸人のゲサクとキョウコが瓦礫の中で彷徨っているのですが、本人達は「ちょっとそこまで」行こうとしています。その途中途中では芸を披露します。誰もいないのにです。
もう一人、突然ヤスオが登場します。二人が産み出した希望のような存在です。
二人はとても明るいというか軽いのですが、その二人が生み出したヤスオも二人と同調します。
今度は三人で、くだらない漫才、でたらめな歌と踊りをたどり着いた街で、人がいなくても披露します。
何故二人は絶望していないのか?この劇を観ると考えます。
「渚にて」も「メランコリア」も絶望後の人を描いていますが、今回「寿歌」のゲサクとキョウコも絶望後の姿なんだと解りました。
覚悟を決めた人々の姿を描くのはどの作品も同じです。
「渚にて」は崇高な人を描き、「メランコリア」は覚悟とはと、最期を突きつけられた人の心情と逆転を描いていました。
そしてこの「寿歌」は、世界の最期であっても日常を貫くことの強さと、でも結局はこれしかできない人間の小ささが描かれていました。
40年前にできたこの「寿歌」は今でこそ世の中がこの戯曲に付いてきたと、昨年の観劇で感じましたが、それに加えて下記のことも気が付きました。
人類は世界の最期とは言わないまでも、どうしようもならない事をこれまでもたくさん経験していて、その境地を描いているのが、「寿歌」であり「渚にて」「メランコリア」です。
そしてこの「寿歌」は底抜けに明るい人類の最期で、人はこういう生き方ができるのだと勇気づけられます。
【いもたつLife】
文楽 【静岡グランシップ】
「ひらかな盛衰記」~松右衛門内の段 ~逆櫓の段
「日高川入相花王」~渡し場の段
太夫、三味線、人形の文楽を久しぶりに観劇しました。
字幕があって助かるのですが、基本は日本語で、その抑揚や聞かせどころは、太夫と三味線の合わせと人形の表現が言わずもがなで語ってくれます。
今回は、人の情の深さを感じたのが印象です。
「ひらかな盛衰記」では親の情、そしてその情を切り離さなければならないことも多いのが世の常であり、人は与えられた役割で息ねばならないのは昔も今も変わりません。
そんなやりきれなさは、「日高川入相花王」でより強く語られます。
人形の機微に注目しての観劇でしたが、太夫と三味線とが一体となっているのが文楽だと、改めて強く感じました。
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柳家小三治 柳家三三 親子会 【清水マリナート】
親子会というよりも、小三治独演会でした。
小三治師匠は仲入り前とトリです。
どちらもたっぷりの枕で、師匠独特で、高座に上がるまで決めていないしゃべりはいつもなのですが、今回は哲学を感じました。
仲入り前は60年以上前の清水の想い出から入り、その頃からの友人の話になり、その友人の最近の様子から、上手く「長短」です。
この噺もライブでその真骨頂を味わえます。
トリでの枕は、「長短」の流れを進め、やはり師匠の若い頃の話です。三代目小さんのエピソードや五代目小さんとのやりとりも交えて、人生観を語ります。死生観と言っても良いです。
多分時間がかなりオーバーしたのでしょう、けれど、最後は短くても爆笑になる「小言念仏」で締めてくれました。
素晴らしかったです。
開口一番は前座の小ごとさんの「たらちね」でした。
親子会ですが、三三師匠は仲入り後に短い枕と「真田小僧」でした。小三治師匠の今日の雰囲気、人生観を語ることを察したかのように控えめ、でも、しっかりとした芸を披露してくれました。
「清水にまた来る」と小三治師匠の言葉が本当に適って欲しいと思いながら会場を後にしました。
【いもたつLife】
古今亭志ん朝 二朝会 CDブック 【河出書房新社】
1969年7月から1974年12月まで、全29回を数えた、
春風亭柳朝 古今亭志ん朝の会、通称「二朝会」の志ん朝師匠の高座がCD16枚で31演目と、当時の様子を実際の高座を観た方々の語りとともに封じられているCDブックです。
二人の師匠の人となりが知れる語りと、若き志ん朝の高座、貴重な音源を含めて聴くことができます。
二人とももちろん好きな噺家です。そして志ん朝師匠の完成される過程を垣間見ることができるこのCDは宝物になりました。
【いもたつLife】
印象派への旅【静岡市美術館】
英国のウィリアム・バレル(1861~1958)のコレクションはグラスゴー市に寄贈され、彼の遺言から門外不出となっていました。
今回は、展示されていた美術館の改装のために、初来日とのこと。本来なら現地でしか鑑賞できない作品です。
「印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション」と銘打っての展示会です。
この展示会は、印象派“への”旅の“への”がキーで、写実主義の作品と印象派の作品が転機になる時代前後の作品が展示されています。
写実の絵にうなりながらも、印象派の絵を前にすると、やはり作家のその時の境遇や思想を想います。
バレルがコレクションしていた当時は、産業革命での急速な工業化で大気汚染がひどかったことから、寄贈によせての条件として、美術館は郊外にとしたそうです。
そして、政情が不安な世の中のために、国外への移送は禁止といった条件も付けられていたそうです。
バレルが後世に、このままで遺したい気持ちの現れです。
多分、バレルは大金持ちだったことでしょうけれど、金の使い道を知っていたということでしょうか、また、英国紳士の嗜みでしょうか。
鑑賞後は、バレル・コレクションがスコットランドのグラスゴーにあることにちなんで、スコッチ・ウィスキーの講座があり参加しました。
それもとても楽しかったです。
【いもたつLife】
咲き定まりて 市川雷蔵を旅する 清野恵理子(著)
映画を観ていると、男優でも女優でも、「この人は不世出だ」という人に出合います。
その素晴らしい面々の中でも、個人的に日本の男優のno.1だと確信しているのが市川雷蔵で、もうこの人を超える人は出て来ないだろうとまで思っています。
この本で紹介されている映画で観ているものの中で、印象に残っている映画の章では、大きく頷いたり、涙が溢れてきたりしました。
そして、あれだけの演者だった市川雷蔵を今まで以上に知ることもできました。
著者はじめ多くの人に愛されていることもより感じ、題名通り“市川雷蔵を旅する”ことができました。
著者に感謝申し上げます。
【いもたつLife】
メアリー・エインズワース 浮世絵コレクション
展示点数も多く、内容も充実している展覧会でした。
浮世絵の技術進歩や当時の流行りを時系列で追えるので、その歴史も知る事ができ、一人の作家の複数展示により個性を窺うこともできます。(写楽だけは活動期間が10ヶ月だったからか、1点のみでした)
良く知られている風景画は、浮世絵の歴史のなかでは本当に後期だったことも知りました。
その風景画も、北斎の作品は一芸術家という印象から、国芳になると映像作家という印象になり、広重になると、チームで映画を作っているように感じます。
小津安二郎のカットや溝口健二の長回しを想像させます。
見応えあり、見どころたくさんでした。
【いもたつLife】
第18回 柳家家禄 独演会
恒例の静岡江崎ホールでの独演会です。
毎回家禄師匠のお弟子さんが一人お付で、一席披露されますが、これも楽しみにしています。
今年は10人いる中の三番弟子の緑君さんでした。演目は「祇園祭」で、枕からの引き込みも含めてとても上手。真打が近い二つ目さんでした。
師匠の一席目は「粗忽の使者」。師匠の師匠の小さんの「粗忽の使者」もよく音で聞きますが、ひけをとらない出来です。以前やはりとても好きな小さんの「猫の災難」の家禄師匠版を聞いた時も同じ印象でした。
仲入り後は「子別れ」です。たっぷり、一時間近くも熱演でした。
もちろんどちらの枕も面白く、今回も堪能しました。
【いもたつLife】
【spac演劇】イナバとナホバの白兎 演出:宮城聰
この作品は、フランス国立ケ・ブランリー美術館の開館10周年の記念公演のために、SPACに創作依頼されて出来たものです。2016年に駿府城公園の野外劇場でお披露目があり、その後パリのフランス国立ケ・ブランリー美術館クロード・レヴィ=ストロース劇場で上演されまました。
創作のきっかけは、レヴィ=ストロースの最後の著作「月の裏側」に出てくる仮説です。
イナバの白兎を含めた日本の神話と、アメリカ先住民ナバホ族の神話とは、所々似ている、それは、アジアのどこかでその元になる神話があり、日本に伝わり、その後北米に伝わったのではないか?今はまだその元の神話は発見されてはいないが。
ということが発端で、ならば、日本の神話とナバホ族の神話から、逆にその元になる神話を想像して創造してみようというのがこの「イナバとナホバの白兎」です。
今年はレヴィ=ストロース没後10年ということで、もう一度クロード・レヴィ=ストロース劇場で再演となり、そのためにもう一度練り直されて今度は屋外ではなく、屋内の場謡芸術劇場で、パリ凱旋に先駆けての上演でした。
2016年よりも迫力が増しているのが印象的でした。屋外よりも近いために臨場感もあります。
3部構成で、「イナバの白兎」「ナバホの神話」そして「想像創造の物語」に入るのですが、細工は流々仕上げを御覧じろとばかりに、第3部の大団円は場内が一体になります。
人類が誕生し、狩猟を覚え、農耕を知り、争いもあり、神(太陽)を畏敬し、辿りついたのは、神に感謝することと、一人では生きていけないことの深い認識であることを謳い上げている壮大さを感じました。
そんな人の営みは貴くて、それを祝う祝祭の劇です。
素晴らしかったです。
【いもたつLife】