贅沢な落語会
柳家花緑師匠は、節分と立春は毎年静岡に来ます。
平沢観音で豆まきをしにです。
この行事は、師匠の師匠の小さん師匠から続いているそうです。
立春は浮月楼で落語会です。
これが豪華。
落語は、
弟子の前座の緑助さんの元犬、
続いて同じく弟子の二つ目の圭花さんの穴どろ、
そして真打 花緑師匠の井戸の茶碗です。
記念撮影して、師匠を囲っての食事会です。
その後福引きまでありました。
【いもたつLife】
柳家花緑師匠は、節分と立春は毎年静岡に来ます。
平沢観音で豆まきをしにです。
この行事は、師匠の師匠の小さん師匠から続いているそうです。
立春は浮月楼で落語会です。
これが豪華。
落語は、
弟子の前座の緑助さんの元犬、
続いて同じく弟子の二つ目の圭花さんの穴どろ、
そして真打 花緑師匠の井戸の茶碗です。
記念撮影して、師匠を囲っての食事会です。
その後福引きまでありました。
【いもたつLife】
末摘花が光源氏を待って待って待つ、その物語を喜劇仕立てにしてあります。可笑しいのですが、不憫です。でも人生は自己責任を訴えてきます。
可笑しいのは末摘花に仕える侍女たちです。もう経済的に行き詰っている没落貴族の末摘花をいつどうやって見切りを付けるかから始まり、でも義理堅い気持ちもあり、でももう立ち行かないのは見えていてということで、ドタバタしながら、末摘花の前では建前を、侍女同士では本音が語られます。
でも侍女も色々、金の切れ目が縁の切れ目から、あくまで尽くそうとる者までいます。
そして、末摘花の叔母が貴族でない成り上がりということも面白い、古今東西、名誉と金の関係は普遍です。
末摘花は、一途に何年も光源氏を待つのですが、経済的に困窮していることはかなりお構いなしの天然キャラです。
天然キャラは慕われるのか、困窮している彼女に慕う侍女という感じです。
でももうどうしようもなくなっていきます。
叔母は末摘花に身辺を清算し、待つのをやめるように再三再四口酸っぱく進言しますが、待つことをやめない末摘花です。
彼女にはもう待つことが人生そのものになってしまったようです。
待たない選択肢はありません。人生そのものが崩れるからです。
ラストは、奇跡が起こります。光源氏が末摘花に合いに来るというところで終わります。
すると末摘花を見切った侍女たち、叔母さえも、末摘花を祀りあげるのです。これも人の性で、奇跡が起こるというのも罪な気がします。
末摘花は待つことしかできなかっただけです。
まあそんなことを考えてはいましたが、とにかく面白い演劇でした。笑いが絶えない劇です。
侍女の一人に侍従という人がいます。
この侍従だけは誠実で正直で知恵者でした。彼女は母の婆や(末摘花の乳母)のことも末摘花ことももちろん、この家のことまで考えることをする人でした。
他の侍女も、末摘花も他者責任で生きてしまう人ですが、侍従だけは自己責任で生きる人でした。これもこの演劇の意図でしょう。
【いもたつLife】
躍動するカフカの変身という印象です。
毒虫になってしまったグレゴールと語り部は、役者が入れ変わります。
それ以外の、父、母、妹、支配人、老女、3人の間借り人は役が決まっています。
そして劇は原作通りに進みますが、入れ替わる役者、定まった役者が縦横無尽に舞台を駆け巡ります。
そして舞台そのものも、変化していく、その両方が合いまってリズミカルに、皆でダンスをしながら、そのダンスもパフォーマンス溢れて美しい。
いつも思うことですが、SPACの俳優はみなとても鍛え上げられています。
劇はもちろんカフカの変身なのですが、ダンスの劇でもあるかというほどです。
入れ替わる毒虫と語り部により、原作のエッセンスが抽出されます。
グレゴールは世の不条理の真っ只中に晒されてしまうのですが、そのグレゴールが家族であることで背負う家族の苦悩は普遍的で、他人はそれを横目で見ます。
観客は当然、苦悩する当人にも、家族にも、他人にも自分を重ねます。そして世の中の仕組みの嫌らしさを味わいます。
繰り返しますが、役者は動く動く、舞台も変る変る、グレゴールと語り部もとって変わりながら進みます。実際の世の中も変るのが常です。それを勢いある演出(ダンス)で描かれるが故に、世の中の構造は変らない、人の苦悩も永遠ということが露にされる作品でした。
【いもたつLife】
真打4人、しかも三三師匠も登場という豪華メンバーの一門会でした。
初っ端は3月に真打昇進したという小八師匠の“鈴が森”。
軽妙な語り口でくすくすくすぐられるようです。15分位の演目で、まずは幕開きです。
続いて三番弟子という、はん治師匠の“ろくろっ首”。
これは小三治師匠の音声を何回も聞いています。完成度がかなり高いと思っていましたが、はん治師匠もほぼ同じ内容で語ります。面白かったです。
ここで仲入り。
後半、三三師匠が出てきたので吃驚。
そして上手いです。
枕は5分位で、“橋場の雪”にかかります。この演目も20分位と短め、もっとじっくりと三三師匠を聞きたいのですが、今回は小三治師匠の繋ぎ役に徹します。
場が十分に盛り上がり、真打の真打登場です。
小三治師匠ももう80歳近いということで、病気ネタが枕。これが爆笑モノで、あの飄々とした語り口は合い変らず。自虐ネタですが、私も含めて観客も年齢層が高いので、自分のことが重なります。それは体のこともそうなのですが、密かに抱いている気持ちを代弁するところが、少しシニカルなところがとにかく面白いのです。
ひとしきりのおしゃべりの後、時間もなくなってしまうからと“千早ふる”に。
ネタに入ると、語気も勢いが強まりながらも緩急自在、流石です。
今まで聞いた“千早ふる”の中でも一番かと。音声だけですが、小さん師匠の“千早ふる”よりも良かったです。
とっても楽しい落語会でした。
【いもたつLife】
5年ぶりの再演で、5年前この劇で、「どこまで笑えないか試されている喜劇」だという印象でしたが、今回もそれは同じですが、それ以上に感じたことは、一人の人間は意外と多くの人と関係があり、そして影響を与え与えられているかということ。
それと、これも前回同様ですが、人間、笑えない喜劇のように生きていることを痛感です。
ノゾエ征爾版「病は気から」は、舞台を観客席にしてそこで役者が演じ続けるというスタイルです。そこで行われていることは、もうすべて他人事ではありません。
冒頭、一般の観客者が舞台を見学するという設定から始まるこの劇で、病気なのに頑なに自分は病気ではないと言い張る男がアルガンを演じます。もちろんアルガンは、病気ではないのに、病気だと言い張る男です。同じ役者(阿部一徳)がこれを演じる、もうこれこそ私達です。立場、役割、社会適応という名の下にこんなことをやっています。
そしてアルガンは思いっきり自分勝手、自己都合で長女のアンジを医者の嫁へと強要します。しかもいつも大声を張り上げて。これも私達です。ただ大声は張り上げませんが、静かな顔で主張は断固として曲げません。
そのためにアルガンの家はいつもドタバタ。私的にはここは、自分の会社内に見えて仕方ありませんでした。
でもアンジも、次女のルイジも父アルガンを慕います。けれど後妻のベリーヌはアルガンの遺産が目的で、アルガンの病気を歓迎しています。これも面白い。アルガンは病気ではないのですから。
そしてなぜにアルガンに滅茶苦茶の量の薬を処方する医者がいるのか?
アルガンは医者が身内にいれば安心と、アンジの婿には医者を選びます。その親子も似非医者として登場しますし、もう一人弁護士も登場しますが、およそ理知的ではありません。そんな医者や弁護士を敬う盲目的なアルガン、そして医者も商売人という風刺、これらも笑えない喜劇です。
事ほど左様に、これでもかと、人の視野の狭さや滑稽さが繰り返し演じられ、狭い舞台の中の限られた人数だけですが、アルガンだけでも家族はじめ多くの人とワイワイガヤガヤ生きている、係わっていることが解ります。ここは他人との付き合いは狭い中の限られた人だけと思いがちですが、人の一生では思っている以上に多くの人が生きるためには必要で、お互いに影響し合っているのではないかと思いました。
そしてそんなやり取りをしながら、本当に死んでいくアルガンで、それを悲しむアンジとルイジ、人の一生なんてこんなものでしょう。
劇はそんな人の一生を見せながら、観客席から私達の生活を観ているとでも言いたそうです。
ノゾエ征爾版「病は気から」、面白いことは間違いありません。ただし、じくじたる思いにもなります。
けれど、それでも、アルガンのように、盲目的ではあっても声を張り上げて生きる、死ぬまでそうでありたいものです。
【いもたつLife】
「プレイヤー」という劇中劇の稽古風景をみせながら、
その劇が現実に取って変っていきます。
その劇自体が怖い話で、だんだん現実になっていくことで怖さが高まります。
「プレイヤー」という劇は、人類がアップデートするために必要な覚醒された人のことです。
地球を破壊する人類に残された道は、肉体を棄てて、魂をあっち側に持っていって、そこではなんの不自由も無くみんなで仲良くすること。それは、それを推し進める劇中劇の輩の言い分です。
人は意志で死んで、あっち側にいくようになれる、そしてあっち側に行く前に7人のプレイヤーを選び、そのプレイヤーは死んだ人の言葉をこの世の人に伝える、伝えることで、死ではあるけれど、それはあっち側に行く事であり、だから皆この不自由な肉体と地球を棄てようという啓蒙をするということです。
当然それを推し進める人と、そんなことはあり得ない人が劇にはいて、でもだんだん、あり得ないことという考えがあり得ないとなっていきます。
ただただ、劇中での劇がそれを主張しているのが、劇が現実のようになっていくのが味噌で、本当にそんな雰囲気になる怖い話でした。
豪華キャストも売りで、会場はもちろん満員。
最初は疑問だらけ、それがだんだん露になっていく脚本の面白かったです。
【いもたつLife】
今回は二人会、たっぷりでした。
まずは鯉昇師匠から、演目は「武助馬」。ウォーミングアップという感じです。
続いて松之丞師匠の講談「天明白浪伝 首無し事件」こちらはもう全開でした。
仲入り後は、
引き続き松之丞師匠の「立風の情相撲」40分位のネタらしいのですが、
12分位にスピーディーにまとめます。
もちろん時間の関係で。でもかなりの迫力で圧倒されました。
トリは鯉昇師匠の「千早ふる」、
竜田川がモンゴル出身力士、
“ちはや”と“かみよ”は南千住のホステスという設定です。
面白かったです。
贅沢な寿司てつ寄席でした。
【いもたつLife】
47都道府県を一つずつ「デザイン目線」で紹介するトラベル誌が「d design travel 」。
編集長のナガオカケンメイさんが2ヶ月間静岡に滞在して作りあげた「d design travel SHIZUOKA」が発刊されて、それに合わせての落語会がd47落語会です。
静岡にまつわる新作落語を花緑師匠が、渋谷と静岡でだけ披露します。師匠は同時代落語と名づけ、洋服で椅子というスタイルです。
脚本はいつも藤井青銅さんということですが、今回は(今回も?)師匠が肉付けした「静岡落語」でした。
第一部は古典落語「刀屋」これは着物で座布団の通常スタイルです。
師匠が舞台を見て選んだ演目で、その舞台は演劇専門の舞台、この舞台なら観客が映像化して欲しい噺を選んだのが人情噺「刀屋」でした。
枕でたっぷりと笑わせてくれて、噺に入る前に「(人情噺だから)笑いはあまりないですよ。笑いは静岡落語にとっておきます」との口上の後、始まりました。
なんのなんの、笑いのくすぐりも所々にある、素晴らしい刀屋でした。
仲入り後の第二部は新作静岡落語「のののののの」という題名でしたが、観客は皆「新幹線落語」にすり返る内容で、“静岡県民は大爆笑”のこちらも大笑いでした。
脚本家の藤井青銅さんは静岡の仕事を結構しているとのことですが、それにしても“静岡県民の気持ち”をよくあれだけ汲み取れると感心です。また、師匠の肉付けも絶妙でした。
第三部はトークショー。
こちらで、第一部の演目の選んだ理由や、新作静岡落語ができた経緯、そして、「d design travel 」のコンセプト等を聞くことができました。
他の都道府県の新作落語も聞きたくなる、というか、この主旨に賛同しての、おっかけがたくさんいるとのこと。その気持ちがわかりました。
【いもたつLife】
二つ目のさん光さんの「田楽食い」で幕開けでした。
枕も落語も上手、もう真打が近いということで、納得です。
お目当ての権太楼師匠は、「火焔太鼓」です。
枕は夏の話でこれももちろん面白いのですが、その最後に当然のごとく、
火焔太鼓の前ふりで、すっと落語の世界に入ります。
江戸弁と勢いがある師匠の口調は、「火焔太鼓」にピッタリです。
志ん生師匠の生は聴いたことはありませんが、
こんな感じ、同じ位のレベルではないかと、素晴らしい「火焔太鼓」でした。
仲入り後は打って変わっての人情噺「たちぎれ」です。
師匠の静の芸を堪能です。
この噺は人情噺ですが、遊女と若旦那の関係は、お互いに本気の恋であったとしても、
死別しても、遊女と客の関係であるという、この構造に感服してしまう噺で、
落語らしい業を現します。
それを権太楼師匠の語りで聴けたこと、本当に良かったです。
全力投球の二席でした。
【いもたつLife】
花緑師匠の落語はやはり一流です。
大笑いしました。
最初は、弟子の圭花さんの「子ほめ」これもなかなかでしたが、
やはり花緑師匠はレベルが違います。
枕でもたっぷりと笑わせてくれて、「不動坊」です。
吉さんと大屋さんのやりとりを省略しての噺でした。
これは珍しいし、時間の関係でしょう。
そして仲入り後は、「猫の災難」。
個人的にはとても好きな噺です。
師匠も五代目小さんの得意だったネタだったから、挑戦しているということでしたが、
私も「猫の災難」は音声での小さんのものしか聞いたことがなく、
まさか、「小さんの猫の災難」の本家取りを目の当たりにできるとは思わず、
そして、もちろんその出来が素晴らしかったので、
笑いながらも感動ものでした。
師匠は新しいプロジェクトもやっているとのことなので、
次はそれを鑑賞にいくことを決めました。
【いもたつLife】