立川談笑 月例独演会【6月国立演芸場】
仲入り後に「おせつ徳三郎」でした。
「おせつ徳三郎」がネタおろしということで、枕もソコソコに、
「天狗裁き」「たがや」が始まります。
ソコソコの枕ではありましたが、
「おせつ徳三郎」と枕を活かすのが「天狗裁き」で、
それと同じくプラス夏の花火の季節が到来ということで「たがや」でした。
「おせつ徳三郎」は人情噺、今回も楽しいひとときでした。
【いもたつLife】
仲入り後に「おせつ徳三郎」でした。
「おせつ徳三郎」がネタおろしということで、枕もソコソコに、
「天狗裁き」「たがや」が始まります。
ソコソコの枕ではありましたが、
「おせつ徳三郎」と枕を活かすのが「天狗裁き」で、
それと同じくプラス夏の花火の季節が到来ということで「たがや」でした。
「おせつ徳三郎」は人情噺、今回も楽しいひとときでした。
【いもたつLife】
二度観ることが出来ました。
観客一人一人にとっての、身近なもしくはもう名も知らぬ先祖が、その観客のために、霊界からあの舞台を通して人と成り、「アンティゴネ」を上演してくれている、その気持ちが高ぶったというのが、二度目の一番の印象です。
舞台は霊界との境で、僧により多くの霊が招かれます。
僧から何かしらのアイテム、例えばカツラ、例えば剣に見立てた杖を受け取ると、登場人物になり、私達の前に姿を表します。
その他の霊も舞台上にいて、見ることはできますが、実は合唱だけというのが、この観劇の嗜みです。
そして何を語りかけてきているかというと、それは辛辣な現代の現実です。
危うさを増すばかりの世界。主要国の為政者が民のためを謳っているとしながら、自国をいかに優位にすることが真の目的で、力の鼓舞をクレオン王の主張で語ります。
それに対峙した行動を取ったのがアンティゴネで、それを擁護するハイモン、でも二人は自害に終わります。
アンティゴネの行為を民は支持します。けれど決してその気持ちを王の前どころか口に出すのも憚れているのです。
そして擁護したハイモン、王の大事な息子でありながら、だからこそ彼しか王の過ちを正すことができないから、彼は立ち上がり、精一杯アンティゴネの心を伝えるのですが、伝わることは適わなく終わります。
こんなことを現実世界に起こしてはならない。という強いメッセージです。
では我々は何をすれば良いのか?
劇中何度も挟まれる、死者=我々の先祖を弔う心というのがポイントです。
劇では、クレオンの主張は人の法と言います。それに対してアンティゴネが取った行動は、神々の心がもたらしたと言います。
神々の心とは人に本来備わっている純な心で、そこから湧きあがることを肯定し行動することを促します。
黒が基調な舞台、しかも水が張られています。畏怖の念を抱かせる中、雰囲気も厳粛です。でもこの世とあの世の境に現れた先祖は、決してこちらを怯えさせることなく語りかけてくれる、そんな演劇でした。
【いもたつLife】
アンティゴネが法を犯してポリュネイケスを手厚く葬ったことに対しての、力が籠った討論劇です。
クレオン王の決め事は是か非か、だけでなく、法は危ういもの、だいたい人が定めたものなんて賞味期限があって当然ということを為政者は棚上げしてしまいます。
それに対して人本来の心が王と討論します。
そして、ポリュネイケスだけでなく、劇中みな死に絶えた、アンティゴネ、エステオクレス、クレオン王達を日本流に見送る日本にずっと受け継がれてきた、死者への畏敬を表現しています。
アヴィニョン演劇祭のオープニングに招待された栄誉に応えるのは日本を表現すること。が伝わってきます。
宮城演出お得意のスピーカーとムーバーが分かれる仕立てです。ワンシチュエーションの討論劇で、スピーカーの力強さを表現するムーバーです。
舞台は水を満たした岩場をイメージさせます。
そこは闘いの場であり、三途の川であり、でもラストは壮大な精霊流しです。
私たちの魂がよりどころになるそんな場を提供してくれた演劇でした。
【いもたつLife】
「若きウェルテルの悩み」を現代を舞台にした、ひとり芝居で、演出もさることながら、役者の力量でぐいぐい引っ張る演劇です。
演者はフィリップ・ホーホマイアーさん、この劇を1000回以上上演していて、毎回新しい“ウェルテル”に成りきっていると、上演後のアーチストトークで話していて、確かに、今回も「津軽海峡冬景色」が挿入されましたが、それは前日の晩にたまたま聞いて取り入れたのだそうです。
若きウェルテルのどうしようもできない感情を、切実に表現しています。
シャルロッテを愛して愛して愛してしまった、そしてその愛は成就しないことで、狂おしくなってしまうウェルテルで、その閉塞から来るどうにも出来ない気持ちは果てることはありません。
シャルロッテも自分自身もコントロール不能で、その日々を重ねていく様は、狂ったようにも見え、でも根源的にそのような狂ってしまう気持ちは誰にもある、そして、ウェルテルはその感情が募っていってしまっています。
シャルロッテの婚約者のアルベルトを決して憎むでもなく、友人として尊敬に値すると思っています。それも彼の募ったどうしようもない閉塞感を強固にします。
ウェルテルが導いた絶対的な結論は、この気持ちに折り合いを付けることで、それは自身で決着を付けることでした。
ウェルテルの苦悩を、だいぶユーモラスに、でも心からの叫びであることをオーバーアクト気味に演じるけれど、フィリップ・ホーホマイアーは人に潜んでいる感情というエネルギーの莫大さを示唆し表現します。
また、シャルロッテへの愛は、彼女を愛する行為は自分自身を愛することと同じ深さで、でもその感情は自分ではいかんともしがたいこと、出来ることは感情を無視した行動で、どんな行為も満たされない感情の下では空虚でしかありません。
本当に人は残酷な性を持って産まれてしまったものです。
【いもたつLife】
野外のステージでの体験型の演劇です。
題名通り、私達は月に行きます。そこまでの体験と、月での体験が用意されています。
誰もがイメージできる雰囲気、音楽や小道具でSF映画のような、でもちょっとコミカルに、そんな宇宙旅行で、月に住みつきます。
最初は苦難続き、やっとのことでステーションを建設、安住の生活、そこでは楽しい日々です。ところが・・・。
というお膳立てです。
MOONですが、EARTHを想う体験です。
もっと言えば、母から誕生したことを振り返る体験です。
あの空間を後にした時、自分はどこに行こうとしているのかを探りました。
【いもたつLife】
今年は、前座の小噺以外は、「居残り佐平次」一本のみ。
マクラも早々に、仲入りを挟んで2時間という凝りっぷりでした。
昨今の落語ブームを憂う気分と、現代のエンターテインメントの姿とは、
を問いながらの時間で、談志調とは違う、解説付きの落語でした。
師匠自身は、これは落語ではないと言い放ちながらの一席。
居残り佐平次はどんなキャラでやるかがポイントで、
個人的には“志ん朝・佐平次”が好きなのですが、
“談春・佐平次”もなかなかの悪っぷりが板に付いていました。
【いもたつLife】
シェイクスピア原作を、野田秀樹の潤色の「真夏の夜の夢」を、宮城さん演出でのSPAC演劇で、とにかく楽しい演劇でした。
そしていつもながらに、舞台や衣装も良いです。
登場人物は、老舗割烹料理店の面々と森の妖精達とその王と王妃、そして悪魔メフィスト、その人物たちが縦横無尽に、知られざる森で喜劇を繰り広げます。
鍛えられた役者たちで、その身体能力もですが、力強い打楽器の演奏でも窺えます。
キーになるのは、“言葉”で、役者同士の掛け合いも面白いですが、言葉にならない言葉、飲み込んでしまった言葉です。
日常で言葉にしないで済ませてしまった言葉は数多くあります。それに復讐されてしまうという流れなのですが、心が傷みます。
でもそれをしていた“そぼろ”がそれを希望に変えるという物語で、メフィストの策略を打ち破ります。
過去を悔やむことがあります。それは言葉にしなかったこともありますが、軽率に行った行為もです。そんな後悔を飲み込むことが何になるのか。
それは自分にとって悲劇ではなくて喜劇ではないか、そんな気分になりました。
ラスト、メフィストはノートに延々と何かを書き続けていました。
あれは何か?誰かの言葉にならない言葉でしょう。
そう、いつも言葉にならない言葉は生きるうえでの付きものです。
でもそれを含めて自分なのだから、それで良い、メフィストにまた策略を練られても、良いではないか、とも思えました。
【いもたつLife】
著者の生きてきた軌跡を断片的に、またポイントとなる想い出を、
カラーイラストを挿入して、見開き2ページで読みやすく記されているという構成です。
戦時中、戦後と満州にいたことから、ちばてつやさんご一家はかなりご苦労されていますが、暗さはなく、表現されています。
そんな生い立ちから、ご自身の作品の舞台裏まで楽しめます。
もちろん「あしたのジョー」についても語られています。
私も、ちばてつやさんの漫画を貪る用にして読んでいましたから、とても楽しいひと時でした。
【いもたつLife】
二度目の観劇は、余裕がある程度あるので、俳優たちの動きを追えます。良く練られて出来ている演劇だと唸ってしまうというのが感想です。
前回も感じましたが、美術、衣装、音楽、そして二人一役という全体像が実に嵌っているという印象です。
そして宮城演出は観客を楽しませることがうかがえます。テーマを深く考えることも良いですが、単に演劇自体を楽しめるのが良いです。
そうは言いながらもなかなか考えさせられます。
シチリア王リーオンティーズの嫉妬から、王族が取り返しがつかない状況にあり、でも奇跡が起きてハッピーエンドという筋書きですが、その終わり方は一筋縄ではありません。
人ですから過ちはありますが、それが取り返しがつかないことにまで成ってしまうにはそれ相応のその人物が行った重さがあると痛感してしまうからです。
リーオンティーズは曲がりなりにも国王です。嫉妬は仕方ないにしろ、そこから取った行動にはそれ相応の影響があります。
またボヘミア皇太子のフローリツェルもいくら愛してしまったとはいえ、漁師の娘と駆け落ちしてしまうのはいかがなものか、ロマンスとしては甘くて愛するものに一途な姿は胸をうちますが、やはり彼にも立場があります。
どちらも、
王妃ハーマイオニは実は生きていた。漁師の娘パーディータは実はシチリア王女だったのだけれども、これは結果オーライでしかありません。
誰しも社会の中では立場と役割があります。
でも誰もが欲求や欲望があります。
全てを手に入れることができたとしたら、それは奇跡でしかない、それが人生だとラストをみてちょつと苦しさを感じました。
【いもたつLife】
宮城さん(SPAC)お得意のムーバーとスピーカーでの二人一役の「冬物語」。
シェイクスピアではこの手法を封印していたと、演出ノートで知り、上演前から興味津々でした。
奥行きがあるとても凝った舞台、衣装も相変わらず素敵です。音楽もお得意の打楽器を中心に俳優が演奏します。まさしくSPACの世界でした。
シチリア王リーオンティーズが、妃のハーマイオニと大親友のボヘミア王ポリクセネスが浮気をしていると思い込み、嫉妬に狂い、妃も王子も王女も喪うけれど、16年の時が経て奇跡的に赦される物語です。
これをリーオンティーズが狂ったようになることからの悲劇の第一幕、シチリア編。
ここで休憩が入り、16年後のお祭りに華やぐ喜劇のボヘミア編が第二幕。
そして、奇跡が起こるシチリアでの第三幕という構成です。
二人一役は、悲劇と喜劇で全く違う表現です。
もちろん舞台の雰囲気と照明の明るさも音楽も違いがありますが、悲劇では無表情のようなムーバーで、スピーカーの声の大きさやトーンとのギャップがあります。
時に能面のようなムーバーは内に秘めた怒りや悲しみといった感情を敢えて封印することで、人の愚かさを嘲笑しているようにもみえます。
ただ唯一、ハーマイオニの付き人、奇跡を起こすきっかけとなるポーリーナがリーオンティーズを咎めるのだけは、ムーバーはその表情をスピーカーと合わせます。
かなり印象的で、悲劇が強調され第一幕が終わります。
打って変わっての第二幕は、楽しい劇となります。
舞台も音楽も始終明るく、けれどボヘミア王子フローリツェルと漁師の娘(実は棄てられたシチリア王女)パーディータの身分違いの恋の行方はかなり危ういという展開です。
でも若者は溌剌と主張します。
ここは希望を勝ち取ることは個の強さを得ることが必須と感じる場面です。
そして、フローリツェルとパーディータはシチリアに渡り奇跡が起こるのですが、ここはかなりシリアスな演出です。
たしかに、機転が効いたポーリーナとそれを受け入れたハーマイオニの心の広さ、そして幸運にも漁師に愛を与えられて聡明に育ったパーディータの明るさ、そして勇気あるフローリツェルの行動がハッピーエンドに繋がってはいるのですが、手放しで喜びを分かち合う演出にはなっていませんでした。
やはり喪ったものは大きい。そんなラストの演出です。
ここでキーになるのは、嫉妬に狂ったリーオンティーズが16年という歳月でようやく赦されることですが、シャイクスピアの時代の16年は途方もない歳月だったのでしょう。
そしてシチリアとボヘミアの距離も今とは全然違う距離感だったのではないでしょうか。
気が遠くなるくらいの時と距離という犠牲と危険に向かう対価がなければ果実は得られないと感じます。
それにしてもいつものことですが、とても丁寧にしっかりと作られているSPACの演劇です。
【いもたつLife】