ほしいも試食販売 しずてつストア 草薙店
このお店では、春にも試食販売しました。
その時も、たくさん購入していただいたのですが、
今回はそれ以上に好評でした。
中には試食もしないで、
「いつも買ってるよ」と言いながら購入してくれるお客様も。
タツマの干し芋に、だいぶ馴染みがあることを実感できて
嬉しかったです。
【いもたつLife】
このお店では、春にも試食販売しました。
その時も、たくさん購入していただいたのですが、
今回はそれ以上に好評でした。
中には試食もしないで、
「いつも買ってるよ」と言いながら購入してくれるお客様も。
タツマの干し芋に、だいぶ馴染みがあることを実感できて
嬉しかったです。
【いもたつLife】
『病は気から』は、人間不信になってしまいそうで、社会の構造の負を見せつけられてしまいます。
全編が喜劇で、それが際立っているから、どうにもこうにも最後の審判で人の性とその普遍を鑑賞後にも感じ続けます。
ありきたりな言葉ですが、人というものは350年前とこうも同じものか、そして、可愛く優しく憎たらしく、愚かであることがわかります。
演劇は、SPACの宮城総監督が舞台に出て、演者を導くという、演者としての宮城さんが出演するというサプライズで始まります。
8人劇で、8人の中で一番元気で健康な、でも病人かぶれの主人公アルガンが主導します。アルガンは、浣腸と薬で生きながらえていると信じています。ここからして喜劇そのものですし、ここからしてその真意はシリアスで深く、病気と健康がテーマですから、広義に誰もが関わりあっていることを、冒頭で意識します。
アルガンは自分を病人と信じていますから、それを打開することに躍起です。有能な召使に自分のその病状を叫ぶことで病人に成りきろうとします。後妻はそんなアルガンの亡くなる姿を期待していて遺産が目当てです。
アルガンには娘が二人います。二人とも可愛く、終盤のアルガンを本当に愛しているかの踏み絵に関しない純粋な二人です。ちなみに後妻は踏み絵を踏みました。
その長女アンジの婿を、自分の病気を診る医者を選び望み、アンジに強要します。けれど、アンジには恋人がいます。それを無視されて医者との強制的な結婚を迫られます。アンジは恋人と結婚することが適わないこととの引き換えに、結婚したくない結婚を拒否する権利を欲します。ここは人の崇高さを表現しています。
アルガンを中心に、召使を媒体そして、アンジの結婚相手の医者親子、アンジと相思相愛の恋人、末娘のルイジ達で、風刺の効いた喜劇が場内に蔓延します。
その喜劇は確かに洒落ていたり、野暮ったかったりですが、粋な演出の中に行き過ぎをはさみます。行き過ぎとは、あまりにも予想の範囲をなぞったり、時にベタだったりで、そこには喜劇なのだけれども、笑えられないのです。それは愚かな人の性をみせたり、喜劇を超える誇張を感じるからです。それらが、それらとは無縁の笑いの中に散りばめられているから確信犯でこちらを刺すものをしたためています。これらは全て、最後の審判につなげる伏線です。
痛烈な喜劇を貫くことの中に、病気でいることを言い聞かせるアルガンのあの姿を、観客一人ひとりに置き換えるという仮定をすれば、最後の審判の意味は一目瞭然です。
観客それぞれが、病気のように気にすること、とらわれることをイメージし、病気に置き換えれば、アルガンが望んだ儀式は私達の姿そのものです。
病気でいることを信じていたアルガンが健康そのものであったのに、医者としての権威を得た瞬間に真の病気を得たことは痛烈そのものです。
そしてあの場面は、既得権益バンザイという医者達(どの業界でも同じです)と世の中(教育されたわれわれ)の望みのどちらをも適えたウィンウィンの実体を、嫌らしく誇張します。私達が持つ価値観を嘲笑するように。
この演劇は喜劇ですが、すごく醒めています。世の中の価値観を鵜呑みにする個人に警鐘を響かせていまあす。それほどに、最後の審判は恐ろしいほどに、偏った価値観を肯定確認し、納得したいということをどこまでも求める人々の姿に見えます。都合が良いことを私利にする個人の小さい出来事を、世間の同意にする怖いシーンです。
そしてその後もアルガンの亡骸はもてあそび続けられます。それはみんなを結束させて、安心を得るための手段であり、儀式の一旦ですから。
繰り返しますが、この演劇は喜劇です。だからそれを続けた最後に、真意を伝えることで、その真意は深く心を刺します。
この演劇の舞台セットは観客席です。演じるあっちも鑑賞するこっちも同じ舞台だということを示唆します。たぶんこの演劇はどんなセットでも演じられます、でも敢えて観客席のセットとしています。それは、舞台の中で演じられていることは、舞台から観ている者の日常と同じだからです。
そしてもうひとつの演出は、最初と最後に、SPAC総監督の宮城さんが演者全体を舞台見学者・観客として扱うことです。これも演者と観客が一体をしていることを、印象付けています。それを前提として演劇全体は笑わせるという手法です。
私にはこの演劇はどこまで笑えないかを試されているように思えてなりませんでした。
【いもたつLife】
「会計士が書いた歴史と経済の教科書」
通貨を、流動性や保存性という
通貨としての価値しか見出せない、
応用が利かなかったことにとても反省です。
軽いタッチですが、力を込めて書かれています。
読み手を引き込む構成もよく考えられていました。
面白かったです。
【いもたつLife】
JR常磐線の特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」に
新型車両が導入されました。
昨年春からなのですが、一部ダイヤでの運行なので、
乗り合わせることがありませんでした。
今回、運よくたまたま乗車しました。
外観は新しさを感じませんでしたが、
内装はシックで落ち着きがあり、
シートもヘッドレスト付きで高級になっています。
騒音対策も旧車両よりも優れていました。
乗り心地も改善されている感じです。
(仕事(PCの入力)をすると乗り心地の改善がよくわかるのですが、
今回はPC入力しなかったので感覚でよさそうと感じました)
【いもたつLife】
とても親しくさせていただいている、
日本料理の治作の、
若き親方の結婚式に招待されました。
親方は大学卒業直前に、
先代(父)を亡くし、急遽後を継ぐことに。
約10年で、今では立派な一流のお店にふさわしい店主です。
親方ももちろん苦労していますが、
それを支えた女将さん(母)、そして妹さんと、
家族で店を盛り立てました。
それらが報われる結婚式で、
それらを喜ぶ方々への披露宴でもありました。
【いもたつLife】
宮城聰さんの演出は、様々な要素があり、全部をとらえきるなんて、
とってもできませんが、
音楽、ユーモア、シリアスな演出、
光、照明、闇、
観ているだけで楽しいし、深さを感じざるを得ません。
そして、十分な稽古をされた洗練なSPACの演劇はいつも感動です。
夜叉が池は、
村の人々、魔界の者達、
なみなみと溢れる夜叉が池からの清水の麓の、両者を橋渡しする夫婦
(正確には夫婦ではないかも)、
そこに何が起きたか、村に深刻な日照りが続くことで、
3者が動き始めます。
それを見届けるのは、観客を代表する京都の大学講師、
彼の目で物語が始まり終わります。
3者がそれぞれメインになる舞台での演出が、三者三様です。
夫婦と講師の舞台は、良き人の営みと、
悪意がない人の嫌らしさと純な心を伝えます。
魔界の舞台は宮城さんがユーモアを交えた楽しい演出が光ります。
その中に、魔界の姫がいて、彼女は純粋な心の持ち主で、
恋のために全てを捧げる心と、
約束(義理人情)を曲げられない姿勢を見せます。
村の人々は7人です。
政治家、金持ち、教師、神主、農民、ヤクザ、従順な人
凝縮された人選です。
それらのごく普通の社会に属する人が、
生死の危機を感じた時にとる行動は、
魔界の姫の純粋な行動とは真逆です。
けれど、人はこうなるのが常です。
そして、魔界の姫も人が創る象徴で、それも人が自ずから持ち合わせた心です。
だからこの演劇は、
人の嫌らしさの極みをみせながら、人の善をも匂わせます。
人の嫌らしさは、迫り来る音と圧力で圧巻をみせます。
村の人々と魔界の橋渡しの夫婦は、
結局やり玉に挙げられるのですが、
二人の暮らしは理想像です。
だからやられたんだろうと、悲しくなります。
人は嫌らしさと純粋の両面があります。
その中で、嫌らしさは徹底されます。
多分夫婦は、村が日照りで困る中でも比較的その貧困の影響はなかったのでしょう。
決して裕福な暮らしではないけれど、困らないことに揚げ足を取るのが人の性です。
しかも仲が良いことはそれを冗長します。
村の7人には、金持ちがいます。
だけど、金持ちでない夫婦はやられるのです、金持ちはやられずに。
そこには嫉妬も大きい一因です。
それと、誰かを生贄にする共通認識の中で、
生贄にしやすい者を求める安直が、それを正当とする見せ掛けの正義で、
溜飲を下げるかのように村の共通意識になります。
それを推し進める正当さを言い聞かる迫り方です。
(これが圧巻です)
その狂った村は葬られます。
それを講師は見届けます。私達に見届けて欲しいように。
純粋だった姫は我が意を得ます。
そしてラスト、
天空から廃墟になった村を眺め、
寄り添いながら死んだ夫婦に語りかけます。
けれど夫婦は動き出すことはありません。
それを見て講師は客席に消えます。私達の下に戻ります。
そしてカーテンコールです。
けれど、夫婦はそのまま動きません。
宮城さんは基本的に性善説だと私は思っています。
このラストは非情さを演出しています。
一件非情な演出ですが、私は心の中で「動くな」と言いながら、
素晴らしい俳優(夫婦を除く)達に拍手を贈りました。
(宮城さんの意図はわかりませんが)
取り戻せない事は常。
大きいことも小さいことも。
それを持ち帰ることが私にとってのこの演劇でした。
【いもたつLife】
駿府城内の紅葉山庭園で1年に一度、
柳家家緑師匠の独演会が開かれます。
庭園内の茶室で84名という、家緑師匠の独演会としては、
(たぶん)最少人数で聞ける落語会です。
マイクを使わない肉声で師匠を間近にしての落語は最高です。
(しかもお茶とお菓子付き)
今年の演目は、
師匠の前にお弟子さんの柳家フラワーさんの「元犬」、
師匠の「つる」
中入り後に「妾馬」です。
終了後には、師匠のサイン会もあります。
家緑師匠は、かなりの人気者ですが、
小さい箱でサイン会まで、たぶん最終で帰るのでしょうけれど、
最前線でファンを大切にしています。
素晴らしいです。落語も良いわけです。
「つる」は、
表情が最高です。普段、音で落語を楽しみますが、
音で楽しめないのが表情です。
ライブはやっぱり良いです。
「妾馬」はたっぷり50分。
こんな丁寧な「妾馬」は初めてです。
この演目、実は私は、大詰めでくすぐったくなる演目なのですが、
そこが感動的までになっていました。
そしてこれも表情と声色が良い。
たっぷり楽しみました。
この落語会は84名という定員なので、抽選です。
来年も当選することを祈るばかりです。
【いもたつLife】
銀杏
翡翠色に輝くまさに秋の味覚、
綺麗で食べるのが勿体無い位です。
あまく、ほろ苦く、ねっとりした食感。
銀杏ならではの上品な味わいです。
ひと塩が活きています。
先付け
秋刀魚の卯の花、梨とパプリカの白和え、揚げナスの田楽、筋子の醤油漬け、栗と枝豆
秋は食材の宝庫です。
良い感じで〆てある秋刀魚と卯の花が合います。
柚子風味が美味しさを一段上げます。
梨、パプリカ、白和えのハーモニー!
(無理やりですとのことですが、そんなことなしです)
秋茄子は嫁に食わすなとはこのことです。
あっさりめの筋子は酒に合うし、(13by山廃純米)
旨みをかねたさっぱりさです。
枝豆らしい、栗らしい、素材を楽しむ贅沢さです。
からすみご飯
紅白がおめでたい演出です。
(治作のご主人が結婚間近)
からすみで菊姫を飲んで、
ご飯の味を確認して、
両方で美味しくて、ここでもう一度菊姫呑んで、
ひと口で最後のからすみご飯に大満足で、
菊姫をまた堪能しました。
お造り
赤身、中トロ、ヒラメの昆布締め、カツオ、アワビ、アカイカ
こんな贅沢して良いのでしょうというくらい
豪華でどれもうまい。
ヒラメが綺麗しかも、昆布締めの上手さを感じる締めで、
しかもヒラメの旨さの余韻が残ります。
なんでこんなにコリコリで甘いのか。
包丁の技とイカの手柄です。
イカとは違うコリコリでイカとは違う甘い旨みがアワビです。
そして磯の風味が脳裏まで上手さを刺激します。
カツオはタタキです。
あぶらがのった身に、歯ごたえの良さをプラスさせています。
カツオも大好きですが、今までとは違う味わいの発見です。
きめ細かさが見ているだけでわかり、
それ以上の味を提供してくれるから嬉しいばかりです。
ワサビと醤油が上物でないと、本当の中トロの美味しさが味わえないことが、
わかります。
それだけの中トロでした。
ハモとマツタケの土瓶蒸し
『あ~おいしい』と思わずもれます。
二杯目も『あ~おいしい』です。
三杯目、やっとどういう味かわかってきます。
そして、大きいマツタケの食感を味わい、
飾り包丁のハモを味わい、大きい銀杏でほろ苦さを味わいます。
ここで気づくのは、菊姫を呑んでいなかったこと。
もう一回りは、菊姫と、土瓶蒸しを楽しめました。
ゴマ豆腐
いつもタイミングが素晴らしいです。
ハモとマツタケの土瓶蒸しのあの旨さの後に、
別次元で匹敵できるのが、
治作のゴマ豆腐です。
正々堂々の味で堪能し、
菊姫とも合わせ、治作の底力を今日も感じます。
焼き物・煮物
カモ
カモ、ネギ、カラシ、強いものが拮抗しています。
強い者同士で美味しいというよりも、
荒々しいうまさを味わわせてくれます。
キンメの焼き魚
見るからに美味しそうで、香りも絶品です。
皮も、身も、骨回りをしゃぶっても、どこも凄く美味しい!
キンメの煮付け 活き締め ハリ付き
裁いたら針もついていたキンメです。
頭は食べるというよりもしゃぶるです。
身がほぐれるところももちろん美味しいのですが、
身を食べるために骨をしゃぶると、
そこには異次元のうまさがあります。
“むしゃぶりつく”
ほどの味わいは、やっぱりキンメの手柄と、
それを仕入れる手柄と、煮付ける技です。
マツタケご飯
ご飯とマツタケが1対1です。
ご飯にマツタケの味と風味がまとわりついています。
ご飯一粒に旨みが伝わっています。
日本人がご飯を主食にしていることは正解です。
そして、マツタケの上手さを受け止めているご飯はやっぱり偉大です。
イチジクと葡萄のゼリーよせ
残暑が顕著だっただけに、それを癒すデザートです。
秋の素材の暑気払いデザートです。
葡萄は、甲斐路、長野パープル、ロザリオビアンコ
どれも皮ごと食べられます。
爽やかで締めくくりにふさわしいおいしさでした。
【いもたつLife】
先付け
山芋、トマトの酸味の利いたゼリー、焼きナス、ウニ
香ばしい焼きナスに酸味の利いたゼリーが合います。
酸味は食欲をそそります。
スダチみ搾ってあって夏の第一弾に嬉しい味です。
ウニが絶品で菊姫と堪能です。
山芋がしっかりとした食感とでしたが、
だし汁と混ぜながら火を入れて、
最後にゼラチンも使って調理したそうです。
これも程よく酸味が利いています。
技を感じます。
ウナギ飯
熱々です。
こんがり焼けていてウナギの濃厚な味がします。
ワサビとも、菊姫とも、ご飯とも合います。
今日はウナギが出てきて欲しいと(暑かったし)
というところで食べることができました。
そして、ペロッとたいらげたのですが、
とっても満足の美味しさでした。
お造り
マグロ、ヒラメのコブ締め、アカイカ、生シラス
新鮮な生シラスはプチプチの中に濃厚だけど爽やかな旨みです。
アカイカは、生シラスとは違う濃厚な甘みです。
歯応えはやわらかくしっかりしていて、ひと口食べると、
次がすぐに食べたくなります。
ここで海苔で一息入れて、ヒラメの昆布締めです。
ただでさえお造りは菊姫が進むのに、
一味のったヒラメはより菊姫に合います。
マグロの赤身は、キメが細かくねっとりした食感と
これも濃厚なマグロの味です。
こういう赤身を食べると刺身はマグロの赤身が一番という感覚になります。
トロとは本当によく名づけました。
そしてこのトロは旨さが控えめでトロけます。
刺激がない上手さを味わえます。
お椀
スッポンのお椀です。
マル鍋よりもあっさり仕立てです。
スタミナ食としてリクエストしたお客さんがいたそうで、
その方に感謝です。
お椀を近づけただけでスッポンです。
あっさり仕立てですがスッポンです。
とっても美味しいです。
汁だけでも堪能できますが、良いスッポンは出汁が出た後でも美味しいです。
治作が夏ばてを気遣ってくれての料理で、その心も身につきます。
食べ始めたら一気でした。
ゴマ豆腐
治作のゴマ豆腐は孤高です。
今晩の花形のスッポンの後でも主張します。
もう哲学を感じます。
最後の晩餐では滅茶苦茶美味しいスッポンではなく、
粋を尽くしたゴマ豆腐だと思った次第です。
八寸
岩ガキ、枝豆、九条ネギとホタテのぬた、アン肝のソテーちり酢、ストロベリートマト
九条ネギからいきました。食べてて安心の味わいです。
ぬたも綺麗は味で、ホタテは絶品です。ぬたとも合って。
枝豆で一息です。
菊姫が進む一息にならない美味しい枝豆です。
塩加減もOK。
ストロベリートマトは大事に食べました。
こんな美味しい岩ガキは、一年ぶりに食べました。
もう漁師さんに感謝したいです。
アン肝のソテーは和よりの和洋折衷です。
アン肝は素材として可能性があるのですが、
強い美味しさを残したまま、和風で夏向きで仕上げてきています。
ここに試行の結果を感じます。
焼き物:牛肉
お肉の色をワサビの色とニンニクの色とクレソンの色が映えます。
夏の今日の暑さだから美味しい牛肉で、その焼き方、味付けです。
美味しいからそれで良い、ではなくて、どういう料理でもてなしたいかを、
これほど感じて、嬉しいと感じる料理はありません。
焼き物:赤ムツ
骨をこそげ落として甘しょっぱい味付けの赤ムツの美味しさといったら。
元の赤ムツが全てですが、それをあますなく味わうための手間が
否応なくわかります、そして、その技プラスここが大事で、心があるから
これだけの美味しい煮魚ができます。
焼き物:アマダイ
骨をしゃぶる、目玉回りをしゃぶる、ホオ肉を堪能する、
いつものごとくかぶりつきです。
ひれや骨や食べづらいところを食べて(美味しいです)、
カマ肉を食べるのですが、
筋肉うまさなんですね。
いつもの注文、いつもの料理で、いつも美味しい治作は凄いと
これもいつものコメントです。
ソーメン
いくら酔っ払っていても見逃すわけにはいきません。
いつ来てもうまい、ソーメンの旬での味わいですから、
今日の集大成です。
結果、いつもと同じだからそれでうまいから、
今日も治作で堪能して満足です。
水羊羹
食べる者に負担を全くと言って良いほど感じさせない、
仕上がりを魅せてくれて、凄さを味わいました、
本物の材料で、手間隙かけると美味しいのは当たり前ですが、
それに真心を技を加えたものが実際味わえるから貴重なのです。
“今”だから、今これを食べてね。
というメッセージが込められている旬のデザートでした。
【いもたつLife】
* 金明竹
* 不動防
~中入り~
* 鰍沢
* シャイニング(シネマ落語)
隣にいたカップルがプログラムを見ながら、
これは何時に終わるのだろうと心配しているのを小耳に挟みました。
私もこれだけの演目だととっても2時間では納まらないと予想しましたが、
前座なし、枕が短くで、始まり丁度2時間でした。
今回は、シャイニングに集中という感じでした。
古典落語3作で、シャイニングの登場人物を予習します。
シャイニングでは3作のエッセンスを入れながら筋を追います。
その予兆は「金明竹」からありワクワクします。
志らく師匠は、落語ネタを縦横の使うのも上手いのですが、
その真骨頂です。
「不動防」の登場人物のシャイニングでの使い方に歓心し、
「鰍沢」が予告編です。
いやあ堪能しました。
いつもの毒舌ももちろん効いていました。
【いもたつLife】