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ブログ 今日のいもたつ

いもたつLife

夜 1961伊仏 ミケランジェロ・アントニオーニ

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一組の夫婦が、幸せで恵まれていると誰もが思っている夫婦が、
共通の友人、死期が近い友人をお見舞いに行ったところから、
その夜そして、夜明けまでの二人を映しています。

二人の心を語るよりも写してゆきます。
(正確にはもう一人加えた三人、妻のジャンヌ・モローを中心に)

写しだされる映像は、比喩的な表現ですから、受け手次第なのですが、
この夫婦が過ごした日々の空虚、すれ違い、愛が枯れてゆく様は紛れもなく伝わります。

私としては、夫婦を築けなかったとしたら、お互いに非があると思うのですが、
どちらかが深く傷ついているとしたら、
そこに注目するべきです。そこに何か重要なものが隠れています。
ただ、夫婦の間だけの愛のことだけを語っているわけではないようです。

夜が明けた朝に、昨日から夜にかけての描写と夫婦になってからの、
妻の心が語られます。衝撃です。

映画は、人の愛を語り、終わりますが、
観ている一人として、二人はこの後も生きてゆかなければならないことを、
気にしてしまいます。
どうするのだろう?
少なからず自分にも似た生き方をしてきたからそれを感じるのでしょうけれど。

映像を観せられ続けてきたのですが、映像よりも重い感覚がずっと残る鑑賞後です。
やはり映像は比喩で、心に感じるものを植える意図がこの映画にあったように思います。

【いもたつLife】

日時:2009年06月19日 06:22

オールウェイズ 1989米 スティーブン・スピルバーグ

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人は必ず死ぬのに、今日は死なないと信じています。
これがないと絶望ですが、これがあるから怠惰になります。

「I Love You」が言えるか?
一つのキーでした。この言葉が代表するように、
絶妙のタイミングでピッタリの言葉を言い逃す時って
とても多いです。

正義があり勇敢で精一杯生きた、
だけど遣り残したことがある男の映画です。
さわやかだけど、かげりを感じる映画です。

たとえば何かひとつのことを残すとします。
それは自分だけ、多くても配偶者や恋人にしか価値がないこと、
もちろん経済的価値は0です。
そんなことを無駄に感じることの愚かさを教えてくれました。
少なくとも、生きる時間を多く共有していた人とは、
お互いのためになることを示唆してくれました。

【いもたつLife】

日時:2009年06月18日 07:00

依頼人 1994米 ジョエル・シューマーカー

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映画になるような題材は、頻繁に起こることではなく、
特異な事象であることがほとんどです。
今回も当然特異なケースです。

この映画では司法ですが、それを含めて法というものは、
完全に機能させることはできません。
最大公約数を狙ってどこかで落ち着かせる(妥協)しかないのですが。
それを良しとは当然思っていませんが・・・。

ただ、その誰もが納得できない現実を逆手にとるのは許せません。
誠意というのが、根底にあるのが基本中の基本です。

欲と嫉み、それと悪をなんとも思わない、
その犠牲に陥らせないストーリーは快心でした。

この少年家族のような犠牲者にはなりたくないけれど、
生きている限り何が起こるかわかりません。
それとは逆に、加害者には、なろうとしなければならないでいられます。
それを強く感じました。

【いもたつLife】

日時:2009年06月16日 06:48

お早う 1959日 小津安二郎

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小津監督がどこまで先見性があったのか、偶然か、
後世に残すための映画でした。
この時代を見事に納めています。

時代観とは関係なく普遍のテーマももちろん謳っています。
主人公の兄弟が的を獲ていて、的を獲ていない台詞を言います。
「オハヨウ、コンニチワ、イイオテンキデ・・・」
「こんなの意味ないじゃん、大人も無駄なこと言っているよ」
ここがこの映画のひとつのキーです。

この前段階で、「This is a Dog・・・etc」
も子供の台詞です。

子供にとってはどちらも同じが言い分ですが、
この無駄が大事なことを、鑑賞する誰もが体験している、
心は納得するがドラマはない組み立てで、感じさせてくれます。

それら以外にも、落語のフレーズがあったり、
おならが一貫した脇役だったり、
タンマがあったりと、
小津作品の中でも盛りたくさんの内容でした。

楽しみながらも改めて映画の力を感じました。

【いもたつLife】

日時:2009年06月15日 07:08

三分一湧水

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山梨県大泉村です。
山の中に住みたいと思うことがよくあるのですが、
いざ、それを実行することは至難です。

八ヶ岳南麓にはここのような湧水はめずらしくなく、
ここは公園となっていましたが、
こういう所に来ると、山で暮らしたいことをまたまた思います。

この湧水は下流の村落に等分に3方向に分けたところから、
三分一湧水と呼ばれているそうで、実際に三分割する小さい岩もありました。
6月1日には、ここ三分一湧水のための行事が毎年行われるそうです。

私の勝手な想像ですが、田植え前だからの日程かと思いました。
山の中では田畑は限られた場所になります。
そこに引く水源は誰も、我も我もとなります。
「水元」と呼ばれていた名家が音頭をとっていたようです。

ちょっとしたことを探ることは、観光の楽しさです。

【いもたつLife】

日時:2009年06月12日 05:07

静かなる対決 1946米 エドウィン・L・マリン

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西部劇全盛、アメリカ映画が元気な感じが出ている映画です。
ストーリーは西部劇らしく、かつ、ミュージカルの要素もあり、
コミカルな演技ありと楽しませてくれます。

ただ、脚本はかなり当時の社会性を考えさせられる内容です。
南北戦争が終了しているとはいえ、
まだまだ秩序は不安定な西部の、ある街が舞台です。

無法者のカウボーイ達と彼らの暴力を恐れる街の人々、
ただし、カウボーイに経済的にも支えられているから、
精神的にも経済的にも従うしいかない街です。
その中で金が稼げればよしとする人もいれば、
奴らを許せずくすぶったままの人もいます。

そこに今度は、大量の入植者がやってきます。
街の人は彼らも受け入れません。

市民権を得られない入植者達は、
防衛という建前の暴力を、カウボーイ達に向けます。
そして全面戦争に入るのですが。

街の人は生き残る術を自分の立場だけで考える、
個人個人で違うその考え方が描かれているのが印象的です。
結局は自分が一番可愛いからです。

その態度の背景は、街の人もカウボーイも入植者も、
全く同じです。
まず生きられること、家族と安心して生活できること。

多くの移民がアメリカに来て、
まだ未成熟であった、けれどチャンスがある国、
そんな、アメリカがこれから繁栄してゆく前夜がうまく描かれています。

【いもたつLife】

日時:2009年06月11日 06:33

朗読者

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物語りとしてはもっと奥が深く、
登場人物達の人となりや人生の広がりももっとある中で、
レポートのように簡潔にまとめられている本です。

それらは察するしかないのですが、
著者は特にそれを狙っていたようにも思えます。

ドイツが第二次大戦をどうとらえているかが焦点ですが、
主人公ふたりの愛はどういう愛だったのかも、重要点です。

彼女はわかりませんが、彼にとってこの愛は人生を占める大きなものでした。
自分の中に占める彼女の存在が、良くも悪くも彼を作りました。
ただ、彼はこれを受け入れているし、良いこととしています。

普通の人とはかなり違った人生を歩むことにもなりました。
どこかさめたような、他人も自分をも、上からながめるように生きました。

彼女に淡々と朗読のカセットを送るという愛情?表現も
それらの強い現れです。

幸せなのかはわかりませんが、彼のそんな心のあり方は、
ちょっと羨ましくも感じました。

【いもたつLife】

日時:2009年06月10日 05:23

事件 1978日 野村芳太郎

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現実的で実を取った妹(大竹しのぶ)のしたたかさが、
ラストを飾ります。

映画は、法廷の熱く知的な駆け引きに力が入り、
魅了もされます。
原作も脚本も良いし、主だったキャストの熱演の賜物でしょう。

裁判をメインに扱う作品ですが、今よりも司法を崇高に扱うように感じます。
司法を信じている雰囲気があります。
これは時代の流れで、今の私たちの方が司法に幻滅している、
そんな危惧も感じます。
ただ、この意見はとても私的なものですので、ご考慮ください。

次第に当事者の本心が現れる過程が見どころです。
殺した男(永島敏行)は憐れむべきキャラクターから憎むべきキャラクター
に移送します。殺された女(姉)(松坂慶子)はその逆です。

その二人を遠目で、わが身をしたたかに守る妹がたたずんでいます。
妹は、母が犯した間違いと姉が犯した間違いの轍を踏まぬことが最重要として
行動しました。

妹は手に入れた幸せを謳歌できそうな雰囲気でラストですが、
私個人の鑑賞後の後味は、やがてこの妹も、
母や姉の間違いを踏むような気がしてなりませんでした。

なぜなら、男を非情に追い込むまでのしたたかさがあれば別ですが、
そこまでの非情さはありません。

そして、男は混乱の言葉を発していました。
その言葉に対して「発する声と現実の行動は別」と
裁判官も検察も弁護人も裁判の結果がどうあれ安堵していました。

だが男は、その言葉を実現させる男だったから、
この【事件】は起こったのです。

【いもたつLife】

日時:2009年06月09日 07:16

アラン 1934英 ロバート・J・フラハティ

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アイルランドの西に位置するアラン島の人々の
ドキュメンタリー映画です。

島はほとんどが岩、波が強く断崖を打ち付けけています。
その波は漁を常に拒みますが、漁は大事な生きる糧です。
もう一つの生きる糧、主食のジャガイモを作るためには、
まず、畑を作る。のではなく、土を作ることから始まります。
岩を砕きその上に海藻をのせて、貴重な土を混ぜて増やします。
途方もない様を感じます。

そんなシーンをただただ映します。

ここでは生きるために生きます。

アラン島に住むにはそうとうの苦労があります。
ただ、そこで生きる様は崇高な美しさがあります。
ただ、こんな発言は、アラン島の人たちにとっては、
全く意味のない言葉です。

【いもたつLife】

日時:2009年06月08日 06:47

元禄 忠臣蔵 後編 1942日 溝口健二

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前後篇ともに丁寧に造られています。
時代を封じ込めたようです。

人情の機微も凄く感じます。
それが、武士という枠組みでの美徳なのですが。

俗にあだ討ちは日本の当時の社会が認めた固有のものというのが、定説です。
あだ討ちとは違うかもしれませんが、武士の気概は特有という声もわかります。
しかし、これらの精神は、
ヨーロッパの貴族や西部劇での精神と変わらないのではないでしょうか。

この作品は、忠臣蔵を浅野家の心を丁寧に再現させることで、
また、周囲の人々の想いを描くことで、
中世から今でも続く、私たちを含め、もしかしたらかなり広範囲で共通の精神を、
映画に納めました。

そして、日本の精神をも描いています。
この意見には賛否両論あるでしょうが、
私自身は、こういう歴史がある日本に生まれたことに誇りを持てますし、
この作品を通して、一層それを感じました。

本物を追求した作品でもあることを聞きます。
素人が観てもそれを感じます。

今もそしてこれからも、
この後から観る者に財産として残る結果をもたらす芸術作品です。

追伸
役者さんたちの台詞や立ち居振る舞いが、
特に内蔵助と助衛門、徳川綱豊、
瑶泉院、戸田局、他にも・・・、
引きつけられました。

【いもたつLife】

日時:2009年06月07日 06:30