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いもたつLife

暗黒街の弾痕

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単なる冤罪から悲劇が起こる話だけの範疇ではない映画です。

夫のエディは、最初は妻に気兼ねしますが、
妻の気持ちが芯からわかるようになります。
妻のジョーは、夫と結ばれることに“ほんの少し”かも知れませんが、
憐れみがあったのではないでしょうか、
それが本物の愛へ昇華します。

誰がみても表向きは不幸ですが、誰でも得ることが出来ることができない、
二人は真に、愛ある夫婦になります。
皮肉にも追われるからですが。

人が生きてゆく中で、心は空虚な時がきっと多いんだ。
と、思います。
現代の多忙さはそれを紛らわしているのかもしれません。

ラストは自由になる代償の多大さを示しています。
そうです。自由を得ることは難題です。
そして、エディは一人で自由を手にしました。
その自由は何の価値もありませんでした。

映画としての出来もすごく良い出来です。
展開のそつなさや自然な流れがリズムよく、
引き込まれて、あっという間の時間でした。

【いもたつLife】

日時:2009年03月10日 07:09

猿人 ジョー・ヤング

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特撮が見物です。「ストップ・モーション・アニメ」
という技法ということですが、並々ならぬ努力を感じます。
1933年の「キング・コング」も素晴らしい技法をみせてくれましたが、
1949年のこの作品もそれからの進化を感じさせてくれます。

今この映画を観ると、キングコングからこの映画の進化、
そして、今はコンピュータを駆使した映像の流れで、
今後ますます、映像の行方が楽しみになります。

キングコングとはストーリーは全く異なっています。
巨大生物の恐れという感じはそんなに現されていません。
しかも結末が違います。
しかし、拝金主義を訴えているのは同じです。

また、映像のスリル感と終盤のジョー(主役のゴリラ)を救う展開のスリル感は、
充分楽しめました。
今ではもう一ひねりを考えるのかもしれませんが、
ジョーと主要な登場人物の心を描くのには充分と思いました。

【いもたつLife】

日時:2009年03月09日 07:14

セーラー服と機関銃

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「野生の証明」で初めて薬師丸ひろ子を観た時の印象は、
役どころもあったのでしょうが、
奥深く何か誰も知らない秘密がある、運命的な生まれながらに何かを背負っている、
かぐや姫的な、不思議な魅力を強烈に感じました。

私にとってはこの出会いが、この女優を決して嫌いにならないことを
刷り込まれたようです。

この映画では、当時17歳ですが、
母のような、マリア様的な魅力を感じます。

最近では、10代のときとは全く変わった、
厚さをみせないようにしているような彼女なんだ。
と認識しました。

映画そのものは、冒険的です。
長回しや、ローアングル、天井をはるかに超える高さからの撮影等。
今観ると、当時席巻していた、角川映画の一面を感じました。

【いもたつLife】

日時:2009年03月08日 09:34

浪華悲歌

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主人公のアヤ子だけが、自分にとりついている病(ゾンビかも)
があることを知っています。
その病の原因は、家族にあるのに、家族は気がつきません。
(臭いものに蓋をしている自分に通じます)

家族だけが最後の崖っぷちを凌いでたどり着いた
安息の地だと思っていたのに、あて外れです。
家族のために染み付いてしまった態度に嫌悪されたからです。
代償なのに。

アヤ子の行動の「何故?」に注意を向ければ違う真実が浮かぶのに、
それを気づく土台がないことがキーです。
日常はそんなものです。

この映画は犠牲を払ったアヤ子に焦点があてられています。
そのアヤ子の行動は小さい世界では絶賛されるのですが、
(家族も認めないので、絶賛しているのは私だけかも知れません)
現実では非常識です。

個人差はありますが、
やりきれない想いをもって生きている時があるのがのが誰しもでしょう。
それを現実として赤裸々に現したこの作品でアヤ子が家に帰って来た時の描写の、
私の印象は、
「当然努力を認められたいさ」
「でも無償の愛もあるさ」
「家族でしょ」(家族団らんを求める)
「やっぱり帰る場所はここ」
「(赤ん坊のように)無防備になりたかったのに」

それらが見事に裏切られます。

これは、家庭でのことと限られません。
生きる上で出会う時の条件ではないでしょうか。
家族でさえこうなのだからということを自覚することが第一歩です。

70年以上前の映画ですが、
シチュエーションもとてもモダンでした。
(この舞台背景はとても先進的でしょう)
それと同じで、今生きることの「生き方」を考える質問を現代にも投げかけています。
そして、「私と同じよ」と笑っているアヤ子をイメージもします。

【いもたつLife】

日時:2009年03月07日 06:57

フーデックス2009

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国内でも最大の飲食料品展なので、毎年1日かけて回ります。

計4日開催の二日間が過ぎた時点ですが、
今年は来場者が少ないとのこと。
親しい出展者から聞きました。
これも不況の影響でしょうか。

今回感じたのは、
ますます個を満たす商品が提供されていることです。

酒呑みとしての感想は、
焼酎が相変わらず元気です。
それとイタリアのオーガニックワインがおいしかった!

【いもたつLife】

日時:2009年03月05日 06:36

稲妻

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特異な家庭で生まれた女性が、自分の宿命を受け入れる話でしょうか?
少なくとも私は、主人公と心が重なりました。
これまでの人生を思うと。

これほどまでに、特異な家庭環境ではありませんが、
生まれてきた時点での、自分の境遇を不満と感じたことはあります。
「なんて身勝手だったのか」と振り返り情けなくなることがありますが、
“同じことをしている自分がいます”

だからこの映画は不変です。

家庭環境の特異さはありますが、
それ以外は、本当によくある設定ばかりで、押してきます。
そして、主人公が理想ととらえる兄妹が現れます。

よくできたシナリオだと感じました。

【いもたつLife】

日時:2009年03月03日 07:59

舞台恐怖症

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真相はどうなっているのか?
鑑賞中ずっと考えさせられます。
最後のドンデン返しに賛否あるようですが、私としては、
充分サスペンスではないかと思います。

ストーリーから推理が多方面に展開されますが、それも楽しいです。
それよりも個人的に楽しいのは、娘と父の関係です

やりとりもよければ、ツーカーな関係も羨ましく、
また、察しがよく、実行力もユーモアもある父親は、
ある意味の理想型です。

世の親父が娘に相手にされないのは、
魅力を磨いていないで、「おやじだ!」と胡坐をかいているからだと、
しみじみわかります。

【いもたつLife】

日時:2009年03月02日 07:02

怒りの葡萄

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100年に一度の大不況という話があちこちから聞こえます。
その前回の大不況のアメリカ中西部の農家の悲惨さが描かれています。

資本主義というシステムがうまく機能できていないから
今も含めてこういう状況に陥るのでしょうか?
経済学で研究され尽くされているのでしょうが、
生き物のように、また、歴史が繰り返すように、
悲惨な状況が訪れます。

自然と調和して永く生きてきた先住民が
本当は現代人よりも生きる術が体にしみこんでいたのかも知れません。

【いもたつLife】

日時:2009年02月27日 07:10

生きる歓び

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「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンとはうって変わった役柄です。
同じ監督で同じ年の製作で違う役柄が楽しめます。

1920年代のイタリアを背景としています。
ファシストとアナーキストを中心とした喜劇ですが、
20世紀前半の国家や個人の精神感が描かれていますから、
単に「わっはっは」という映画ではありません。

平和や自由を強力に前面に謳うのは、どこかずれているそんな気がします。
個人が優先するのは、安全であり、食べることであり、愛する人と一緒にいたいことです。
それと、むやみに人を傷つけたくないことです。

平和と自由を考えさせる要素を入れた喜劇でした。

アラン・ドロンが旗を掲げに高い塔へ登るワンシーンがあります。
シリアスな映像です。
アラン・ドロンはアクションもスタントマンを使わないという話を聞いたことがあります。
スリルがあるシーンです。もしかしたら見どころのひとつかもしれません。

【いもたつLife】

日時:2009年02月21日 07:11

喝采

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「裏窓」を観て以来、グレース・ケリーに首ったけです。
すぐに「ダイヤルMを廻せ」も観ました。

わずか10作品にしか出演していないグレース・ケリーの映画を、
全部観てしまうのが惜しいと思うくらいに、眩いグレースのファンになりました。

そして今回の「喝采」です。
ヒッチコック映画の彼女とは打って変わった演技に脱帽です。
王妃になって多くの民に尽くすのと同じ位に、
王妃にならなくてもスクリーンで多くの民に勇気・希望・憧れを与えてくれる
女優を魅せてくれました。

ストーリーも良かったです。(それが彼女の魅力を引き出したのかもしれません)
不幸を自分の弱さの虎の衣にする心は麻薬です。
それを何とかしたいけれど、本人には無理です。麻薬中毒と同じですから。

主人公を真実支えてくれるのは、この場合妻と、妻ほど主人公を理解していない友人です。
主人公が立ち直れたのは、自分がほんの少し、あとは二人の献身です。
しかし、自分のほんの少しが大きいのです。

支えてくれる人がいることは、とても幸運です。
でもその幸運は人生の中で誰しも平等に何回かは神に与えられているような気がします、
だから、自分のほんの少しは重要だと思います。

【いもたつLife】

日時:2009年02月16日 06:56