いもたつLife
【spac演劇】ハムレット(どうしても!) オリヴィエ・ピィ演出

4人の俳優(とミュージシャン1人)があのハムレットを演じるのですが、要所要所分解して世界的な哲学者の解釈をいれて、ハムレット自体を考察する演劇です。
語りつくされたハムレットを、世界一有名な台詞「To be, or not to be, that is the question.」をはじめ数々のシーンや歴史を踏まえた前後の状況、登場人物の立場等で、シャイクスピアの真意に迫ります。
哲学的な考察ですが、劇はあくまでコミカルでユーモアに溢れています。
そのハムレットの分解を単なる議論の題材として料理しているだけでなく、演劇の素晴らしさにも言及しているのが、この劇の語り方でもあります。
人間の存在とはという大上段な問いを演劇賛歌に軟着陸させていました。
【いもたつLife】
【spac演劇】アインシュタインの夢 モン・ジンフイ演出

アインシュタインが残した手紙とカフカの「田舎医者」を題材に、10人の男女が舞台上で踊りを交えた不条理劇です。
時間が止まったり空間が変化したりが表現されることがアインシュタインの夢足ることで、「田舎医者」が断片的に語られるのも夢の世界でもあります。
さて時間や空間がままならないこの世界に自分の身が置かれたらと問われているように感じます。そこには実は日常は変わらない、やはりこの世はままならないと言わんばかりです。
劇の最後10人の男女は、この空間にいる衣装を日常着に着替えて旅支度をします。
そうです、そこから抜け出すのも自分次第なのです。
物理学は哲学でもあります。この劇は抽象的に生き方を語っていました。
【いもたつLife】
THE FIRST SLAM DUNK 井上雄彦

ところどころ実写ではないかと思えることに感動です。アニメだから人物の動きや造形を自由にできるからこそ、バスケットボール素人がみていると、実際のプロの試合よりも、バスケットボールって、こういうスポーツなんだと解るように造られているようです。
物語はスポーツものとして王道です。男臭くてシリアスで、時折のユーモアがそれをより味合わせてくれます。
観て良かったです。
追伸
4/6は「清明」です。二十四節気更新しました。
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清明
【いもたつLife】
【国立劇場 3月歌舞伎】入門 源氏の旗揚げ/一條大蔵譚/五 條 橋

「平家にあらずんば人にあらず」の頃から、牛若丸と弁慶が五条橋で出会い義経が「源氏の旗揚げ」をするまでの芝居です。
虎視眈々と源氏再興を狙う大蔵卿と常盤御前を描く前半から後半は牛若丸の艶やかで力強い舞です。
平家側は大蔵卿も常盤御前も疑っていて二人はそれを前提条件に耐え眈々と準備をする、その駆け引きは創作ではありますが、心をそそらせます。
歌舞伎では源平の時代物がおなじみですが、史実になぞっていることに加えて工夫をこらした脚本にしているから人気があるわけが解ります。
そして同じ演目でも、いつだれが出演し、どんな演出を凝らしたかという本歌取りの要素がまた良いです。しかし、まだそれを味わえるまではできませんが、そんな視点での鑑賞も面白いです。
【いもたつLife】
【3月大歌舞伎】髑髏尼/夕霧 伊左衛門 廓文章 吉田屋

髑髏尼は、新歌舞伎というジャンルになるそうで、その通り現代劇にかなり近い演出でした。それでも歌舞伎ならではの舞台、衣装です。物語も歌舞伎らしく源氏と平家にまつわるもの、新中納言局が、平重衝との間の忘れ形見の髑髏を常に抱えていることから髑髏尼と呼ばれています。寺守の七兵衛という醜い男が髑髏尼に恋こがれています。
シチュエーションからしてゾクゾクし、案の定に悲劇です。その悲劇は情念が巻き起こしていて、そこには昔の日本人の美徳を感じます。
夕霧はダメ若旦那 伊左衛門と恋仲の花魁。伊左衛門と夕霧との廓話で、夕霧の衣装が艶やかで豪華なところが見どころです。また、コミカルで楽しい芝居です。
ハッピーエンドは良いのですが、伊左衛門のその後が気になります。
登場人物に、吉田屋の主人が出てくるのですが、金の切れ目が縁の切れ目にしなかったことから、吉田屋には福が来ます。世の中上手くできています。
【いもたつLife】
【SPAC演劇】人形の家 宮城總 演出

ノーラが“ねばならない”で生きてしまう超自我に支配されていたことを身に染みてしまい、ヘルメルに言う台詞、「3人の子供たちは人形で遊び、私は子供たちと遊び、あなた(ヘルメル)は私と遊んでいた」。
ではヘルメルは誰に遊ばれていたのか、この劇では戦前の日本が舞台ですから、当時の社会を支配ししてた大日本帝国軍ということになるのでしょう。
いつも社会は、生きやすくするために“ねばならない”をいつの間にかたくさん我々に植え付けます。それは秩序のため、経済のため等々、多分それで我々が多くの恩恵を受けているし、安全も確保されていることでしょう。
ではその“生きやすさ”はその時代時代で誰が何のために決めているのか?
歴史はそれが機能しなくなった節目を、例えば徳川政権が、例えば明治政府が、例えば大日本帝国の敗戦が教えてくれます。
このspac版人形の家は、また日本が今後どこに向かうのかに“盲目にならない”ことを声高に伝えているようでした。
【いもたつLife】
日本の名句・名歌を読みかえす 高橋順子 著

誰もが知る名句・名歌が美しい背景に乗せられていて、その句の背景と作家の生い立ちが解説されています。
句ができるまでには、その作家が歩んできた人生がある訳でそれはどちらかと言えば苦悩です。だから名句は多くの共感を呼ぶのでしょうし、普遍でもあります。
それをさらっとした感じで紹介されていることで、様々な情景が浮かびます。
同時に日本語の良さも改めて認識できました。
【いもたつLife】
【シネマ歌舞伎】二人藤娘/日本振袖始

生観劇とシネマ歌舞伎の違いは、役者を衣裳をアップで観れるところです。この演目二つはそれがあることで十二分にシネマ歌舞の価値ありです。
二人藤娘は、坂東玉三郎さん、中村七之助さんが美しい。うっとりします。
打って変わって日本振袖始では坂東玉三郎さんが醜い八岐大蛇になります。そして豪快でもあります。それに立ち向かスサノヲの尊の中村勘九郎さんが格好よい。立ち回りも迫力ありでした。
冒頭では坂東玉三郎さんの二つの演目の解説が入りました。これもシネマ歌舞伎ならではでした。
【いもたつLife】
【SPAC演劇】人形の家 宮城總 演出

同じイプセン原作の「ペールギュント」のspac演劇(宮城總演出)の舞台は、オセロ盤を用いていますが、この「人形の家」でもその側はそのままに、それをパズルとしています。
この劇は1935年の日本に置き換えられていますから、パズルのピースは当時の家庭内の家具等になっています。
それが少しずつ壊れていく、それはノーラ自身であり、ノーラとヘルメルとの関係であり、この家庭でもあります。
ヘルメルは最低の男です。自分の保身に全精力を傾けているような男です。ノーラへの愛し方も、経済的に十分なら、優しければ、社会的な地位があれば、それで必要十分条件が満たされてるはずだろ、という愛し方であり、ヘルメルはそれに何の疑いも持っていません。
ノーラもそれが愛され方の当たり前で自分は幸せと心から満足していました。
この劇で繰り広げられる3日がなければです。
ノーラは自分自身の存在そのものが尊重されていなかったことに気付いてしまった。ヘルメルの愛し方はノーラそのものではなく、ノーラが自分の保護の下で自分の思う通りのことをそつなくこなす、そして自分を含めた子供たちの良き妻・母であることに対して、これ上ない女性である、愛する対象であるとしていたのです。
二人共疑うことがない植え付けられた価値観で生きてきたのですが、ノーラだけはそれが幻想だったことを身に染みてしまったのです。ノーラは家を出てこれから苦難をたくさん迎えるでしょう。でもなぜこの世に授かったかは揺るがないのではないでしょうか。
でもこれを観劇して一番怖かったのは、ヘウrメルの最低の行為に私が共感できてしまうこと、ヘルメルの気持ちが解ってしまうことです。最愛の妻ですらその存在を愛おしく想っていないのはヘルメルと変わらないではないかと愕然としました。
植え付けられた価値観なんか糞喰らえを常に嘯いていた己はなんだったのか、ぐうの音もでませんでした。
追伸
2/19は「雨水」です。二十四節気更新しました。
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雨水
【いもたつLife】
【SPAC演劇】リチャード二世 寺内亜矢子 演出

観劇後のアフタートークで、司会の方が「格式が高いと思われているシェークスピアを、翻案しないで、当時のままを再現しているのにも関わらず、ちゃんと伝わっている」と正確ではありませんが、話されていました。
私も同感で、そのために様々な工夫がなされていました。
「リチャード2せ」は登場人物も多く2時間20分の上演時間でも端折らなければならない多くの情報を伝えることが必須です。
そのために、舞台と観客をつなぐ案内役(永井健二さん)を置きました。またキャラクター作りも当時の貴族を当てながら親しみやすくなっています。
舞台も観客にその場面に囚われさせないシンプルでかつ機能的で、観客がそれぞれの幕にやはり入りやすくなっています。そして時折ユーモラスに振舞う。
劇自体はとても辛辣です。
リチャード王は蓮力者としての嫌な部分、ダメな部分を晒します。その王にとって変るボリングブルックもりリチャード王を反面教師としているわけではない、国のトップとしてどうなのか、という人物です。
でもそれが真実で、普遍です。
歴史にはそんな為政者ばかりではありませんが、それは、その環境に左右されている要素が大きいと、またまた感じてしまいます。
それはさておきこの“リチャード2世” 美術、照明、演技どれをとっても、とても完成度が高いSPACらしい作品でした。
印象に残った一つは“雨漏りバケツ”です。劇自体の不安な政情や人物たちの隠れた思惑の不安定さの象徴として観ていたのですが、それとは別に演出の寺内さんは、「この劇場で実際に雨漏りがあったのをヒントに、舞台と舞台外部をつなぐ役割(劇場内の舞台外にその場所に同じバケツがありました)を担わせたかった」とおっしゃっていました。
それには気づきませんでしたが、そのバケツ、とても良い効果だと思いました。
あるだけで不協和なのです。
他の気になることを消し去って劇に入り込む後押しでした。
【いもたつLife】