いもたつLife
【9月 大歌舞伎】仮名手本忠臣蔵/藤戸

忠臣蔵の七段目です。由良之助が花街で興じていてその真意を敵味方が計る段です。
お茶屋で遊女おかるは由良之助の密書を観てしまい真意を知り、そのため仇討に加わりたいと由良之助に直談判に来た足軽の平右衛門に殺されそうになると、実は平右衛門とおかるは兄妹だった。また、おかるの夫勘平は仇討が叶わなかったり、父は、由良之助の真意を量りに来た九太夫に殺されてたりと、事実は小説より奇なりの逆設定なのですが、これが面白さを何倍にもしています。
それを具現化しているのが歌舞伎で、昔から嬉々として忠臣蔵を観ていた人々の一人に、私も加わりました。
藤戸は能の「藤戸」を基にした舞踊劇でした。
前半は能を想わせ、中盤は狂言の様、そして終盤は重厚で重層な歌舞伎らしい舞踊です。
劇と踊りと演奏と台詞廻しが場面場面で様々で、どれも出色で、今まで観てきた歌舞伎の舞踊劇の中でも最高峰の舞台でした。
【いもたつLife】
シネマ歌舞伎 野田版 鼠小僧

歌舞伎役者を演者にした、鼠小僧を題材にした、野田劇場でした。
鼠小僧も、代官(大岡越前)も歌舞伎版とは一癖も二癖もある人物になっていて、人情味も合って冷徹という、あり得る人物で、他のキャラクターも同じくで、それらを縦横無尽に走らせます。
スピーディーな喜劇に仕立ててあります。そしてほろっともさせます。
歌舞伎役者の芸達者ぶりも楽しめます。
【いもたつLife】
刀剣x浮世絵 武者たちの物語【静岡市美術館】

浮世絵の中でも武者のものばかりを、しかも「平家物語」にまつわる浮世絵と、数々の刀剣の展示でした。
平家物語の史実と伝説は歌舞伎をはじめとした多くの娯楽作品になっていますが、そのどれもがなじみのあるものばかりです。それを伝える浮世絵を観ていると、もう何百年も前の方々たちも、今の私達も、同じ題材で喜怒哀楽を感じる、求めるということを実感すると感慨深くもなりました。
刀剣の歴史も知れて、こちらはその時代により求められる機能で変わってきたことが解ります。当たり前ですが盲点でした。
刀と言えば時代劇の殺陣が頭に入っているからでしょう。
とても多くの展示があり疲れる程見入ってしまいました。
【いもたつLife】
シネマ歌舞伎「女殺油地獄(仁左衛門)」

一世一代の名舞台でした。
シネマ歌舞伎だから観ることができましたし、
シネマ歌舞伎だから仁左衛門の所作も仕草も表情もズームアップで観ることができます。
そして、それを活かすのは浄瑠璃と、相手役です。
みていて仁左衛門の寿命が縮まるのではという鬼気迫る舞台は、こちらまで動機が高まります。
凄みがある歌舞伎でした。
単なる市井の凡人が狂気に変わっていく怖さは、他にもありますが、この上ない切実さでした。
【いもたつLife】
【6月 大歌舞伎】ふるあめりかに袖はぬらさじ

お園(玉三郎)が出ずっぱりの一人芝居ともいえる歌舞伎で、
内容はシニカルでコミカルです。
長年多くの舞台で上演されていたことが納得の普遍的な話です。
舞台は幕末。
遊女の亀遊がアメリカ人に身請けされるという話になり、
恋人と添い遂げられなくことを悲観して自害します。
その真相とは違う瓦版がきっかけで、亀遊は伝説の攘夷の遊女として祭り上げられます。それは店にとって格好の宣伝になります。また最初はそれを否定していたお園ですが、皆が“伝説の攘夷の遊女”に対して、夢や希望や慰めや野次馬根性など、それぞれを多くの人が求めるために、次第にお園はそれに応えるため“伝説の攘夷の遊女像”をどんどん脚色していきます。
面白いけれど怖いです。
こうやって事実と真実がかけ離れていくのです。
でも、お園は、最後には亀遊の元の姿を想い憂います。
お園の演じ方で、この芝居は多くの面が出てくるから、そして普遍的だから、多くの舞台となっているのでしょう。
玉三郎お園も魅力的でしたが、他のお園も観てみたくなりました。
【いもたつLife】
【5月 大歌舞伎】市原野のだんまり/弁天娘女男白狼

日々の生活の中や、他の芸能、演劇や落語に歌舞伎からのモノがあることを最近感じますが、“だんまり”も歌舞伎の様式と知りました。
暗闇で演者同士は全く見えない、時折月明りで見える、その約束で観客が察するのは何とも粋ではありませんか。
この“市原野のだんまり”短い演目でしたが歌舞伎の醍醐味が十分でした。
“弁天娘女男白狼”も物語として面白いです。今回は二場面の上演でした。他の場もみたいです。
そしてここでの口上も、落語の“居残り佐平次”で引用されています。
その台詞を始めて聞いた時、耳に馴染んでいましたが、当然“弁天娘女男白狼”を知っていたわけではありません。ここでも歌舞伎と庶民の生活の接点をみました。
クライマックスは五人の台詞と見得ですが、前半はそのお膳立てで、ここが今回の場面以外でも効いているとのことで、もう是非みたいです。
【いもたつLife】
【spac演劇 星座へ】

日本平の麓の森が会場の観客参加型の演劇です。
10人ほどのクループに分かれて、日暮れから夜にかけて森の中に設営した舞台で3つのパフォーマンスを体験します。舞台といっても軽く草を刈り、ほのかなランプの灯りに浮かんだ俳優のパフォーマンスを切り株に座り見入ります。
どんな演芸があるかは知らされていませんし、少し離れたところでは別の演芸が行われていて、時にはその音やざわめきが聞こえてきます。もちろん森の中ですから、暗く、風の音、木々のこすれる音、虫やカエルの鳴き声の中で、演技が始まるとそれが響きます。また共鳴もします。
自然は遠いモノになってきています。その非日常の中で、演者の抽象的な表現を感じることで人も自然の存在の片鱗があることが魂に落とされるような体験でした。
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【spac演劇 ギルガメシュ叙事詩】宮城總 演出

二回目の観劇だと役者の動きをじっくりと追えます。
一度目で印象に残ったのは、衝立を縦横無尽に設定することで、様々な舞台設定とすることと、登場人物を消すことです。
ムーバーとスピーカーと伴奏を担当している以外の役者がそれらを行うのですが、spacの劇では一人の役者がそのどれをも担当します。
ですからこのギルガメシュ叙事詩でもその場面設定で、大人数で舞台上で演じる時、主役と少人数の舞台でスピーカーが複数での時、演奏に重きを置く時と、それぞれの比重の置き方の違いで配置する人数が異なります。だから役者の動きを注視するのも楽しみです。
今回は衝立で進行中に舞台を変えていくので、その動きがひそやかで素早く、もちろん他のパートも進んでいるわけで、それらを追うのが、それをみながらの鑑賞に見応えがありました。
人形師との息も合っていて、それだけでもかなりの稽古をしているのが解り、完成度が高いギルガメシュ叙事詩を感じることができました。
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【spac演劇 私のコロンビーヌ】オマール・トマス 演出

オマール・トマス氏の独り舞台です。
セットも簡素、衣装もありきたりで、でも目の前にはパリが広がりそこにオマール・トマス氏がいます。そして彼の彼自身のこれまでを演じます。落語を連想させる演劇です。
とにかくユーモラス、ところどころ日本語も披露し親近感もあります。
表情が多彩、声色を変え、仕草も可愛く観客をひき込みます。
私が感じたのは、人生は大変だけどこれまで頑張ってきたのではないか、です。
劇場のあちらこちらで笑い声や小さな歓声があがる、楽しい演劇でした。
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【spac演劇 ギルガメシュ叙事詩】宮城總 演出

古代メソポタミアで伝われていた神話「ギルガメシュ叙事詩」を現在のspacが演じることができる術を集めた音楽劇であり、もうひとつの見どころは、世界で活躍する人形劇氏の沢則之さんが操る人形が登場することです。
spacはもう十八番といえる演者と口演者の分離で、演者は魅せるそして、口演は複数人で台詞を重ね合わせます。それが演者の心情を、演じる姿に加えて深みを与え、また、物語の骨子を暗示し深みをもたらせます。
人形は、この神話の中に登場する畏敬の存在のフンババと、文楽の人形を想わせる船頭と、そしてもう一体はなんと人と人形を融合させています。
フンババは前半のクライマックスといえるギルガメシュ王の活躍(これが長い目で見れば活躍かはわからないのですが)場面で壮大な神の遣いとして現れます。
船頭は日本の古典そのものを連想させるモノ、融合された人・人形は人なのか神なのかこのギルガメシュ叙事詩が神話であることを強調する存在です。
舞台は複数の衝立を縦横無尽に使って、各場面の背景を想起させます。
今持てるspacの出来得ることを具現化した壮大な紙芝居であり、また文楽と歌舞伎の技能も随所に取り入れられている見事な演劇でした。
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