米探訪記
米産地へ0909 登米地方
関東平野とは違う広がりがある米産地です。
米沢盆地や会津盆地とも違った趣です。
ここに点在している湿地は、
ラムサール条約に登録されているものもあります。
今年も南から北へ米産地をまわり、
総じて感じたことは、稲作も高齢化で、
担い手の心配がもうすぐそこまで来ていることです。
特殊な農法ほど若い農家ですが、
大部分をしめる一般栽培の農家は明日廃業してもおかしくない
そんな雰囲気がありました。
湿地を守るのと同じく、
日本の稲作が良いかたちで続いてゆくことを願います。
【米探訪記】
米産地へ0909 たきたて
宮城県お勧めの「低アミロース米」です。
粘りが強いお米です。
この稲には白いところがありますが、
スズメが食べた跡です。
スズメは隣のひとめぼれよりも
こちらの「たきたて」が好きなようです。
品種だけでなく、栽培もちゃんとみているようですね。
有機栽培の「たきたて」です。
「たきたて」ってなかなか良いネーミングです。
【米探訪記】
米産地へ0909 黒米
登熟=受粉してから実が実り、とれるまでが
普通のお米よりも速いことを知りました。
また、思っていた以上に背が高くないことも
知りました。
古代種なので、背が高いかと勝手に考えていました。
古代種だから、熟すのは速いのかと推測もしました。
ひとつの確認から、いろいろな思考が生まれる楽しさを感じます。
稲を見てまわり、ほんの少しの違いの裏側には、
たくさんの要素があることが少しずつわかってきたような
気がします。
【米探訪記】
米産地へ0909 有機ササニシキ
ササニシキが絶滅危惧種じゃないか位の昨今、
本場の宮城県でもその作付けがめずらしくなっています。
有機栽培となれば輪をかけて希少です。
ササニシキがひとめぼれに変わった理由は、
簡単に言えばつくりやすさです。
もうひとつは、等級検査です。
ふたつを同じようにつくった場合、
ササニシキは2等になる確率が、ひとめぼれをより高いという
品種特性があります。
お客様がササニシキを食べたいという希望があっても、
それが無視されます。
米の検査制度の弊害のひとつの現れですね。
【米探訪記】
米産地へ0909 川西町の稲作
ここに来て、稲作の話を聞くと、
何十年も有機栽培に手を尽くしていたことが、
話からにじみ出てきてわかります。
そして勉強になります。
化学肥料と農薬に頼らない稲作は大変ですが、
それ以上に、一般栽培している農家さんたちの意識を変えるのは、
相当の忍耐と、大丈夫と言う結果を出し続ける必要があります。
結果というのは、大変な労力に見合う
*おいしさであり
*収量であり
*それが続けられる証明であり
*出荷できる安心であり
*見合った価格 等々です
ここで話をしていると
有機で ほしいも をつくることを
大いに励まされます。
【米探訪記】
米産地へ0909 雪みず田んぼ
私が言うのはおこがましいのですが、
日本の大手ファミリーレストランの中にも、
骨がある企業があります。
お付き合いしている山形県川西町の生産組合が
生産している有機米を
積極的にメニューに取り組んでいる企業があります。
大手ファミレスと言えば、価格重視になってしまう中、
有機米をお客様にという精神に拍手です。
この企業もすばらしいですが、
その良さを訴える生産組合側にも拍手です。
ただその根底には、「雪みず田んぼ」のお米のよさがあるからでしょう。
その努力が大本ですね。
【米探訪記】
米産地へ0909 会津有機米
有機栽培のネックは除草と病害虫です。
除草は努力との戦いですが、
病害虫は手の施しようがありません。
でも工夫はできます。
そのひとつが「適期に植えることです」
ただこの「適期」の見極めが難しい。
毎年 何月何日ころと決まっているわけではないからです。
気候は毎年違いますから。
経験と勘がものを言うのですが、
手引きもあります。
「旧暦」です。旧暦は農業暦です。
旧暦は先人が作り上げた芸術品だと私は思っています。
【米探訪記】
米産地へ0909 きゅうりの老木
有機栽培のきゅうりです。
普通なら夏一杯で収穫を終えてしまうのですが、
少しすつですが、まだ実をつけるので、そのまま収穫しています。
(会津の有機農家のきゅうりです。お米もつくっています)
その味は、若いきゅうりは青甘いのですが、
このきゅうりはその青味が抜けた甘さでした。
これよりも年をとった老木きゅうりもありました。
初夏で収穫が終わるものです。
そちらはもっと甘くなっていましたが、
ほとんど収穫はできなさそうでした。
こういう年のとりかたをしたいものです。
【米探訪記】
重要文化財のそばや
京の都に近いことを感じます。
近江八幡は人口6万、大都市ではありません。
いつも田んぼに来ますから、田舎に来た感覚です。
ここは昔の豪農か大商人の家だったのでしょう。
広くて見事な造りの日本家屋です。
そして今はそばやさん。
言葉も京都を感じますが、街並みを散策すると、
京に近いことがわかります。
八幡山からみると都がすぐそこです。
地理的に近いだけでなく、文化も影響され影響したのでしょう。
【米探訪記】
米産地へ0909番外編
近江八幡へは何度きているかわからないのですが、
八幡城址に初めてゆきました。
にぎわっている観光地なのでちょっと驚きですが、
物知らずということでしょう。
関白となった豊臣秀次公が開いただけあつて、
見事な眺めでした。
琵琶湖はもとより、近江平野が一望できます。
比叡山と安土城址も目の前です。
領主と農民・商人たちとが同じ路を目指す姿が想像できます。
戦国から平和になる最終過程を感じることができます。
【米探訪記】