銀幕倶楽部の落ちこぼれ
アメリカン・グラフィティ 1973米 ジョージ・ルーカス
60年代前半のアメリカの田舎、
高校生達の別れの前夜、4人の男を主に、
大人になる前の一夜を映します。
ストーリーはありません。
若者だからこその無茶や大真面目な行動を映します。
ただ全編、オールディーズとウルフマン・ジャックのDJが流れる
タイムカプセル映画です。
誰もが経験した大人になりきれない頃の
恋愛、友情、別れ、悪さ、真剣さ、ずるさ、幼さ、苦しさ、楽しさ 等
の心が一夜に込められています。
ストーリーはありませんが、各所に入れてある小さなドラマは、
レモンをかじるような痛さと懐かしさがあります。
また、クルマ好きの方も興味深いクラシックカーが出てきます。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
世界最古の洞窟壁画 35mm 忘れられた夢の記憶 2010米 ヴェルナー・ヘルツォーク
南フランスで1994年に発見されたショーヴェ洞窟の
世界最古の壁画の映像と、それにまつわる監督自身の考察です。
3万2000年前の南フランスは、氷河期で、
人々は、今は絶滅している、野生の牛、馬、サイ、ライオン等を
壁画に描きました。
壁画とこの洞窟の中の空間は、何千年もの時間の記録として残されています。
この中での厖大な時間の痕跡の謎は、
今、この時点では推測するしかありませんが、そこは神秘な世界で、
想像をめぐらせると人の根源まで想いが至ります。
なぜ壁画を描いたのかを解く鍵として、映画後半にアボリジニのことが語られます。
彼らと私たちは、同じ人類ですが、
精神的には全く違います。
氷河時代にここにいた人類も、
私たちとは違う生きる哲学があったことは
映像からも伝わります。
洞窟そのものも極めて貴重で、
少数の研究対象者以外が足を踏み入れることができないものです。
考古学等の研究資料としての価値もものすごいものでしょう。
それと同時に、
この壁画は人の根源を探る行為の一助になりえます。
事実この映画でもそれに対する言及がありましたし、
私も映像からそんな想いを持ちました。
追伸
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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
陽のあたる教室 1995米 ステーィヴン・ヘレク
1965年から30年間の高校の音楽教師の半生です。
2時間ちょっとで30年間なんて、あっという間ですが、
ある程度の年齢なら、これくらい速いのが人生と感じるのではないでしょうか。
映画は教師と生徒のいくつかのエピソードと、
30年間のアメリカの出来事を織り交ぜて進行します。
ラストは、とてもハリウッド映画らしかったです。
教師は与える仕事です。
教え子を磨きます。それと同時に教師自身も葛藤し、磨かれています。
ラストのエピソードにつながる原因は、
音楽授業の廃止なのですが、
それに対して主人公が猛烈に批判します。
音楽の素晴らしさを、その恩恵を最も受けたのは教師自身だったのですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
孤島の王 2010諾/仏/瑞/波 マリウス・ホルスト
1915年、島全体が少年院となっているノルウェーでの実話が基の映画です。
ノルウェーにとっては負の歴史でしょう。
どこの国にもそういう歴史はあります、そして伝えておくことはとても大事です。
閉ざされた少年院内は、自由がないのはもちろん、不条理で人格も否定されます。
大人たちのエゴや支配欲や汚職の世界で、
更生の心もありますが、つけたしにしか見えません。
少年達は厳寒の地で、大人たちのための労役をし、
性的虐待まで受けます。
食事も粗末、凍死寸前まで追い込まれることもあります。
ある時、目に余る寮長を解雇したかに見えてそうではなかったことで、
反乱が起こります。
抑えるだけ抑えられていた人間否定からの反発が爆発し、クーデターです。
しかし、軍隊の出動で一晩で鎮圧されます。
人の尊厳を問いかける映画です。
力では屈折させることができないことが、
この島でも起きていました。
1900年代の前半に世界のあちこちで起きた、
人類全体が超えるべき心があり、
その一介の事実です。
その超えるべきものを手にしていない現在まで、
これと同じことが繰り返されています。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
まごころ 1939日 成瀬巳喜男
昭和14年の作品ですから、プロパガンダ色がありますが、
それをも逆手にとっています。
冒頭の婦人達のデモ、劇中のバンザイ、
召喚令状、ラストの出征のバンザイ、
あたりにそれを感じますが、
本題は、深くて優しい人間模様を映した映画です。
主人公は小学六年の仲のよい女の子二人、
金持ちの子(父が、高田稔)と、母子家庭の子(母が、入江たか子)です。
高田稔と入江たか子は好き同士だったのですが、
結婚しないという過去がありました。
高田稔は金持ちの家に婿養子に入ります。
その妻は二人の過去を知っていて、とっても、今でも嫉妬しています。
亡くなった入江たか子の夫は、どうしようもない男だったこともキーです。
ふとしたことで、女の子二人は、
それぞれの親の過去を知ります。
当然、自分の親のことですから不安になります。
二人は生まれた経緯を考えます。
暴力の父親だったことを知った少女は、
もしかしたら高田稔が父だったかもしれないと思考します。
また二人の少女は、(金持ち家の)父母の確執を心配し、
(母子家庭の)母と高田稔の今の気持ちを恐々と察しようとします。
何気ないドラマをサスペンスのようにし、惹きこみます。
登場人物の視線とシーンのつなぎのリズムが、台詞以上に心の声を伝えます。
そして、小道具のフランス人形のやりとり、
しかもそのやりとりの発端となったケガが、
ラスト前の少女のあのシーンに活かします。
実に見事な演出です。
また、風景も綺麗に撮れています。
少女二人が遊んだり泣いたりするシーンも綺麗です。
思いやりがあふれるシーンが多いのですが、
母子家庭の祖母が、少女の亡き父をなじる台詞や、
高田稔が、嫉妬でどうしようもなく卑しく落ちた妻に浴びせる言葉は、
(この妻が最初に担任に語る言葉の嫌らしさがここで生きます)
かなり辛辣で、「まごころ」とはかなり離れています。
その落差がサビのように利いていて、
こちらの心に響きます。
この作品も成瀬巳喜男らしいし、
素晴らしい一本でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
故郷は緑なりき 1961日 村山新治
佐久間良子が主演の純愛物語です。
まだあどけなくて、可憐です。
セーラー服の高校生役ですが、
純粋で一途な役通りの可愛さです。
主人公の二人は高校二年で、
同じ街の男子校と女子高です。
男女恋愛が正々堂々と禁止されている時代(昭和25年頃)の話です。
メインは二人が密かに、けれど、
しっかりと将来(結婚すること)まで考えて、
勉強もしっかりとやっている高校時代です。
彼が東京の大学三年になっていて、
故郷の彼女に電報で呼び出される場面からスタートし、
なぜ呼ばれたかがわかり終わります。
二人はこれから、もう少しで念願がかなう時に、
突然、本当に唐突に彼女が急死して終わります。
純粋な二人が引き裂かれる残酷な終わり方です。
二人の雰囲気が、応援したくなる感じで、
最後がどうなるかと観ていたのですが、
あっけなく終わりました。
そのラストで何を感じたか。
人は愛する者がいるから律していられることでした。
人として真っ当でいられるのは、
信頼できる相手がいるからです。
そして、それだけで他は食べていければ不足なしです、本来なら。
ところが、人は相対的に幸せを望もうとします。
自分達だけが貧しいことに我慢が出来なくなります。
そして、もっと怖いのは、
相手に何もしないのを自分の怠惰と感じてしまい、
なんだかんだ余分なことをしようとします。
物にすがるのが良い例です。
ただいるだけが二人のためで、
それは変わらないのに、
相手のためになにかしないと、自分が居ることに意味がないと思ってしまうのが、
人の性なんだと、
純粋な二人を観て思いました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
青べか物語 1962日 川島雄三
「洲崎パラダイス」では、ダメダメな主人公のカップルが、
街の人々と触れ合います。
「貸間あり」では、なんでもできる主人公が長屋の仲間と触れ合います。
そして、その主人公は川島雄三自身であると察しています。
この映画は、もっと大きい舞台、戦後の浦安(映画内では浦粕)の街中を舞台に、
そこの人々の生き様をとらえます。
そして、主人公の森繁久彌はやはり川島雄三の分身です。
けれど、東京から来た作家で、街の傍観者なので、
「貸間あり」の川島雄三とは違う部分の分身です。
傍観者としての視点で、街中を少し俯瞰しながら、
貧しい庶民を多くのエピソードを交え実に見事に表現しています。
川島雄三の映画となると点数が甘いかもしれませんが、
見事な作品です。
ここの一癖も二癖もある住人は、喜喜として生き生きと暮らしています。
時に爆発するかのような生き様です。
そこには先がないことを察している世紀末的な雰囲気もあります。
それを傍観しています。
これまでの川島映画でもその雰囲気がありましたが、
それが顕著です。
移りゆく時代、
良き浦安がなくなること、人情が希薄になることへの警鐘を超えた怒りを、
笑いに変えて映画に魂として吹き込んでいます。
随所のシーンでそれを匂わせて、ラストのショットで確定させます。
ただしただ憂いているのではありません。
世の中が変わることを否定ではなく、
冷めた視線で映像に収めているのです。
そして、そこにいる庶民(弱者)は一筋縄では行かない弱者ではない、
とエネルギッシュに描く、
川島監督の人に対しての熱い気持ちも伝わって来ます。
人なんてしょせん、卑しくて、自分勝手で、嫌らしくて、愚か、
だからなんだ。
それが当たり前なんだからそこから始めよう、
切ないエピソードもあるけど生きていれば色々あるさ、
この映画を観ればわかるだろ。
と自分を肯定された映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
灼熱の魂 2010加/仏 デニ・ヴィルヌーヴ
中東のある国の内戦での悲劇をモチーフに、
暴力・復讐・怒りの連鎖をテーマにしています。
主人公は、双子の姉弟ですが、
彼らの母の生き様がこの映画の主です。
母が亡くなり、遺言で、姉弟には父と兄がいることを知り、
探すことになります。
その旅は母の人生と、争いの連鎖を追及する旅になります。
そして真実が明かされます。
非常に重いテーマに、オイディプス王の悲劇が重なります。
深く探求される内容が盛り込まれていて、
映画の進行もサスペンスのように惹きこまれる上手さがあります。
とても良い映画です。
ただ、ちょっと引っかかるのです。ほんの少しですが。
母の愛により怒りの連鎖が終焉することで物語は幕を閉じますが、
そこが腑に落ちないのです。
これは多分、中東情勢を知らなすぎるからだと思いますが。
また、実は母の死があり真実が明らかになる。
ここで連鎖が止まるのか、なにかここからが勝負とも思えてしまいます。
まあこれらはちょっと余計なお世話な感想だとも感じます。
物語が壮大な繰り広げられることと、
宗教の対立からの紛争の映像がとてもリアルな故に感じてしまうことも一因でしょう。
この映画はやっぱり、中東のある国の内戦での
『オイディプス王』であったことを私的には解釈しました。
追伸
昨日は「立秋」でした。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
二十四節気「立秋」の直接ページはこちら
立秋
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ひき逃げ 1966日 成瀬巳喜男
交通事故を扱った映画が多い晩年の成瀬映画の中でも、
題名どおり、交通事故そのものがテーマになっています。
けれど成瀬映画らしい、女の怖さが描かれます。
また、交通事故のシーンを省略していない点もめずらしく、
また、他の作品には観られない撮り方もしています。
子を失った主人公の高峰秀子が、ひき逃げの真犯人の司葉子を追い詰める、
その各所のシーンは女の怖さ、執念、でもやりきれなさを嫌ってほど感じさせます。
司葉子もひき逃げ以来の怯え方と、最後の悲劇の安堵の顔(演技)は特筆者です。
そして小沢栄太郎もこの人はなんて憎たらしいのでしょう。
交通事故という社会問題から入り、女の情念のサスペンスになり、
ラストに、主人公の辛い姿で、もう一度社会問題を提起して出口とした構成です。
成瀬映画としては異色かと想わせる感じもありますが、
同じ年代の「女の中にいる他人」と重なる人の内面が醸されている作品です。
成瀬巳喜男ファンでしたら、これも見逃せないでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
新しき土 1937日/独 アーノルド・ファンク、伊丹万作
日本を欧米に紹介する映画です。
その主人公に抜擢されたのが当時16歳の原節子です。
原題は「侍の娘」で、
日本女性が持つ秘めた強さと良妻賢母プラス国際的な美しさで抜擢でしょう。
映画は、日本の名所巡りです。
次から次へ風光明媚な映像です。
それと、日本文化の紹介です。
物語はあってないようなもの。
欧米的な考えと日本の考えを折衷させている感じです。
そして、だいぶ強引に日本の満州国を肯定しています。
さりげなく、ハーケンクロイツも宣伝されています。
撮影はかなり綺麗で、
保存状態も良く、記録としての価値は高いでしょう。
もう一点、
円谷英二の特撮も楽しめます。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】