銀幕倶楽部の落ちこぼれ
女の歴史 1963日 成瀬巳喜男
昭和10年位から昭和40年位までの東京と、
戦前戦後の混乱に巻き込まれ、
夫を戦争で亡くし、一人息子までも亡くす悲劇の女性の物語です。
まず、戦前から戦後間もなくにかけてのセットが素晴らしいです。
(他の成瀬作品同様ですが、際立っています)
そして、主演の高峰秀子は本当に素晴らしい。
他にも充実の役者陣です。
悲惨な出来事が続くのですが、
主人公の義母役の賀原夏子のコメディーな演技が、
場を和ませるのと同時に、真実味を感じさせる演出です。
戦前から迷走し、敗戦で価値観が変わり、
そして混乱、そして立ち直る日本の姿も、
この映画に出てくる強くて逞しい女の姿と重ねているようです。
ラストも生きる辛さを切り抜けることの貴さと、
希望が込められています。
鑑賞後もジーンと来る映画です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
アニマルキングダム 2010豪 デヴィッド・ミショッド
犯罪者一家から抜け出した母が、薬物中毒で亡くなり、
主人公は、母の実家の犯罪者一家に戻ります。
そこで生き残るためには、ボス猿になるしかなかった。
(最後にわかります)
終始、主人公(少年)のみが脅かされます。
犯罪者一家の邪魔者として、警察の邪魔者として、
その宿命をどう受け止めているのか、
そもそも受け入れているかもわからないのが無機質な主人公です。
何故無機質なのか?
そのヒントは冒頭の母が亡くなるシーンで、
主人公のキャラクターを匂わせていますが、
予想もできないラストにつながっていましたが、
唖然として終わります。
異常な一家であることは冒頭から様々なエピソードで
知らしめますが、その異常状態はエスカレート、
正確に言えば、怖さが分かってきます。
その状態で主人公の少年は本能と、
生い立ちからの嗅覚で嗅ぎ分け、
決断と行動をとります。
ラストですべてがまとまる
頭をガツンとやられた映画でした。
追伸
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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ドライブ 2011米 ニコラス・ウィンディング・レフン
主人公は、どこまでやれる男かが謎のまま進み、
終わります。
ただひとつ、主人公の今までの人生の中で、
宝石のような一瞬のただ一度の営みだけが、
主人公にとっての人生だった事だけがこの映画の答えのようです。
そこには、損得はありません。
主人公は理性を度外視した、
体がいうことをきかないそんな時を求めていた、
それ以外には説明できない物語でした。
愛した女を大事にしたい。
そのために全てを捧げるという、
純粋さの気持ちと主人公の行為は、
常人には理解しがたいし、
できない行為です。
けれど、その気持ちは汲み取れるし、
理性を度外視したくなる気持ちもわかります。
それを伝えるのにしては大袈裟でしたが、
映画全体を通した、
鮮やかな被写体の捉え方から、
その気持ちが十分に感じられました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
女吸血鬼 1959日 中川信夫
子供の頃に見た怪獣映画を想い出します。
良い意味で。
スリルもサスペンスも、なく、もっと言えば、
あらすじも滅茶苦茶ですけど、楽しいんですね。
役者もスタッフも大真面目、
原作もひねりがある真面目さという感じです。
それにしても
天草四郎の歴史を持ってきたり、
ドラキュラと狼男を持ってきたり、
悪人には三人のしもべがいたり、
蝋人形に絵画、
盛り沢山の演出でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
怪談累が淵 1957日 中川信夫
理不尽に殺された男が
(借金した侍が金貸しの按摩を殺害)
怨霊となって侍と奥方を死に追いやります。
これがプロローグ。
20年後、
侍の息子は大店の手代に、
その店のお嬢様の小唄の師匠が按摩の娘で、再会。
もちろん二人とも出生のことは知りません。
そして、ドロドロの三角関係がもつれて行きます。
三人とも良い人物設定のところが妙です。
三人ともに肩入れしてしまいます。
けれど、侍の息子(手代)は、按摩の娘を貶いれてしまうのです。
娘も父親と同じく怨霊に。
人は所詮、宿命があるかのごとくの物語の流れです。
三人ともにまっとうな人として生きているのに、
ちょっとしたほつれで転がり落ちます。
因果応報を背負う二人はいかんともし難く展開します。
この流れに抵抗できすに流れてしまいます。
この映画を見入ってしまうのはこのあたりの上手さからです。
それと、カメラ、光、アングル、
怨霊と人物の切り返しがとても良いです。
落語が原作ということですが、
そんなリズムも感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
貸間あり 1959日 川島雄三
主人公のフランキー堺は、幕末太陽傳の佐平次に重なります。
やはり川島雄三監督は己を重ねているのでしょう。
アパートの住人が、皆ありえない程個性的です。
住人でない小沢昭一も含めて。
そのキャラクター設定も抜群だし、
人物を絡めて物語を展開し、
多くのエピソードを入れて、
尚且つまとめてしまう手腕に拍手です。
これだけ盛り沢山なのに破綻しません。
そして、川島雄三の「さよならだけが人生さ」が強調されるので、
喜劇の中に醒めた感覚があります。
長屋(アパート)の住民は、憎くて可愛い奴たちです。
人間良いだけにはなれないのだから、
これくらい爆発してても良いかもと思ってしまいます。
主人公は、何でもできる自分が嫌いです。
人のために尽くすことを、厭わないのですが、
そこまでです。人とはそこまでとしている感じです。
恋人役は淡路千景です。
美人で聡明で彼女ほど尽くしてくれる女はいないタイプです。
その恋人から愛されることからさえ逃れます。
監督の厭世観でしょう。
でも映画はそこから生まれる人の様と、
そんな主人公を慕う長屋の奴らの
「不平不満を言いながら生きる」貴さをさらっと、
駆け抜けるように仕上げます。
やっぱり川島雄三の映画は凄いです。
余談ですが、「めぞん一刻」はこの映画に捧げられているのではないでしょうか。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
モンスターズクラブ 2011日 豊田利晃
豊田監督自身が持っている現代社会の構図の解釈を、主人公に語らせます。
社会に対しての見方だけでなく、
監督が見える世界も織り込まれているようです。
前言撤回っぽいですが付け加えると、
監督自身が持つとは言いましたが、正確ではありません。
物語の主人公は、アメリカで実在している爆弾魔がモデルですから、
爆弾魔の生き様を汲み取ったエッセンスを利かせているだろうからです。
いずれにしても物語の背景には
夏目漱石の「草枕」と宮沢賢治の「告別」があります。
実在の爆弾魔を主人公においたことで、
筋ができて、監督の想いを語っていました。
メッセージは、
私達は自分の意志で生きているか、です。
また、社会に潜むものを見ているか、
また、小さな家族というコミュニティから大きな社会というコミュニティの中で、
自分の役割ということすら考えていないことへの警告、であったりします。
メッセージはわかりやすいですが、
表現は難解でした。
ここが鑑賞のポイントで、自分がいつも考えている部分までしか、
映像をとらえられなく、映画はもっと深く生き方を説いています。
ただし、そのあたりはどの映画も鑑賞時点での答えしか受け取れないので、
この映画だけではありませんが。
また、真っ白な冬山というキャンバスに、
色をつけることで語っています。
こういう美意識はかなり、観る者にこの映画をゆだねますが、
映画という表現を活かしています。
冬山の自然は美しいけれど人が一人で住むにはとても厳しい。
そこに主人公がいることで社会に対するメッセージを強調させていました。
追伸
昨日は「夏至」でした。二十四節気更新しました。
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夏至
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
限りなき舗道 1934日 成瀬巳喜男
サイレント映画ですが、ピアノ伴奏付きで鑑賞できました。
1934年の銀座の街を
色々な角度から写すシーンが続く所から映画は始まります。
そのモダンなこと。
欧米と見劣りしない街並みです。
これも日本だし、田舎での厳しい暮らしも日本です。
物語は、二人の女性、職業婦人が、成長していきます。
主人公は、絵に描いたようなおしとやかな日本女性。
もう一人は活発で、ヒロインの親友です。
ヒロインは、ふとしたことから、
上流階級の家に嫁入りします。
庶民のヒロインに対して何もないことはなく、
姑と小姑は、嫁を受け入れません。許しません。
夫は二人を抗しきれず、酒に逃げます。
ヒロインが家にいられなくなり別居した途端に事件が起こります。
それと並行して、親友は女優を夢見て挫折します。
ラストは二人共、仕切り直しの人生をスタートさせる爽やかな映画です。
良い映画です。
良いというのは、
ストーリーの展開や、人間性の追求ということではなく、
とても丁寧に造られているからです。
サイレントですから台詞は少ないのですが、
台詞は、カットとカットで現していることの
確認であるだけ位に感じました。
もちろん役者たちの演技、表情も良いし、
細かい暗示させるシーンもあり、
ユーモアもありと、
見応えがありました。
成瀬巳喜男贔屓の意見かもしれませんが、
レベルが高い作品です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
踊子 1957日 清水宏
船越英二と淡路千景の夫婦の元に、
人のものを奪うことに罪を感じない
妹の京マチ子が居候に来る所から物語ははじまります。
アリとキリギリスのように違う姉妹です。
健気な姉の淡路千景、
欲しいものは簡単に手に入れることができる妹の京マチ子。
妹は姉の旦那を寝取ります。
義兄を愛したと自分でも思っていますが、
姉の旦那だから、奪いたいから奪いました。
妹は責められる存在です。そして確信犯です。
自分が安楽に生きることができる場所を嗅ぎ分ける能力が備わっています。
義兄ともう一人の嫌らしい男も責められるべきですが、
妹にしてやられました。
姉は健気です。妹のためを、それだけのために尽くします。
けれど、増長させたのは姉です。
責められることは一切ありませんが。
人間関係は綾です。
明らかに悪い者は、もちろん自分の安楽が主ですが、
良い者を演じたい役割の者と持ちつ持たれつなのです。
そしてどう考えても、異常な状態は、
一足飛びでは誰もおかしいとするのですが、
一歩一歩では麻痺して、おかしいことに気づきません。
そんな状況に向かう三人でした。
姉夫婦は懸命に生きますが、
アリの妹は、若さと美貌を売ってアリを続けます。
でも長く続くことではありません。
ラストは、それを感じとったのでしょうか?
わからないまま終わりました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
おとし穴 1962日 勅使河原宏
炭鉱夫の貧しい親子が主人公です。
子供は何も言わず、事が起こるのをジッとみるだけです。
殺人事件が数回起こりますが、
動機は匂わせるだけで、はっきりしません。
強姦もおこります。
最後まで何も言わない子供は、
万引きをします。
カエルを引き裂きます。
生きる糧を求めるものに、
どこまでも非情な生活です。
全体のパイが小さいから奪い合い、
陥れる構図が描かれます。
静かな静かな映画ですが、
サイレンを鳴らしているかのようでした。
モノクロの映像に時に光りが入ります。
決して幸せになれない親子に対して、
微かな希望でしょうか。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】