銀幕倶楽部の落ちこぼれ
駅前旅館 1958日 豊田四郎
高度経済成長で変わっていく、
上野駅前のある旅館を題材とした風刺映画です。
駅前シリーズは、これ以外に一本観ていますが、
この作品以降は、純粋なコメディになっているようです。
こちらもコメディですが、かなり意図的に、変わりゆく時代と、
その中の人間関係の変わりようを描きます。
工業製品が大量生産され、大量消費されていくのと同じく、
旅行も大量生産、大量消費、規格化されます。
それが豊かさの象徴でもあったのですが、
既に警鐘もありました。
物語は古い価値観で価値がある番頭の視点です。
規格化された大勢の中では、旅館の経営者にとって、
かえって邪魔な存在になってしまいます。
それは企業にとって魅力を失うことは
傍からはわかりますが、誰もが盲目になります。
ここはとても怖く身に染みなくてはと強く感じます。
映画の主旨かはわかりませんが、
主要人物たちの価値観をかえる描写もあります。
教訓です。
これ以外も古き良きものは良い。
ではなく、移り変わりが見せかけのものという
メッセージが響きます。
この時代の邦画でよく感じるエネルギッシュも
この映画に流れます。
現代にはない感覚です。
現代では少し茶化される程です。
でも私自身は、それを欲しているかと思うのです。
未来が明るいと能天気に過ごすことができない今こそ、
あの活力を体が欲している、
だからあの時代の邦画が好きなのかもしれません。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ショーシャンクの空に 1994米 フランク・ダラボン
2度目の鑑賞です。
一度目は、展開への関心が高く2人の主人公
ヒーローと語り手の細かい心理には気がついていなかったことを痛感しました。
“希望”という今こそ身につけたいことと、
“希望”を持てる条件を、感動を通して語っています。
一度目の鑑賞では
ありえない脱獄を成功させたヒーローは、
それを用意周到に準備したととらえましたが、
それは彼の思いのひとつと知りました。
そこだけでも、十分に“希望を持つ条件”として、
* 希望は持つものではなく、持つに値する裏づけがあって初めて湧き出るもの
補足すると、持てる者に与えられるものであること
それを語る素晴らしい映画になります。
そこに、感動と戒めがあります。
けれど2回目の鑑賞では、それはエピソードのひとつであることがわかります。
ヒーローは、脱獄を行使することを目的としていたわけではありません。
希望をつなぐための手段として選んだのです。
だから前半の彼の行動があります。
“ショーシャンク刑務所を変える”それに尽くす彼の姿です。
彼は冤罪です。
けれど妻を死に追いやった自覚を(敢えてかもしれませんが)持ち、
その償いをショーシャンクで行っていました。
だから、脱獄のための影の努力は、
転ばぬ先の杖だったのです。
語り手を置くことで、そこを注目できたことで、わかりました。
ただ彼はヒーロー過ぎます。
だから語り手がもうひとりの主人公です。
ヒーローは、ショーシャンクを変えることで、
仲間に希望を与えます。
けれど、50年の服役で廃人となり社会復帰できない者、
彼と一体となって資格を得ることができた囚人が惨殺、
物語の半ばを過ぎても彼の想いは遂げられません。
最後に語り手が、凡人の代表として彼の想いを遂げます。
ここに現実感が起こります。
そして彼の、仲間との語りから、
“希望”は、死を覚悟してまでも、
得る価値があることというメッセージも受け取ることができました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ロイドの用心無用 1923米 ハロルド・ロイド
二度目の鑑賞です。
この映画は、上映があることを知ると何が何でも駆けつけたくなります。
クライマックスに行くまでの笑いだけでも映画になりそうです。
クライマックスは、いても立ってもいられません。
そのハラハラの中で、笑いを一つずつ準備してあるのだから
たまりません。
造り手の気概を感じます。
話の流れも滞りなくテンポ良く、
ハロルド・ロイドが彼女の前で、どうしても良いところ、
心配させたくない気持ちから起こるドラマは
我をおもいます。
そして無茶してしまう。
原題の「Safety Last」も粋です。
それを跳ね除けるハロルド・ロイドの勇姿は最高です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
父の初七日 2009台 ワン・ユーリン
神道の葬儀に出席した時に仏教とは違うなと思ったことがあります。
仏教でも宗派の違いでの違いがあります。
それがお国が変わればですから、
かなり風習は違うものです。
それを可笑しくみせてくれる映画です。
けれど、故人と親族の近さ遠さで役割がそれぞれ決まるのは同じです。
そして、近ければ近いほど、葬儀の間は演じているのも同じです。
主人公は故人の娘です。
故人は53歳で亡くなっている設定ですから20歳代でしょう。
そして彼女はバリバリのビジネスウーマンです。
その彼女が田舎に帰り、古い風習の葬儀の当人として過ごす七日間です。
戸惑うギャップも可笑しいですし、
その戸惑いの中で亡き父と自分の忘れていた関係を思い起こします。
王道です。
だからコミカルで時々ほろっときます。
観ていて先が読めるのですが、
やはりラストに彼女が父を想うシーンが良かったです。
彼女の日常に父はいつもいません。存命中でも今でも。
でも葬儀が終わり数ヶ月が経ち、
ふとしたことから、想い出すことなどまずない場所で、
涙があふれ、とまりません。
これも王道ですが、感動しました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
長い灰色の線 1954米 ジョン・フォード
アメリカ陸軍士官学校「ウエストポイント」に
50年教官として勤めたマーティ・マー(主人公、タイロン・パワー)の
自伝映画です。
ウエストポイントは、
アイゼンハワー大統領はじめマッカーサー元帥等を送り出した
伝統ある名門士官学校のようです。
当時アメリカの誇りだったのでしょう。
(今もそうかもしれませんが)
製作がベトナム戦争前なので、
本当に良き士官学校として描かれているようにみえました。
このあたりは、郷愁がある者とない者で感じ方はかなり違うでしょう。
映画は、50年にわたる教官と家族、そして生徒たちとの交流です。
タイロンパワーは主人公の、長い人生を上手く演じています。
生徒が戦死して、その息子をまた教えるということの悲哀。
でもそれは、祖国のため。
このあたりの心の葛藤もいやらしくなく描かれます。
映画全体にユーモアある演出もあり、
ジョン・フォード監督の手腕がさえます。
もう一つの見どころは、
士官学校の生徒たちの演奏と行進が要所で出てくるシーンです。
映像も綺麗だし、使いどころも良いと思いました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
アーティスト 2011仏 ミシェル・アザナヴィシウス
できるだけ字幕も廃しています。
映像で全部を伝えることを決め、
必要最小限のフォローで、音と字幕、
要所でサイレントを開放します。
主人公二人はそれを受けての演技です。
ちょっと残念なのは、
その制約に縛られすぎるように感じられてしまったことです。
けれど一貫した作風があり、
爽やかな映画に仕上がっています。
フランス映画ということが味噌で、
サイレントからトーキーに変わるという
映画の歴史の一大事のハリウッド映画を、
ベタベタさせないで、
ちょっと遠目でみて、
尊重しています。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
うさぎドロップ 2011日 SABU
ついていくのが大変でした。
どうしても考えてしまうからです。
主人公はどこに住んでいて、どこに通勤しているのだろう。
そして保育園はどこ?実家はどこ?
なぜか失踪した子供をみんなで捜します。なぜ?
保育園に先生は失踪事件で誰も現れません。
不審なキャラクターも多く登場します。
冒頭の葬式で主人公をみて驚く人々。
子供を強引に引き取りたい謎の女。
失踪事件で怪しい人物。
腑に落ちないことが多いけれど、
この映画の主題は違います。
子育て応援歌で、
高齢社会の子供への愛の賛歌です。
それを思えば、
ちょっと不自然な設定は無視できます。
それよりも子供達にはこれから困難を超えていってほしいと、
特に学芸会のシーンでは泣けてしまいます。
それを思うことは、
今現在の日本を憂う気持ちそのものですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
さすらいの女神たち 2010仏 マチュー・アマルリック
けっして優雅ではない、悪く言えばおばさん達がコミカルに、
ストリップまがいのショーの旅芸人一座の、
ロードムービーのような映画です。
のようなと言ったのは、
そこに一座内にイザコザがあったり、
一座が困難を乗り越えるということが起こらないからです。
もちろんイザコザはあります。
それ以前に、この一座の設定が面白いです。
まずは、煌びやかではない。
そしてアメリカの一座がフランスでドサマワリです。
しかも座長はフランスを追放されたプロデューサーです。
普通に進むことも、ましてやハッピーエンドになることはないことが、
冒頭から察します。
そしてイカレタ座長(をはじめ旅芸人達)をみていると、
アウトローの悲劇の物語ではないかと思い始めます。
しかしどこまでも明るい(おばさんのような)ダンサー達、
能天気ですが、ステージに上がればプロそのものです。
そんな彼女らを擁しても座長は屈辱を覆せませんでした。
彼は失意に終わりますが、
彼の最後には彼女らがいた!
潔くそこで気味良く終わるのはこの映画は全般を通して、
敗者に対して、敗者ではないコールを送っているからです。
だから勇気付けられます。
劇中のショーはこの映画の見どころです。
芸術性があるかはわかりません。けれど
世の中が複雑になっていることを充分に感じます。
そしてそれに応えているのが彼女達なのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ミラル 2010仏/イスラエル/伊/印 ジュリアン・シュナーベル
イスラエル建国から50年程を、
ひとりの女性ジャーナリストの半生とともに映像としています。
ニュースで知るイスラエル問題は、
遠い日本ではニュアンスはわからないことを、知識で自覚しています。
その前提でみるのは当然ですが、
あまりにも遠いことを感じます。
物語は主人公が17歳の少女の頃が中心です。
彼女はパレスチナ人です。
イスラエルでの争いに彼女も怒りがあります。
その解決策は、
武力、交渉、譲歩、
映画の中でもその手探りの、そして、
多くの考えがあり、難しさを露出させます。
彼女もどれが良いのかがわかりません。
彼女なりに必死に理不尽に立ち向かいます。
世に起きている紛争は何故起きているのか?
語りつくされている議論です。
人が自由を、それが人らしいから得るための結果なのか。
でも悲劇は起こっています。
この映画は紛争の中で己の人生を全うする人が描かれます。
だから希望の映画です。
でもあまりにも日本とは遠いことがやっぱり離れません。
恵まれていることを感じます。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
雨月物語 1953日 溝口健二
2度目の鑑賞です。
1度目以上に音楽とカメラの良さを感じます。
特にカメラと構図です。見事です。
1度目と同じく田中絹代に惹きつけられます。
1度目以上に、京マチコの表情に、
この女優の映画に合わせた役そのものの姿に感心します。
愚かな男二人が改心するという単純な話なのですが、
男が持った分不相応の野望に、
想像すら出来ないほどの代償が必要だったことが、
今回は痛く刺さりました。
この映画は現実ではない設定で、
それをあらゆる手段でリアルに描いています。
単純で当たり前の教訓であるがゆえに、
それが遠まわしに、けれど鋭く突かれる感じです。
神話ができていく行程のように思えてなりませんでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】