銀幕倶楽部の落ちこぼれ
SOMEWHERE 2010米 ソフィア・コッポラ
自分を知る物語です。
自分には何もないことで復活をきすこと決める物語です。
仏教の感覚も随所で感じました。
映画の構成は、
絵で設定をこちらに委ねてきます。
物語を叙情的にする効果的な音楽が台詞の代わりに響きます。
ハリウッドスターが、
庶民からすればやっかみだらけの、
贅沢な生活の中で、
ふとしたことで、
11歳の娘といつもより長く過ごすことになります。
(離婚中でいつもは別々)
その結果は、、、
自分の今は、空虚なまやかしとしか受け止められなくなり、
自分の今を知ります。
空っぽな自分がいました。
人の強さは知ったことを受け止める力です。
贅沢な数々のシーンがありますが、
一つ一つとても考え抜かれた設定とカメラワークを感じます。
ニュアンスは全然違いますが、
小津映画につながる繊細さがあります。
繰り返しますが、
贅沢さは庶民の私としては異次元ですが、
シーンのつながりをシミジミと後からも
印象として、思い出したくなる映画です。
追伸
昨日は「清明」でした。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
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清明
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
悲しみのミルク 2008秘露 クラウディア・リョサ
母乳を通して母が抱えた恐怖が、
子に伝わる恐乳病に冒された娘の物語です。
母の悲劇を受け継いでしまい、
娘は息をしているだけの生活です。
無表情、感情の起伏もない、
絶望に支配されているようです。
ペルーの映画です。
ジャガイモがキーに冒されたなっています。
新大陸の発見からたどったペルー(ラテンアメリカ)を、
娘の生き方で肩代わりさせているようにも思いました。
葬ることが出来ない母の遺体。
満足に話もしない娘。
他人を信用出来ない性。
暗喩を感じました。
ただ、ラストは、
真っ暗なシーンから、
娘の笑顔と、ジャガイモの花です。
救われる映像でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
道 1954伊 フェデリコ・フェリーニ
映画をたくさん観るようになったのは、
ここ5年くらいです。
そのきっかけのひとつが、
毎週木曜日に静岡市の視聴覚センターの映画会です。
残念ながら今年の3月で終了。
昼と夜の部の2回開催でしたが、
昼の部だけは再開かもということですが、
昼はまず無理。
多くの名画を大きなスクリーンでみせてくれました。
ありがとうございます。
そのラストを飾るのが「道」でした。
2度目の鑑賞です。
フェデリコ・フェリーニ初期の傑作ですね。
彼の作品はこの後だんだん「達観的」になっていきます。
だからこの作品を押さえるのは、フェデリコ・フェリーニの
この後の作品に触れるために大事で必要な位置づけの作品でもあります。
真反対な人間性の男と女。
男は小悪党、でも我々です。
自己都合で生きています。
女は良心です。
天使に近い存在ですが、天使ではありません。
物語は、二人の道化師が食いつないでいく姿を追います。
二人は時にはお互いを認め、時にはお互いがわかりません。
これも我々の日常です。
そして経済(食べること)の、
死ぬまで生きることの直面を、
二人の生き様で語り、
女の出生からも示唆させます。
だから相反する二人は寄り添います。
けれど、女が男を許せない出来事が起きます。
そこにかかわるのは、二人を諭す、
二人を本当は幸せにする男だったのかもしれません。
そして男が女を棄てます。
男は自己都合で生きます。
それは男にとって自然で、必然で、最良の選択です。
誰もが選ぶ道です。
ラスト。
女の死を知ると男は愕然となります。
男は女の死を予知できたのに、
それはひとごととしていたからです。
男は現実を直面すると、自分では制御できない全く違う男が現れました。
男は、生きていくことができない程に追い込まれます。
自己都合の生き方の清算が待っていたかのようです。
この映画は、三途の川で、
生前の行いで、地獄と極楽に分かれる、
という価値観だけで語っていません。
男が生きてきた生き方の清算を映像にします。
それをどう観るものが受け止めるかを問うているのです。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
うなぎ 1997日 今村昌平
妻を殺した男、愛しているから殺害して、
そこでこの男の人生は止まりました。
自殺未遂の女は、世間に流されて流されて、
でもそれなりに上手く立ち回った女でした。
でも生きていくことに疑問を持ち自殺を、
この女を助けたのが、男です。
女は大人ではありません。
自分の人生はまだ流されています
二人がたどり着いたのは、
平和な田舎町です。
ここでの何もなさそうな、
たとえば無邪気なUFOオタクとのかかわりや、
たとえば釣りを楽しむ出来事や、
女遊びに誘われる、
些細なことしか起こらない中で、
二人は少し変化します。
その日常に、女の過去の清算という大きな事件が否応なく訪れます。
女は覚悟を決め、
男は覚悟を決めざるを得なくなります。
男は、十字架を背負うことで、
止まっていた人生が動き出すところで終了です。
二人がこれから幸せになるかということは問題ではなく、
男がもう一度動き出すことができた、
それには些細なことの積み重ねが積もったことと、
十字架を背負う偶然があったからです。
でもそれを決めたのは男自身です。
人は息しているかぎり、仮死のままではいられません。
ただ、償いを自分で超えられないとして縛られていた男には、
払うべき大きな代償がない限り次の一歩がでなかったのです。
そういう機微を感じる映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
水曜日のエミリア 2009米 ドン・ルース
自分勝手な大人たちとその犠牲になる子供と一見されますが、
主人公は一生懸命に生きようとしています。
それが空回りばかりです。
彼女の気持ちはわかりますが、
彼女に感情移入はできませんでした。
もっといえば、彼女の夫にも、元妻にも、
彼女の母と父にも理解できません。
何故か?
大人たちは重箱の隅をつついているような印象だからです。
全体の流れは、
彼女と血のつながらない息子が、
家族になるという流れで、
王道でそこにたどり着く彼女と息子の心の葛藤は
よく描かれていたと思います。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
麗しのサブリナ 1954米 ビリーワイルダー
たくさんの面白さが入っている、
名作と言われているのが納得出来ます。
語り尽くされているでしょうけれど、
オードリー・ヘプバーンは美しいです。
ファッションも。
コメディで終わっていないところも好感です。
ちょっとした風刺がアクセントですし、
主役達の親世代の価値観も年代を考えて自然でしょうし、
西欧の当時の感覚を知ることができます。
リズムもあり、脚本も無駄なしです。
個人的にはラストがアンハッピーの方が自然と思いますが、
まぁそれはご法度でしょう。
この映画の前日に、
新藤監督の「どぶ」を鑑賞したのですが、
同じ年代の日本とアメリカの違い、
映画等でわかっている、
何度も感じていることですが、
あまりの違いを今回も痛感です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
現代フランス映画の肖像2(フィルムセンター)
コナン大尉 1996仏 ベルトラン・タヴェルニエ
第一次世界大戦のフランス軍の軍隊での出来事を、
二人の将校を中心にして、
戦士や従軍している人々やその背景を描きます。
人の性格は戦場でもそれにまつわる戦時下の生活でも、
それぞれです。
馴染める者、できない者、
適応できる者、できない者、
戦時ではなくても同じくですが、
戦時下の方が顕著です。
二人の将校は、お互いに相手を尊重しながらも
時に争いながら自分が信じる行為をします。
そこに他の者が絡んだり、事件も起こるのですが。
歴史的な背景が分からず少々戸惑いもありました。
それはともかく、
友情と人間模様を丁寧に綴った映画です。
フランスでどれ位支持されているかは分かりませんが、
事情通が観ればもっと楽しめる映画という匂いを感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
現代フランス映画の肖像2(フィルムセンター)
死人に耳あり 1993仏 ピエール・フランソワ・ルブラン
言い方が悪いですが、
マヌケな殺し屋の短編です。
仕事の依頼の時に補聴器が外れたがために、
相手を間違えます。
17分なので、
必要最小限の中で進みます。
ストーリーはマヌケですが、
メリハリがある演出です。
台詞はほとんどありませんが、
登場人物の事は十分に伝わってきます。
己の職業を習い性としている、
殺し屋稼業の男の
(稼業は殺し屋というだけで他は何も変わらない)
悲しい人生を感じました。
ルール違反 1998仏 カリム・ドリディ
前半はコメディタッチですが、
シリアスな、現代の先進国と言われている社会の、
有象無象の者たちの、
行き場がない鬱屈した魂が暴発した様が描かれます。
自分を棚にあげてのワガママな暴発ですが、
ルサンチマンは人の性です。
持てるもの
(金だけでなく、才能、それも努力できるという才能)
と持てないもの、
そこには埋められない差があることも事実です。
銃という圧倒的な力でねじ伏せようとする
主人公達の心はわかります。
ほとんどの者はきっかけがないだけで、
大人しくしているのかもしれません。
そんな破滅に向かってしまった行きずりの、
似たものカップルの悲しい物語です。
主人公の男は役者ですが、大根です。
それが、覚悟を決めると迫真に生まれ変わります。
そこからのシリアスな映像に、
すごく惹かれました。
圧倒的な力を振りかざす主人公達に、
憤りと感情移入が起こるクライマックスでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
サラの鍵 2010仏 ジル・パケ・ブレネール
戦時中でのこととはいえ、
もし自分の親やごく近い血筋のものが、
ホロコーストに加担していたとしたら、
それを知りたいか、教えて欲しいか。
知っている知らないは別として、
ジャーナリストにそのことで取材をされたら、
もちろん、罪を問われることはないとしても、
どう応えるか。
人が真実や事実を求めるのはどうしてか。
この映画の主人公もそれがわからなくなります。
サラの生きた軌跡は悲劇です。
その痛さは、みせられてもわかることはありません。
けれど事実を積み重ねることしか次はありません。
生きていることは、次の世代につなぐことです。
そこがサラと主人公をつないだのだ。
という感慨がありました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
チャリティー映画会「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
映画鑑賞後、シネマトークがありました。
パネラーは、すずき監督とプロデューサーの榊原るみさん、
インタビュアーは、NHK静岡のキャスターの平山佐知子さんでした。
「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍2010日 すずきじゅんいち」
太平洋戦争が始まると、
日系人は差別されます。
軍人は戦場に行くことも許されなくなります。
その後日系人だけの部隊ができます。
442日系部隊は、ヨーロッパ戦線で大活躍します。
史上最強のアメリカ陸軍部隊と賞賛され、
日系人はアメリカ全土での差別からも解放
ということまでが起きます。
彼等は、名誉のためにその回復のために
命を投げ出して戦いました。
どの部隊も成しえなかった作戦を
次々と成功させます。
その代償は、彼等の命でした。
日系人の立場、誇りが、彼等を突き動かしました。
ドキュメンタリー映画で、
その真実の言葉に、ただただ胸が打たれます。
ありきたりですが、
どこまでも平和を求めることを、
いつもいつも求めることを望んでやみません。
上映後、監督夫妻のトークがありました。
映画裏話をたくさん伺えました。
元442部隊の方々のインタビューで感じた、
映画では語られなかった彼等の人となりも聞けました。
そして、日系アメリカ人の中にこそ、
良き日本人を観るという言葉はとても重い一言でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】