銀幕倶楽部の落ちこぼれ
ココ・アヴァン・シャネル 2009仏 アンヌ・フォンテーヌ
画期的、革命的に世にデビューしたことがわかります。
フランスにおいて1900年初頭に、貴族がこのままではいられなくなることを、
ココは体中で実感していたとしか思えません。
誰かがやる仕事をココが切り開いたのでしょう。
映画はそれとはちょっと違い、
ココがシャネルを立ち上げるところまでを映します。
主役のオドレイ・トトウが魅力的です。
それはこの映画がシャネルの映画の魅力を伝えることと、
彼女のファッションが見合っているからです。
シャネルのファッション自治を知っているわけではないですが、
革命的なココの実践と、反貴族的な衣装で、
それらを感じとることができました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
浮草物語 1934日 小津安二郎
先が読める話ですが、小津監督は重々承知だったと受け止めます。
半世紀以上の日本の状況のことはわかりませんが。
先はわかっていても重厚な映画です。
やっぱり凄いですね。
話が進むほどにそれがまして行く演出です。
俳優陣の演技のきめ細かさも、
日本のサイレント映画ならではという感じです。
サイレントだとオーバーアクションになりがちですが、
自然にけれど目配せなどでさりげなく、
ストーリーをつなぎます。
これも小津監督だからでしょうか?
「父ありき」と同じ父子の釣りシーンが使われています。
このシーンは殺し文句のようなシーンです。
これも観ておいてよかった映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
歩いても歩いても 2008日 是枝裕和
最初から良い映画の匂いがプンプンしていました。
好みの映画と言い換えても良いかもしれません。
個人としての人の嫌らしさとその嫌らしさは、家族だからだせるもの。
その嫌らしさは人がもつ弱さだし、可愛さでもあります。
父も母も娘も息子も孫も、誰が決めたわけでなく、
どうしようもなく自然に生まれた関係です。
その絆ってなんだろう。
それがテーマです。
それを大事にするしか誰も他にかわるものはありません。
映画は親から子の世代に移ったところでラストです。
それは子の世代から孫の世代へ、
この映画で語られた親と子が生きてきたと同じことがはじまる始まりです。
はかない人生過ぎれば早い時間に、
親子が触れるのはほんの一瞬であることを、
観るものに強く語ります。
脚本も見事です。
謎が少しずつ解けながら、新たな疑問が出ます。
それが家族の立場を説明し、これからを暗示させます。
小津映画や成瀬映画と通じてしかも、
オリジナルの是枝映画です。
とても良い映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 1976仏 セルジュ・ゲンズブール
偏見かもしれませんが、
こういう映画は日本かフランスでなければ撮れないでしょう。
1976年を考えると尚更です。
ただし、愛がテーマ、自由がサブテーマという見解で観ると
この映画はフランスだからこそですし、フランスのテイストがあふれています。
それは映像であり音楽も含めて。
ストーリーにも登場人物にも感情移入はできませんでした。
それは、指摘な常識や好き好きからです。
それがこの映画の好き嫌いにはつながりません。
愛して欲しいのメッセージばかりの今の世の中だから、
積極的な愛するを描くこの映画は今こそ価値があるようにも思えます。
哲学的でなく芸術的な映画です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
冬の小鳥 2009韓/仏 ウニー・ルコント
決して希望のラストではありません。
少女が挑戦して行くことを決めるラストです。
私は他の子達とは違う。
孤児院に送り込められてからずっと、
主人公ジニはそれだけが支えでした。
父から捨てられてはいない。
けれど現実は違います。
そして、養女として引き取られる運命は逆らえません。
運命に自ら希望を託す友もいれば、
運命にすら乗れない障害を抱えた(施設の中の)姉もいました。
何の疑問を持たない仲間達がたくさんいます。
ジニはその誰とも違うことが生きる支えです。
時に癇癪を起こし、時には自らを埋葬しようともします。
それが父と生きた来たことを残す証だからです。
養女になる運命には結局逆らうことが出来ず、
フランスの養父母の元に行くところで映画は終わります。
ジニは誰が見ても幸せな生き方を選ばないことを選ぶような匂いもします。
それは他人では解らないジニが選ぶ人生です。
でもジニの心は氷解するかもしれません。
観たものはこれから街角でふと“あの娘はどうしただろうか?”
そんなことを想いうかべるのではないかという余韻がある映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
好色一代男 1961日 増村保造
原作の精神に市川雷蔵の魂が込められています。
原作当時の何でもありのお上は、今も変わらずです。
いつの時代もどう生きて行くかも変わりません。
自由に生きることは自由な精神でいること、
それを持ち続けるのは簡単ではないから、
世之介というヒーローが生まれました。
くだらない奴だとか、調子の良い話だと、
片付けてしまえない物語です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ボローニャの夕暮れ 2008伊 ブービ・アバーティ
17歳の女子高生が親友を殺害していまいます。
1938年戦時中のイタリアで事件は起こり、家族はバラバラになり、
その15年後(多分)までのその家族の物語です。
事件の主犯の娘の父親の溺愛が中心に、15年間の家族を映します。
その父親ぶりは、万国共通で私自身も重なります。
溺愛は罪を犯す娘が育った一因です。
また、美しく活発な母と正反対の娘が持つ劣等感も事件の一因です。
(母と娘はお互いに劣等感を持つものなのでしょうか)
戦時中の混乱と家族の混乱が重なり、
イタリアの復興を家族の再生も重なります。
娘が起こした殺害は異常で、娘も異常で、それが戦時とも重なります。
戦争と絡めた節はありますが、
根源は、夫婦、親子愛の不器用な表現です。
実に下手です。
親子はそれぞれ各々が尊い存在とわかっています。
私達の日常は戦時でもないし、不器用な愛情表現で、
罪を犯してしまうこともありません。
でもこんな表現しかしていません。
何も起こらないことを肝に銘じたいですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
花のあと 2009日 中西健二
静かにあくまで静かにはじまり、終わりました。
藤沢周平の世界を伝えるためです。
ほぼ止まっているシーンを多く使い、つなげて、
無駄な説明は省いて、綺麗な仕草と表情、
自然を時の流れで映し、深い物語としています。
しっとりと心をとらえてくれました。
ヒロインは花の季節に「ではまた」と言って別れた理想の男と、
その後一度剣をまじえることが出来ただけでした。
しかし一年が経ち、ヒロインには、
理想ではないけれど、素敵な男が待っていました。
この男を魅力的にしたのは、
ヒロインと花のように散った理想の男だったのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
おとうと 2010日 山田洋次
市川昆監督の「おとうと」とはかなりアレンジが違いますが、
姉が持つ複雑な気持ちはどちらも同じです。
美しく、強く、やさいい姉。
弟はこっちヴァージョンの方が2枚も3枚も上手のダメぶりです。
人が死に直面した時、逝く方も看取る方も、
その瞬間は長い人生がどうであったかが問われるでしょうけれど、
人なんて元来過去を忘れる動物ですから、
その瞬間はその場の出来事です。
死はコントロールできませんが、死と向き合うことで、
最後の時を、その場に居合わせる人、
できれば必ず居て欲しい人と一緒に「さようなら」を言いたい。
それはとても幸せな人生を送った証になるでしょう。
市川昆監督のおとうとも
山田洋次監督のおとうとも幸せでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
9 9番目の奇妙な人形 2009米 シェーン・アッカー
人が作ったマシンと人が争い、人が滅びました。
9人の人形は残ったマシンと戦います。
映画の中で人形のひとりが「尻ぬぐい」と言います。
人がしたことは大抵ろくでもなくて、だれかが尻拭いしている。
下手に頭が良い奴がやると効率が良いだけに厄介になる。
そんな声に聞こえました。
アニメ(CG)ですが、
壊れた世界がディテールまで質が高く、
動きは圧倒されます。
技術は進んでいますね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】