銀幕倶楽部の落ちこぼれ
天井桟敷の人々 1945仏 マルセル・カルネ
劇中劇にまで引き込まれます。
衣装やセットもよし、
冒頭の犯罪大通りの雑踏は見どころです。
こういう雰囲気好きです。
(「ええじゃないか」を思い浮かべました、こっちが元ですね)
そして、なにより洒落た台詞が魅力です。
愛が必要だ。(そんなことはわかっているよ)かも知れませんが
この映画ではそれが大事を、丁寧に訴えています。
自分の色恋が鈍感になっていることを、
生きる本質を「おまえはわかっているのか」と提言してもらいました。
戦時中の製作、様々な困難があったことでしょう。
制約が糧になる好例です。
戦争を肯定はしませんが、
戦時下だから生まれた傑作なのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
近松物語 1954日 溝口健二
映画仲間とこの作品について話を始めたら、
とんでもないことになります。
それほど語ることが多い中で、何を書こうかと迷ってしまいます。
人は充分から不十分になってしまう時に何を求めるのか。
追い詰められてゆく二人が迫真に説いてくれます。
香川京子さんはまさに捨て身でこの映画に臨んでいます。
綺麗なシーンも多くまた、
着物、セット、細かい部分(お歯黒や髪型等)も溝口映画の例にもれず、
後世への遺産のようです。
溝口映画を観ていれば他は観たくならないかもと
おもわせる程に引き込まれました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
キュリー夫妻 その愛と情熱 1996仏 クロード・ピノトー
フランス本国でのこの偉大な科学者の好かれ方がわかるような感じです。
伝記映画というよりも、夫妻を称えながらも、
厳しくつらい研究の中、温かみのある夫婦生活が描かれます。
人間らしい、けれど、偉大という夫妻はフランスの財産なのでしょう。
脚本も洒落ています。
原題が「シュッツ氏の勲章」というように、
夫妻の上司に当たる学長が夫妻につぐ主役で、
彼の出世が物語の柱です。
彼と夫妻を対比させてコメディタッチな仕上がりで、
夫妻にあこがれるそんな雰囲気の映画になっていました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
地上より永遠に 1953米 フレッド・ジンネマン
軍の中でもダントツで有能な二人ですが、
軍からは抜け出ることはできませんでした。
二人を愛する二人の女性は、軍の中から抜け出せないのを、
なんと馬鹿げたことと、男を救おうとしますが、できません。
男が狭い世界感で生きる生き物というのは、
少なくとも自分は身にしみます。
そして、性なのかとも思います。
日常の殻に気がつくのは難しいし、
有能であればなおさらなのでしょう。
米軍の内情や、
友情、愛など語る部分は他にもありますが、
二人の男の世界感が印象に残りました。
有能な二人が、バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト
二人を愛する女性が、デボラ・カー、ドナ・リード
脇の支えるフランク・シナトラ。
豪華キャストを楽しむ映画でもあります。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
虎の尾を踏む男達 1952日 黒澤明
私にとっては名作でした。
好きな黒澤映画と言った方が適切かもしれません。
大河内伝次郎とエノケンが目立つし、
二人はもちろん素晴らしいのですが、
脇の俳優人の存在もどっしりしています。
とにかくワンシーンに重厚感があります。
そのシーンの奥に潜む多くのそして
複雑な文脈があってシーンが出来上がります。
観る者のこれまでの人間観や歴史観で、
まるで違って映るでしょう。
日本文化に日本人であることに誇りを持つ作品でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
黒の報告書 1963日 増村保造
話の内容に少々無理はあるものの、
テンポ優先ならばそれもよしです。
人間の嫌な部分を抉り出しています。
悪徳弁護士とそれに従う人たちだけでなく、
正義の立場側も、自分たちのエゴが醜く映ります。
脇役の殿山泰司が良い味を出しています。
「三文役者」(竹中直人主演の殿山泰司の映画)を
観ているだけに、カメラの前の役者の凄さが、
味のある演技が生まれる背景までが、気になりました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
雁の寺 1962日 川島雄三
人のプライドを現しています。
それもTPOで。
主な登場人物は、妾の若尾文子と坊主と小坊主です。
それぞれのプライドとその立場での振舞いが、
人間らしくけれど、おどろおどろしく。
川島監督は好きな監督です。
この作品も代表作でしょう。
語りすぎず、けれどヒントはあります。
けれど、どこを観て欲しいとは言わず、
観るポイントを選べさせます。
登場人物3人と同化してみれば、
わかるそんな展開がありました。
ラストは異議があるようですが、私は意味が深いシーンと感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
コンチネンタル 1934米 マーク・サンドリッチ
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの初作品となれば、
見逃せません。
記念碑としての価値があります。
当然それはこの二人の映画が好きなことが条件ですが。
二人のダンス、それを補佐する舞台と他のダンサー達、
それを満喫するのがこの映画です。
他は付けたしですから、良いも悪いもありません。
そうは言っても物語はそれなりに楽しめました。
こういう作品が生まれることないだろうなぁ~、
と二人を観るといつも思います。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
尼僧物語 1959フレッド・ジンネマン
人が作ったシステムには限界があります。
言うのがおこがましいですが、キリスト教でも同じです。
そんな世界を描いています。
それはキリスト教、というよりも尼僧の世界とそこに生きる
尼達が、信仰をまっとうしようという努力、
ここが丁寧に映されています。
でも人であることに主人公(オードリー・ヘプバーン)
が離れられない姿は、
切なくも力強く、尼層と同じく、人のために尽くす姿です。
「守・破・離」のごとく主人公が旅立つラストは、
尼僧の世界も肯定していますが、
だけど、誰もが認める到達点が、その人の全てではない、
ことを示します。
また、そもそも自分にとっての目標なのか?
を気づかせてくれます。
造り手がどう表現するかが難しいテーマだったように思います。
もうひとつ感想を、
尼僧の世界を噛み砕いてゆっくりと現してくれたことも、
この映画を通しての収穫でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
パレード 2010日 行定勲
実は誰も何も全ては気がついていなくて、
でも一面ずつ多方面からは知っている。
それを一番わかっているはずの藤原竜也が、
体感的には何もわかっていなかったのだが。
そんなことはどうでも良いのです。
5人がそれぞれ抱えている負は、(小悪魔かもしれません)
必要だと説いているようにも思えますし、
それは“あなたの価値を決めるものではない”
という現代が生んだメッセージのようにも感じます。
都会のありふれた=と言っても犯罪を追うヘリコプターの音=から、
ミクロなルームシェアにつなげるオープニングは、
ルネ・クレールの「巴里の屋根の下」をイメージしました。
(全くもってこれは私の感覚ですが)
でもそういうふうにひとつひとつのシーンが、
なにかをイメージさせるそんな力がある映画でした。
藤原竜也も良かったのですが、ルームシェアをしている4名も
好演でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】