銀幕倶楽部の落ちこぼれ
ディア・ハンター 1978米 マイケル・チミノ
時に激しくもありですが、静かな力作でした。
丁寧に日常を描き、一転してベトナム戦争のシーン。
そこで起こる、物語を通したロシアンルーレット。
そして、それぞれの現在は徴兵前と様変わりします。
語ることを極力やめて、映像=表情や自然・友情や愛情との戯れで、
感じさせてくれるシーンを続けます。
ベトナム戦争を題材にして、それを考える。
それに加えて人は尊く、身近な人とのお互いの人としての確認を、
シーンが滲み出します。
この作品は意図を観客に任せたかのように進みます。
じっくりじっくりと心に刻まれます。
“ふっと”した時に気持ちを、
この作品の訴えは何だったのか?
それをきっと思い起こすことになる、
そんな映画でした。
心の中でいつまでも、静かな力作として残るでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
BeRLIN 1995日 利重剛
都会の悲哀を感じさせますが、
それだけではないですね。
突然、女は消えてしまいます。
この娘を捜しながら、この娘の性も捜しながら物語は進みます。
主演の風俗嬢は何のためにこの仕事をしているのか。
そして、男たちは何故か惹きつけられてしまいます。
それは男の側に空虚がありそれを埋める自分たちのために、
捜すことで、探ることで埋めようとします。
“壁”ということばがキーワードです。
ベルリンの壁が崩壊してから20年、
まだその熱さは戦後生まれの私でも残っています。
この映画はそのどこを語っているのかは解りませんでしたが、
あれを起点として様々なことが感覚として広がっていることを、
感じる映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
荒野の七人 1960米 ジョン・スターゼス
ガンマンの悲哀の描き方が印象に残ります。
それと「勝ったのは農家」ということが、
「七人の侍」とリンクされています。
用心棒はどこまで行っても用心棒、
憧れる子供をたしなめます。
元の「七人の侍」と違う魅力のひとつです。
また、元を活かしてこの映画の魅力になっているのが、
七人の個性とその表現です。
それぞれとても上手く魅力的なガンマンになりました。
個人的には、「七人の侍」の焼き直しではあっても、
違う個性がでている作品で、
評価が高いのも頷ける映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
レッドクリフⅡ 2009中/日/台・韓 ジョン・ウー
パートⅠもそうですが、三国志の一部分を切り取り、クローズアップ。
解釈の好き好きはおいておいて、壮大に描かれています。
歴史は過去から現代の人へ、多くのことを語りかけています。
それと描く立場が語るのも歴史です。
この映画は、歴史として娯楽として、スペクタクルを期待して、
または主演俳優のファンとして、色々な方がそれらを期待して鑑賞しているのでしょう。
そういう意味では、三国志のハイライトな場面を前面に設定し、
まず楽しめる条件で、おもいっきり作った映画だな、と感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
25ミニッツ 2005丁抹 ラオリツ・モンク・ベターセン
テンポ良く進みます。これは主題とした「25分間」
で人の命が尽きることから、
冒頭からそのスピード感を演出したからでしょう。
そして、この25分以外にも、母親の2週間の余命も
展開の速さからリアリティーを感じます。
賢い兄は、犯罪に長けていて、それもこの作品の前半を惹きつける一因です。
それも効いて後半は、実際の命のかかった人の尊厳価値と、
生まれてきてから現在に至るまでの過程での、
自分が自分をおもう価値観へ、と作品のテーマが掘り下げられます。
前半の娯楽性に加えて、後半の、兄弟で違う父母との心の葛藤は、
後半はこのテーマが主で、それを活かす前半だったように感じます。
弟は、親を愛していたし、弟も愛されていた実感があります。
兄は、親は愛していたでしょうが、兄は愛されていない空虚で一杯です。
母親の愛を欲しさに、犯罪を犯します。
そして、兄は今まさに人の親になるとき、というその時に犯罪を犯します。
親へのあてつけか、親になることの不安か、それ以外にも心の葛藤があって、
生きる道を探しているようです。
この映画の一番の注目が兄の40年近い人生です。
彼は何をもって生きてきたかでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
武器よさらば 1932米 フランク・ボーゼージ
題名どおり戦争が引き裂く恋の話です。
主演二人の、一緒にいる時と別れなければならない時の表情が綺麗です。
苦悩が表現されているのですが、
当時はまだ第一次大戦の空気が色濃く残っていたのでしょうか?
なのにまた、大戦がありました。
この反戦の物語が1929発表で、1932映画公開ですが、
世が大戦へ流れる流れには、ほとんど無力だったのでしょうか?
それを考えると怖くなります。
映画としては、時間の制約からか速い展開でした。
そのために二人の表情がみどころになったのですが、
それと同じく、時折主人公自身になったカメラワークも
工夫されたシーンでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
最後の人 1924独 F・W・ムルナウ
サイレント映画の最高峰を撮るんだ。
という気概があるのかないのか。
トーキーへの道が開けていた時代かもしれません、
サイレントが確立された時代かもしれません。
想像するのには、
次の時代に残す気概よりも、
挑戦の気概を感じさせえる内容です。
ほぼすべてを映像だけで語ります。
サイレント映画は、言葉がないことを利用します。
サイレントは、映像と台詞を交互にが基本ですが、
映像が主になります、「それでは映像だけで表現しようよ」
でこの映画が作られた感じです。
映像と観客の信頼関係をサイレントでは感じます。
それを突き詰める作品として
この映画が撮られているようです。
落語が演者の意図を汲み、
聞き手が想像力を働かせるのと同じよさが
サイレントにもあります。
それを超えた作品を目指したのがこの映画という
においがプンプンしていました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
マレーナ 2000仏 ジュゼッペ・トルナトーレ
マレーナを遠くから愛する片思いしかできない少年が成長してゆくのですが、
魅力あふれるが故のマレーナが、戦争の悲劇と共に、悲劇を被ります。
少年は愛を貫き自分を賭けます。
最後の最後に一言だけマレーネに
「幸せになってください」と声をかけることができます。
この物語は、人の尊厳を犯す人が描かれますが、
戦争という非日常はそれを日常にします。
その中での少年の愛は、非日常でもぶれることはありませんでした。
マレーナは島に戻ります。
島に戻る必要はないかもしれません。
冒険でもあり苦痛でもあります。
しかし、戻って見返すということではなく、
戻って普通に生きることが、過去への決別です。
これからの出直しになります。
ここは私もしかと見届けるシーンです。
これをしなければ次には進めません。
時折の島の描写が鮮やかで、
郷愁を想わせながらラストの仕切り直しと少年の自立を描く、
良い映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
アリスの恋 1974米 マーティン・スコセッシ
自分のための家族が、家族のために奉仕している自分に、いつの間にか。
自分を責める男たちが何故現れるのか。
時に愛するわが子までが、自分を責める一人に思えてしまう。
ただ懸命に信じて生きてゆく、もちろん何も悪いことはしていません。
だけど何故か裏目にでてしまう、人生そんなときはあります。
どこにでもいる母と息子、決して裕福ではなく。
そんなありふれた民に国は何をしてくれるのだろう。
自立することとは、
そんな国や地域から。それと、
自分が思い描く家族や恋人や友人が、
自分にとって常に自分の都合ではないことです。
いつもの考え方を客観視して、少し醒めた感覚を持つ。
ドライだけど頭の片隅にそんなことを入れておきたいということを感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS 2008日 樋口真嗣
期待はしていませんでしたが。
リメイクではなくテイストを入れた違う映画としても、
いやはやなんとも、というのが感想です。
主人公二人の映画として観るものと、
教えられて、そうなのか。
変に納得しました。
映画にも多種類のジャンルや個人個人の好き好きがありますが、
背景の背骨はどの作品でも共通して大事にするものと考えます。
この場合は、戦国という時代と主従関係、領主と領民の関係が
ポイントのひとつですが、それらが背骨として機能していない。
それが最も残念なところでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】