三十九夜 1935英 アルフレッド・ヒッチコック
スピードとリズムで観る側を集中させます。
逃走しながら物語が展開し、スリル、推理、ロマンスがプラスされています。
ヒッチコックらしい作品で、ファン必見です。
シンプルな構成だけに映画の構造もわかりやすいので、
教科書的に抑えておきたいと、
映画好きとして感じました。
毎度のことですが、ヒッチコックの視点は、
ファンを喜ばせることにぶれていないですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
スピードとリズムで観る側を集中させます。
逃走しながら物語が展開し、スリル、推理、ロマンスがプラスされています。
ヒッチコックらしい作品で、ファン必見です。
シンプルな構成だけに映画の構造もわかりやすいので、
教科書的に抑えておきたいと、
映画好きとして感じました。
毎度のことですが、ヒッチコックの視点は、
ファンを喜ばせることにぶれていないですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
二人の子どもの行動から、性善説にのっとって、
人がやってはいけない行為、ここでは戦争を通して、それにまつわる、
人には禁じられているはずのことを、平気でやっていること、
その常と、それをおろかと反省する人の本質も語っている作品です。
反戦を語っています。おろかな人間像も語っています。
エゴが強烈に現れています。
子どもの成長に連れての、少し毒された生き様も垣間見ます。
でもこの子ふたりは純粋です。
大人の投影です。
ほんの身近な近所の諍いから、国同士の諍いまで。
本質は同じでそれを訥々と映します。
ただ底流には希望が隠れながら潜んでいると感じました。
ルネ・クレマンは驚かすような仕立てで観る者に訴えます。
この作品でもそれを凄く、そして、素直に受け入れる術で語っていました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
「内助の功」は万国共通です。
そして、心を温めてくれます。
第二次大戦のフランスの情景が混じって、それを想わせる光景があります。
でもそれよりも、節々示唆する繊細な描写は、目を離せさせません。
主人公ジャックの心を写す仕草は物語の展開にリンクしています。
人生は自分の意志でしょうか?
ジャックは光を失い、そこからジュヌヴィエーヴの助けを得て這い上がり
社会に認められます。
でも、社会で認められれば、食べてゆけるから、
それでまず安心で、それ以外は蚊帳の外です。
そして、自分の意志を確認します。
もうジュヌヴィエーヴなしではいられません。
実現する事象には、裏に支える内助の功が少なからずあります(あると思います)、
自分が価値を生み出すのは、大事な人との協同作業ですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ひょんなことから、たった二人で島で暮らすようになった男と女。
男は、妻と会社から逃れるため、
女は、暴君の婚約者から逃れるため。
だけど二人ともお釈迦様の手のひらの孫悟空です。
生きながらえてるようなもの、
それを感じながらも、仲良くできないでいる島の生活、
ここでは安住ができません、模索はしていますが、
しかしやはり。そして急展開ラストへ。
冒頭から前半の目を覆いたくなるよううなドタバタは、
当時としては力作の出来で、南米情緒も加味して、魅了しています。
逃れた島では何もならなかった二人が、
別れて数年どう感じ生きてきたのかは一切かけらも
語りません。
二人がこの間に大人(素直)になったのですが。
こういう雰囲気を感じさせる映画も面白さがあります。
どう感じさせるか。
イヴ・モンタンとカトリーヌ・ドヌーブの
ここに至るまでの演技で決まります。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
白いドレスが光に映し出された演出が美しく、
キーワードの「暑さ」が生々しく、冒頭から惹かれます。
音楽もピッタリ、
練られたストーリーで目を最後までひとたりとも離れさせません。
それらに応えるどころか、それらを御するほどの
魅力をだしていたのがキャスリーン・ターナーでした。
最後なぜ一人でボート小屋に行かせたのかが、
小さくケチを着けるだけだな。と感じるほど、
このジャンルの出色の映画でした。
しかも、男の性を見せ付けるけれど、
お仕着せになっていない按配にも○です。
ヒッチコックで感じるハラハラを
今回感じた映画でもありました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
市民ケーンに続くオーソン・ウェルズ第二の作品で、
市民ケーン同様に商業的には失敗。
けれど当時から作品の評判はすこぶる高かったようです。
前作同様、凝った撮影と社会問題を取り上げています。
そして人間個人の性をもテーマにしていて、
たくさんの見どころがあります。
冒頭で、世の変化を上手く演出してその感覚で本編が
流れているようです。
家での舞踏会
クルマと馬車
変わってゆく街と街の人たち
そしてアンバーソン家はなかなか変われず
亡くなって行き、最後には・・・。
人は、大富豪でも天才発明家でも庶民でも
大きな中のひとつのギアとしては同じであること。
変化が必須でそれを肯定するものも、
否定すつものも、その流れを促す一員であること。
それも語られ、
オーゾン・ウェルズが、20代でそれを知り尽くして
表現していることも驚きです。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
どんな人格者でも肉親に対して甘くなる。という
世俗的なテーマが背景ですが、
そこに留まらない展開があります。
敵役の姉弟の関係の問題は表面に、
味方役の兄弟の関係は隠れた問題を潜めています。
どちらも人に対して何ができているかを、承認して欲しい。
心の基本の問題です。
二つは悲劇になる、と、ならないに分かれます。
その原因は明らかです。
乱暴な言い方ですが、貧乏の方が
(この場合は恵まれすぎていない方が)
幸せが多いことです。(多いと個人的に感じています)
結局、目先の幸せは人が作り出した幻想かもしれません。
本心が望むものは?
それを埋めるために、無理をして幻想を作っているのが
現代かもしれません。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
市民の定義を定めることから、
この映画の鑑賞が始まります。
自分は凡人としての一市民だから、
市民です。ところが・・・。
を感じさせ、そこの物語の深さが(アメリカの当時の状況)、
この映画の評価のひとつになっていることがわかります。
この映画は他にも、脚本もカメラワークも大胆な構成も、
オーソン・ウェルズが当時25歳という現実も、
多くの評価対象が確かにありました。
けれど、市民を皮肉るような全体を制している空気が、
私としてはこの映画の魅力を感じました。
「薔薇のつぼみ」は微妙です。
見解が幅広いでしょう。
表向きもぼかされている上、
どうしても性的な、踏み込んだ理も考えてしまいます。
このあたりの妙が、これ以外にもちりばめられていることが、
金字塔としての評価を得ているこの映画の側面なのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
人には心があります。
これは身に付けたものではありません。
文明や法という言葉が台詞で、何度も出てきます。
それらとその価値観は、人が決めて身に付けたものです。
この物語は、脇役の総督が、それらの人としての
本来の心を取り戻す物語でもあります。
それを注目してしまうのは、
総督をみていて憤るのに、私が総督のように振舞うことがあることを、
示してくれているからです。
他の見所も満載です。
ハリケーンの壮絶な、年代を考えるとありえないほどの、
凄さと、リアルさ。
人種問題と植民地の現実の是非。
前述に関係ありますが、「法そのもの」そして、
法とは誰のため、何のためという問いかけ。
そして家族のもとへ、何が何でも帰る男。
演出も◎です。
初期部分の島や、前半の海と、
ハリケーン前後の海と島の様子も。
個人的に反省を促す、プラス
映画を楽しむとしてもおもしろい作品でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
戦争の傷跡が、個々の子供に植え付けられている、
悲しく、深い傷が、冒頭でとつとつと語られているところから
物語がはじまります。
今までに感じることができなかった、気づかなかった戦争の影響を
目の当たりにされます。
それだけに、ラストは感動を呼ぶのですが。
アメリカが良く描かれすぎていると、
へそ曲がりにも感じてしまいますが、
当時のアメリカの自負がわかります。
時折映し出されるガレキとともに、まだ、この少年の年なら、
生きていても良いほど、大戦は近い過去だったことを改めて想いました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】