銀幕倶楽部の落ちこぼれ
福福荘の福ちゃん 2014日/英/台/伊/独 藤田容介
人は人を癒し、癒される、反対に人に傷つけられる、
誰しも心に傷を負っているもの、
をほのぼのとした人情喜劇で表現していました。
話の流れは想定通りですから、
登場人物の心模様を追うことになります。
主役の福ちゃん(大島美幸)はじめ、出てくる人は、
ヒロインの千穂(水川あさみ)を除き、
普通であって、でも明らかに一癖ありと、
わかりやすい位に心に傷を負った孤独な人達です。
彼らの交流が深くなっていくのですが、
この辺りがこの映画の世の中捨てたものではないというメッセージに思えました。
ラストも出来過ぎ感はありますが、映画全体からすれば収まりは良いでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
6歳のボクが、大人になるまで 2014米 ルチャード・リンクレイター
皆年を取ります。
この映画は、生きていること、それは時間が経過していたことを、そのままズバリ、
主人公を6歳から12年間追って出来上がっています。
よくやったものです。
だれもが潜在的に感じている時間経過を、本当に時間をかけて、3時間弱観客に見せて生きることと時間を目の当たりにさせますから、こんなに説得力がある映画はありません。
ラストに一瞬を大事にすることについて言及されます。
今の一瞬は今であり、いつも一瞬があります。
そして常に過去に過ぎ去っていく。
この映画は、6歳から18歳の男の子の普通の日常を淡々と映します。
私達が歩んだのとほぼ同じ生活です。
生きることは残酷です。
出会いがあり、別れもあり、いつの間にか年を取り、死を迎えます。
映画の主人公はまだ18歳ですから、これからがありますが、
同じく12年間を過ごした母や父の姿も封じ込まれていて、人生の後半の姿です。
人の一生なんて儚いものです。
だいぶ年を重ねた私としては、でも生きてきたことの素晴らしさも感じましたし、
次世代の身近な家族には逞しく生きて欲しいことを改めて願うことを、映画を見終わって想うばかりでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
トム・アット・ザ・ファーム 2013加/仏 グザヴィエ・ドラン
異常な程に人を支配する人、そしてその罠にかかるかのように、
被支配されてしまう人、もちろん異常な世界ですが、
そんな人の性を露にしていきます、徐々に、徐々に。
主な登場人物は3人、その3人に潜む支配ししてしまう本音や、
支配されてでもすがりつきたくなる本音を、
簡単な設定ですが、狂気を含んだ3人の心理劇として、観る者に考えさせる演出で、
見応えがある映画に仕立てていました。
主人公のトムは同性愛の恋人ギョームを亡くします。
葬儀に行くと恋人の兄のフランシスが、
ギョームとの関係は母のアガットには秘密にするように暴力で押さえ込みます。
でもトムがフランシスの仕事(田舎の酪農農家)を手伝うという展開になり、
奇妙な、トム、フランシスとアガットとの3人の生活が始まります。
でもトムに支配的なフランシス、
アガットは若くして亡くなったギョームを偲びながらも、
その死で自分の嘆きを追います。フランシスが隠したギョームの本当の姿を追います。
そして、彼女も子供を支配していたであろうことが仄めかされます。
そして、暴力的なフランシスに惹かれてしまうトムです。
その姿を見て、一切描かれないギョームの姿も露になっていきます。
緊張感がある雰囲気に合うように、
彼らの本音が間接的にむき出しにされます。
それは、隠しておきたいという、誰もが持っている嫌らしいことを、この監督は、
語る以上に痛感させるという手法でこちらに投げかけます。
その観客に委ねることを期待する作りがこの映画の魅力でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ラブホテル 1985日 相米慎二
愛されていることを実感したい女と、
大事に想う女を愛する資格がないと決めてしまった男の物語です。
出版会社を経営していた村木は、金が回らずついついヤクザに借金をしてしまいます。
金を返せない村木に対してヤクザは村木の女房を凌辱します。
絶望した村木は自殺を決めます。
女(名美)を買い、道ずれに(無理心中)しようとしますが死にきれませんでした。
二年後、村木はタクシードライバーになっていました。
村木は女房をヤクザから守るために離婚はしていますが、彼女は通い妻として村木に尽くしています。
そんなある日、村木は偶然に名美を見かけます。
名美を待ち伏せしてタクシーに乗せる村木、そして、あの晩のことを名美に話します。
村木にとって名美は天使であること。自殺を思いとどまったのは名美と出会ったからと告白します。
今の名美は、体を売っていた過去を過去の男から脅されていたり、
会社の上司と不倫をしていて(この男がまたダメダメ男で)、未来に絶望感を持っていました。
村木は一見、朴訥で甲斐性なしですが、名美の前に現れた村木は彼女にとっては自分を必要としてくれる男だと感じました。
名美には、それが村木を愛すことと愛されている実感へと繋がります。
村木も名美は愛おしい存在です。
名美が今幸せでない現実を何とかしてやりたいと思います。
二人は二年前にリセットすることを決めます。
これは名美のたっての希望です。名美はこれをきっかけに村木とこれからの人生をやり直すつもりだったけれど、村木はこれを最後に別れるつもりでリセットの儀式に臨みます。
そしてラストになります。
名美が村木のアパートを訪ねると村木はもういません。
帰り際に村木の女房とすれ違います。村木は女房とも別れを決めたのです。
名美は、愛してくれる人を求めていました。その対象が村木でした。
優しい村木はそれに応えようとしましたが、村木は自分では不適格だという自覚がありました。
“女房も守れなかった男”という烙印を自分に押しているのです。
そんな男になお今も健気に尽くす女房がいます。
そしてまた、自分を必要とする女名美が現れました。
村木は、その二人から遠ざかるのが二人のためだと決めたのです。
村木は、二人を(どちらか一方かもしれませんが)愛することが怖かったのではないかと推測します。
また愛する人を守ることができないで女を傷つける怖さと、
結果そんなことしてしまう自分に出会ってしまう怖ろしさに襲われて姿を消したのです。
二人を愛するが故に、二人とはいられないのが村木でした。
また二人の女も村木に頼ることで今から(明るい未来のために努力すること)を曖昧にできる道を選んでいて、村木にはそれも耐えられなかったのです。
女達は、村木に愛されたい気持ちがないわけではないのですが、
それよりも愛される実感の方が欲しいことを村木は気づいていたのでしょう。
とても切ない物語ですが、村木のこの決着は、彼ができる一番の選択だと言って良いでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
我が家は楽し 1951日 中村登
途中からハッピーエンドが見えてきてしまいますが、
それでも感動した、ホームドラマの秀作です。
豪華なキャストで、鑑賞前から期待が高まりますが、想像通りの演技でした。
父の孝作(笠智衆)は勤続25年の万年課長です。一生懸命に働きますが、
家計の苦しさは募るばかりです。
その苦しい台所をやりくりしている母なみ子(山田五十鈴)が、内職仕事しながら、
嫁入り道具を売り払い、結婚指輪まで質入してなんとかしています。
長女の朋子(高峰秀子)は画家志望です。なみ子が、仕事をしないで良いから、
とにかく画家を目指すことに専念するように言われて、努力していますが、
作品は展覧会で落選ばかりです。
また、恋人三郎(佐田啓二)は肺の病で療養中です。
次女の信子(岸恵子)は高校3年(多分)合唱に力を入れていて、両親もそれを誇りにしています。近く修学旅行があるようで、そのお金の工面もなみ子は大変そうです。
長男と三女はまだ小学生です。
そんな時、孝作が勤続25年の表彰をされることになります。なんと金一封付きです。
傘すらまともでない、雨が降ると濡れてしまう靴を履いている位に貧しい子供達は、
金一封で欲しい物が買ってもらえると大はしゃぎです。
夫婦も給料2ヶ月分と、予想以上の臨時収入で大喜び、早速子供達へのプレゼントを購入、夫婦もそれぞれくたびれた服しか着ていないから、二人とも新調しようということになりましたが、貧乏性で自分のことは後回しです。
そんな楽しい買い物の晩、子供達は孝作の表彰のお祝いの準備をして待っていました。
浮き浮きして帰宅した夫婦ですが、なんと、ほとんど手付かずの金一封が掏られていました。
そこからは負の連鎖が続きます。
長男は足の骨折、朋子はまた落選しかも三郎が亡くなります。そして大家から立ち退きまで強要される始末です。
家が火の車だとは決して漏らさないなみ子ですが、ふとしたことで、朋子はそれに気づいてしまいます。
そこで、絵を諦めて働くことにしますが、世間の荒波は朋子の想像以上だったことと、純粋な朋子には紹介された勤め先でさえも勤務することができませんでした。
絵もダメ、三郎も失った、勤めもダメと、何もできないと自己嫌悪の朋子に、なみ子は秘密を打ち明けます。
なみ子は嫁入り前まで絵が大好きで、画家志望だったこと、孝作は絵を続けさせたかったが、家計が苦しくて諦めたこと、そんな過去があって、朋子が子供の頃から絵が好きなのを見て、朋子には自分の夢の分まで、どんなことがあっても画家を目指すことを続けさせるのが、なみ子の喜びであったことです。
それを知り、奮起する朋子で、ここから先は予想通りの展開です。
とにかく状況に対して真実味溢れる役者陣です。
頑張っていて甲斐性が無いわけではないけれど苦しい家計になってしまう孝作の無念さを、笠智衆が、
本当に健気、これぞ良妻賢母、子供達への愛に溢れる母で、内に秘めた強さもあるなみ子を、山田五十鈴が、(しかも本当に仲睦まじい夫婦で理想型です)
揺れる立場の朋子を高峰秀子が、
いかんなく好演技を見せてくれます。(出番は少ないですが、佐田啓二も)
岸恵子と小学生二人も家族という観客の想いを具現化してくれます。
喜びもあれば、不平不満もある、わがままも言うけれど、でもやっぱり両親に対して有難いという感情があり、節々にそれを垣間見せてくれます。
演出が良いことも後押ししています。
まだ貧しい日本ですが、家族で幸せを勝ち取るそれが当たり前にできる姿に見ていて羨ましくなります。
物語も、大家がそれを形に現してハッピーエンドです。
お金がないことで苦労ばかりの孝作と、特になみ子ですが、
だからこそ、子供達から心からの感謝を貰います。
物がない。裏を返せば欲しいものがたくさんあるのは幸せなことかもしれません。
手に入れる喜びが得られるからです。
それと共にこの映画は、そんな苦労が家族の幸せにつながったことを描いています。
今となっては物が簡単に手に入ることに対して、ひと言物申されてしまった、心に針を刺された気分になりました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
恋愛日記 1977仏 フランソワ・トリュフォー
紛れも無くフランソワ・トリュフォー監督の女性賛歌映画です。
もしこの映画の主人公が身近にいたら、絶対に仲良くなりたくないのですが、
映画の中の主人公は男から見れば愛おしい存在です。
主人公のベルトランは女性好き、女の人と一緒にいられる境遇がなければ生きていけません。
しかもたった一人の女性と添い遂げるのではなく、
とにかく、女性が大好きですから、気に入った“脚”の女性と一緒にいられるように、涙ぐましい努力を惜しみません。
日々、出会う女性を物色して、好みであれば、静かに猛アタックです。アタックといっても、本当に心からその女性が素晴らしくて仕方がないのですから(何人でも)、とても真摯で紳士な態度です。
だからかどうか、決して男前ではないのですが、かなりの高確率で狙った女性と過ごすことができます。
映画は、ベルトランの葬儀から始まります。
一人の女性の回想から始まり、回想の中でベルトランの回想という構図です。
ベルトランは、彼が望む方法で母親から愛されなかったので、その遍歴が女性なくしては生きられなくなったようです。
そして、次から次へと美脚の女性を愛していき、一緒になるのですが、一人の自由な時間と空間も確保します。
物語は、ベルトランが自叙伝を書いて、それが出版されるという流れで、最初の葬儀の説明は、出版社の女性編集者で、彼と最後の最後に愛し合った仲の女性でした。
女たらし映画で、そう観てしまえば何のことはないのですが、
男と女の関係の不思議さ、論理的では一切ないことをユーモラスに描く作品で、時折自分が重なりますし、一生もがいて生きていく姿が人間だと、ちょっと哲学的な心境にもなります。
脚本が巧みで、まとまりがない物語を紡いでいくという感じで、演出も含めて、このあたりはフランソワ・トリュフォー監督はとても上手いなあと感じます。
可愛い少女から、若い美人から、41歳の美女まで、そして綺麗な脚がこれでもかとスクリーンに映る映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
フットノート 2011イスラエル ヨセフ・シダー
権威やブランドと無縁では生きられないのが人。
そして、父子といえども、いや父と子だから余計に相手同士を認められないのも人の性で、
そんな社会や人間関係を皮肉っぽく描いた映画です。
父エリエゼル・シュコルニクも息子のウリエル・シュコルニクもタムルード(ユダヤ教の経典)の優秀な研究者です。
朴訥で頑固なエリエゼルは、本質的な研究を30年続けています。優秀なのですが、世間に認められた成果は出していません。
それに引き換えウリエルは、成果を得るのが上手く、様々な栄誉を勝ち取っています。
イスラエルで最高の学術賞であるイスラエル賞の受賞の電話が、エリエゼルにもたらされました。彼は20年間候補者に挙げられながら、毎年受賞を逃していた、また主だった賞を受賞したこともなかったことから、長年の努力が認められたと喜びます。
しかし、イスラエル賞の真の受賞者はウリエルで、間違い電話だったことが、学会に呼び出されたウリエルに伝えられます。
ウリエルは、審査委員に必死にエリエゼルを受賞者とするように主張します。その大きな理由に、エリエゼルが陽の目を見ないのは、審査委員長のグロスマンがエリエゼル憎さからであって、彼の研究成果が劣っているのではなく、グロスマンの人的工作のため、だからエリエゼルは立派に受賞の価値があるというのです。
それに抵抗するグロスマンですが、必死に説得するウリエルに折れて、エリエゼルを受賞者とします。ただし二つ条件を出します。
ひとつは、エリエゼルの受賞理由はウリエルが作成すること。
もうひとつは、ウリエルは永久にイスラエル賞を辞退すること。
ウリエルは二つの条件を受け入れます。
そんなやりとりを知らないエリエゼルは、受賞のための新聞の取材で、ウリエルを批判します。上っ面の研究しかしていない研究者だということを辛辣に公言したのです。
そして研究とは自分がやってきたような、地道で地味なものだと主張したのです。
面白くないのはウリエルです。自分がどれだけ骨を折って父に華をもたせたことか。
今回だけでなく、彼は父がイスラエル賞を受けられるように毎年画策をしていたのです。
ところがある時、エリエゼルはイスラエル賞の受賞理由はウリエルが作成したものだと気がつきます。物語では明らかにされませんが、多分エリエゼルは、真実を悟ったはずです。でも映画は受賞式典に臨むエリエゼルの姿で幕になります。
ウリエルは父の研究の一番の理解者であり、その価値も一番解っていましたし、自分にはできない研究をしていることも認めていました。
ただ、時代遅れの研究者であるとも思っていました。
エリエゼルもウリエルの優秀さは認めていました。そして誇りだとも思っていたでしょう。ただウリエルは、要領の良さで数々の名誉を受けているということを、嫉妬心から強烈に抱いていました。
二人ともお互いを認めていながら、仲良くやることができないのです。
主義主張が違うという議論さえしないのでしょう。
それは、人が人を評価する権威やブランドというものがまっさらのその人物の評価を妨げるからです。
非常に皮肉な結果です。
エリエゼルはイスラエル賞をもらったことで、やはり我の研究は息子以上だと、それが当たり前だと自分を納得させるでしょう。
でも真実は息子が取った賞だったと気付いています。
でもそれを認めることは無いでしょう。
息子も永遠に自分は父以上という意識で生き続けます。
いったい名誉(権威やブランド)は、何をもたらすのでしょうか。
そして、父と子であっても競い合い、お互いよりも優位にいたいとしてしまうのが人間です。どこまで自分が可愛いのでしょう。
そんな、人が生きる上での避けられないシステムや性格を巧みに示した映画でした。
追伸
12/22は「冬至」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「冬至」の直接ページはこちら
冬至
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ヴィクとフロ 熊に合う 2013加 ドゥニ・コート
過剰に付けが回ってきて過去を清算させられた女二人ですが、
人間社会の恐ろしさを感じた映画です。
刑務所から出所した61歳の女性のヴィク(トリア)は山小屋に住む叔父を訪ねて、ひっそりと暮らすことを選びました。
そこに呼んだのは、刑務所仲間のフロ(レンス)、二人は服役中から愛し合っています。
村では少し浮いた存在の二人ですが、まあまあ仲良くやっています。そこへ、フロに因縁を付ける女が現れます。
ヴィク共々過去の清算を漬けられることになります。
牧歌的な暮らしの中に、悪意入り込むという感じで、
そこから逃れることができない二人です。
重ねてきた過去により人は、自分自身ではどうにもならない状況に置かれてしまうという、社会で生きる怖さを感じる映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
シャンティデイズ 365日、幸せな呼吸 2014日 永田琴
ヨガのプロモーション映画のようでした。
終始ヨガシーンがあるのではないですが、ヨガによって人生が開ける、
というメッセージを感じたので。
確かに良いものでしょう。けれど、人はすぐに神にすがりたくなるので、
ヨガを神にしてはいけません。(そうは言ってませんが)
振り返って、自分も何かを神にしてしまおうとすることがある事を反省しました。
物語は、田舎から都会に出てきた娘の海空(みく)と、人も羨む美人で人生なんの不安もないKUMIの二人が主演です。
海空はKUMIによって女が磨かれ輝いていきます。
KUMIは思いがけない挫折を経験し、そこから立ち直る(もちろん海空が絡みます)、というベタな物語です。
海空が垢抜けていく様が良かったのと、KUMIの素晴らしいプロポーションのヨガが見所ですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
チャイナタウン 1974米 ロマン・ポランスキー
スーパーマン級の男が全身全霊をかけて、過去の過ちの悔しさを晴らそうとしたのですが、それが出来ず、じくじたる思いで幕が閉じる上質なフィルム・ノワールでした。
主人公の私立探偵ジェイク(ジャック・ニコルソン)は、かつてチャイナタウンで刑事でした。彼はそこで救うことができない女性がいたようです。
この物語は、1930年代のロサンゼルスの都市開発においての水道局の水の利権という社会問題を背景にした殺人事件をジェイクが追うという物語ですが、
その殺人事件にジェイクが巻き込まれ、キーとなるミステラスな女性イブリン(フェイ・ダナウェイ)がジェイクの中で過去の救えなかった女性にかぶり、なんとか救おうとするのですが、適わないという、ジェイクの悲哀の映画です。
決して格好良くない、粗野なジェイクですが、やることは抜かりなくやる男で、この映画は彼の魅力で引っ張ります。
そしてイブリンの秘密と事件がかかわるのですが、ミステリーとしても凝っていて、探偵ものとしても十分です。
また、1930年代の再現もしっかりされていて、映画の世界に惹き込まれます。
ジェイクは困難に次々と遭遇しますが、タフです。スマートな解決は更々狙っていなくて、泥臭い方法でも目的成就のためならなんでもあり、だけど、人間臭さもある男です。
ラストの無念は、これまでの彼の努力を台無しにするのですが、この巨大権力は巨大であるという展開もリアリティがあります。
それだけに観ている者も、じくじたる思いで映画館を後にしなくてはなりませんでした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】