2009年04月
博士の愛した数式
素晴らしい絵画や彫刻、美しい調度品と同じように
数字や数式を実用とは別に芸術と感じることが出来るのは、
人の感性の豊かさです。
それを小説として完成させて、感動の物語にしてしまうところが、
著者の凄さです。
単なるひらめきだけではなく、登場人物の設定、物語の背景や小説内で現す出来事まで、
とても深く考えぬいた末の作品です。
どんな本も著者が考えぬいているのかもしれませんが、
博士の病気の症状から、私に与えた職業、義姉の存在、江夏の背番号28の完全数。
他にもたくさんの細かい設定は、緻密な積み上げでできています。
そして、主役達の表現は間接的に温かさとして伝わります
小津安二郎作品と似た感じを読書中感じました。
【いもたつLife】
豚と軍艦
アメリカが来る前の横須賀の人はほんの一部を除いて
いません。
だから、ヤクザも堅気も娼婦も商人も(役人も)アメリカ相手だから皆同じにみえます。
そんな流された生き方に染まるか、あたりまえに自分で自分を洗脳してしまうか、
大した後ろめたさじゃないから良いとするか、
積極的に参加して生きるか、
小さなサークルで・・・タイトルからとれば豚のように飼いならされています。
みんな。
そんなサークルの中の生き方を、
ちょっとだけ疑問に感じ、ひょんなことから嫌になったのが春子と欣太です。
他にもたくさん同じように感じた人はいたでしょうが、
“これは違う”を強く思いました。
そうすると途端にサークルの中で、生きにくくなります。
自立はいつも気にしたいことです。
この作品ではアメリカからの自立が描かれます。
それは今観るから、自立した方が良いことはすぐにわかります。
現在の方が自立しているかが、わかりづらくなっているように思います。
この頃はアメリカから自立すれば良かったので、もしかしたら、
現在の方が自立できない根が深いのではないでしょうか。
なんてったって自覚がないように世の流れが出来てしまっているからです。
【いもたつLife】
なんじゃもんじゃ
本名は「ヒトツバタゴ」と言うそうです。
めずらしい木で、花もすぐに、散ってしまうので、
ここでも花見をしていたり、撮影している人達がいました。
ここに来る前は、オーロラの写真展に立ち寄ってきました。
オーロラみたさに、カナダやフィンランドまで
10回とか15回行った兵が撮った素晴らしい写真でした。
オーロラの写真にはツンドラ地帯の紅葉も写っていました。
それらとなんじゃもんじゃと、
全然別の自然に触れたのですが、
ほんの細い糸ながら、それらがつながっていることに
ちょっとした安堵を感じました。
【いもたつLife】
初恋
1960年代後半の社会を、
理不尽に憤りを感じている若者の目を通した映像です。
3億円事件をうまく取り込んで脚色されていました。
国は国民のために権力を行使するばかりではないことに、
今は慣れてしまっていることに、それは、自分が悪い!
と自分には響きました。
あの頃の人たちは私の上の世代ですが、
自分達の存在を確信したい気持ちから行動を起こしたこともあったでしょう。
でもその行動の中には、次世代のために今自分達がやることがあると、
エゴだけではなく、良き社会を残さなければならないという使命があったのでしょう。
これ以降はそれが欠けていってしまったように思います。
作品はミステリー、ラブストーリーです。以上の感想は勝手な解釈なのであしからず。
【いもたつLife】
エリン・ブロコビッチ
奇跡はおきない!
難関を乗り越えたのは、エリンの意志と努力でした。
はたからみれば出来すぎにも見えます。
実際にもラッキーなことがあったことでしょう。
不合理なままを受けいれなければならないことなんて、
たくさんあります。
なにもしなければだれも救ってくれません。
なにかをしても、権力に押さえ込まれることもよくあります。
だから奇跡のようなことが起こった時、
それは、意志と努力の汗の賜物です。
表には現れないことを想像したい映画でした。
【いもたつLife】
君子を目指せ 小人になるな
膨大な中国古典、東洋思想のエッセンスを紹介してくれています。
初心者でもそれらに関心を持ってもらおうという点から書かれています。
中国古典には、過去何度か関心を持った経験は誰しもあるのではないでしょうか?
古典の原書では理解できませんから(自分では)、
これがきっかけはOKです。
こういう本がでることが、
やっぱり今の時代を映しています。
変わりつつあるのか、既に少し変わったのか、
「とにかく柔軟でいよう」と再度自分に言い聞かせてくれる本でした。
【いもたつLife】
山猫
したたかに生きてきた貴族、
同じくしたたかな商人、
めまぐるしく変わる時代に身につけた術か、または、
時代を読んで生き残った戦略家達です。
貴族が後継者として選んだのは、実の息子と娘ではありません。
商人は娘を自分の生き移しのようにしました。
このカップルは先代を凌ぐしたたかさを身につけています。
ただし、同じやり方で次の時代をやり過ごせるかはわかりませんが。
貴族も商人も軍人も変わることができない人達がいます。
できないのではなく、変わらないように生きる美学を持っているのかもしれません。
そういう人達が舞踏会に集まり、延々と宴が続きます。
中世最後のあだ花が、とても美しく描かれている、
撮られている、そこにも価値がある作品でした。
【いもたつLife】
プリズンホテル
家族、夫婦、恋人、友人、師弟や職場での人間関係は、
人間が人なしでは生きてゆけない本能に必要で、
お互いが必要としていて、そのバランスが微妙に保たれて生きています。
それはやくざでも、生きたくなくなった夫婦でも、
自分を見失っている若いカップルでも、
行き詰った作家と秘書でも、左遷されたエリートでも同じです。
極端な人物を通して「そうでしょ」
と言っているようでした。
訳がわからない展開っぽい感じでしたが、
こういう感覚を自分(私)に入れるのも悪くないな。
と思いました。
【いもたつLife】
一日だけの淑女
奇跡が起こりました。
多くの人が自ら進んで、アニーのためが自分ため、と思い嘘を現実に変えました。
娘はこれで本当に幸せなのかの疑問が残りますが、
アニーは全うし、悔いはないのでしょう。
なぜアニーに協力したのか?
乞食仲間は友情ですし、
シナリオを作った悪者たちは大事な取引先としての義理です。
その子分達は当然仕事。
では、知事や市長や警察は?
悪乗り、おふざけ、芯からの同情、憐れみ、
どれも少しずつ違うような気がします。
映画だからと言ってしまえばそれまでですが。
この人達が行動することを信じる、ことを訴えたかったようにも感じます。
それと、前述とは異なるのですが、
アニーの嘘に対して嘘を現実化して追い詰めて、アニーに清算させる
「悪魔的な意地悪さ」が引き出せれているようにも思いました。
推測ですが、娘と分かれたアニーにはもう後はありません。
でもアニーは望みが適ったのですから、本望でしょう。
【いもたつLife】
残菊物語
お徳のあのかよわく響く声、
大げさかもしれませんが、これまでの私の人生に訴えてきます。
それほどまでに、心の中に入ってくる映画なのでしょう。
自分が今あるのは、
お徳という存在がいたからだということを・・・。
そんなことを心にとらえます。
こう思うのは私だけかもしれませんが。
菊之助は背負ったものが大きいから、お徳はそれに尽くすことができたし、
したかったかもしれません。しかしお徳の献身はそれを超えます。何故でしょうか?
時代でしょうか?
純粋に菊之助を一人前にすることに喜びと人生をかけました。
そして成就しました。残念ながら命と引き換えですが。
そしてプラス、自分を犠牲(ではないかもしれませんが)にしたのは、
至福を求める心のような気がします。
誰も持っているものです。
そこにこの作品のキーがあると
私のかなり個人的な見解ですが、思いました。
台詞ひとつも、舞台設定も、歌舞伎の映像も、街での人々も、
この物語を作るすべての小さい一つになっています。
それが作品の凄さとして残されていることに加えて、
戦前の様子とともに封印されていることに、
年月を超えて価値を高めていくでしょう。
それはきっと、物語に込められた人の心の機微ともに。
【いもたつLife】