2010年04月
尼僧物語 1959フレッド・ジンネマン
人が作ったシステムには限界があります。
言うのがおこがましいですが、キリスト教でも同じです。
そんな世界を描いています。
それはキリスト教、というよりも尼僧の世界とそこに生きる
尼達が、信仰をまっとうしようという努力、
ここが丁寧に映されています。
でも人であることに主人公(オードリー・ヘプバーン)
が離れられない姿は、
切なくも力強く、尼層と同じく、人のために尽くす姿です。
「守・破・離」のごとく主人公が旅立つラストは、
尼僧の世界も肯定していますが、
だけど、誰もが認める到達点が、その人の全てではない、
ことを示します。
また、そもそも自分にとっての目標なのか?
を気づかせてくれます。
造り手がどう表現するかが難しいテーマだったように思います。
もうひとつ感想を、
尼僧の世界を噛み砕いてゆっくりと現してくれたことも、
この映画を通しての収穫でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
パレード 2010日 行定勲
実は誰も何も全ては気がついていなくて、
でも一面ずつ多方面からは知っている。
それを一番わかっているはずの藤原竜也が、
体感的には何もわかっていなかったのだが。
そんなことはどうでも良いのです。
5人がそれぞれ抱えている負は、(小悪魔かもしれません)
必要だと説いているようにも思えますし、
それは“あなたの価値を決めるものではない”
という現代が生んだメッセージのようにも感じます。
都会のありふれた=と言っても犯罪を追うヘリコプターの音=から、
ミクロなルームシェアにつなげるオープニングは、
ルネ・クレールの「巴里の屋根の下」をイメージしました。
(全くもってこれは私の感覚ですが)
でもそういうふうにひとつひとつのシーンが、
なにかをイメージさせるそんな力がある映画でした。
藤原竜也も良かったのですが、ルームシェアをしている4名も
好演でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
乱れる 1964日 成瀬巳喜男
積み重ねてきたものが大きすぎていたために、
義姉と義弟は縛られたままでした。
姉の魂はその選択しかできないし、踏み越えたら壊れたでしょう。
けれど弟は結果がでてしまうと、このままではいられませんでした。
(わからない言葉ばかりですが、ネタバレしたくないので)
(できれば観て欲しいです)
台詞も厳選され、背景や全体の流れも大きくも小さくも直感でき、
カットの間隔も心地よく、脇役も名優プラスそれを活かしています。
成瀬監督の良さと小津監督の良さが解かる作品です。
両監督とも本当に只者ではありません。
「乱れる」は「東京物語」を思わせる背景があります。
本題は違いますが、その本題の背景には「東京物語」があります。
何故「東京物語」を引き合いに出すのかと言いますと、
「乱れる」の成瀬監督の凄さを伝えるのに私の文は稚拙すぎるから、
少々誤解を招いてもその方が適切だと判断しました。
けれどここからが本当の感想です。
高峰秀子さんに尽きます。
最初からだんだん、最後になると高峰秀子の心に同化されてしまいました。
日本映画で不世出のひとです。日本で一番かもしれません。
けれど、好きな女優さんはまた別なのです。
このあたりが人間の性のおもしろいところで、
高峰秀子をみるといつもそれを感じます。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
カイジ 人生逆転ゲーム 2009日 佐藤東弥
雰囲気は全然違いますが、主演の藤原竜也を観ていると、
と言ってもデスノートとこの作品だけですが、
こういうキャラの出演を通す、
昔の若い頃の川口浩と重なります。
(ぜんぜん違うキャラですが)
これは褒め言葉で、
貴重なキャラという意味です。
上手い演技とは別にくくられる役つくりという意味です。
(ちょっとわかりづらいかも)
それはさておき映画は、
マンガの実力を感じます。
原作はかじっているだけですが、
原作のポリシーを伝える内容でした。
日本のマンガやっぱり凄いですね。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
たけのこ掘り
雨後のたけのことはよく言ったもので、
ようやく暖かくなり、
出たくて出たくてたまらなかった「竹の子達」を、
待ってましたとばかりに。
掘られた方は「やっと日の目を見たのに」
という感じでしょうか。
竹やぶの手入れをしながらの竹の子掘りで、
素人手伝いです。
山でも田んぼでも畑でも、
人の手(機械の手ではありません)が入る入らない違いは
大きいものです。
【いもたつLife】
黒の試走車 1962日 増村保造
気が違ったような連中の中で、
ヒロインだけがまっとうな人間です。
そのヒロインの元へ、主人公が人を取り戻し、
気づきかえってゆきます。
個に焦点を当てると、そういうことですが、
個よりも輪を広げて、
会社へ広げて、もっと広げていって、描かれている社会は、
気が違っているけど、ごくごく普通に営まれているから、
観ていて嫌になります。
(自分が個でも公でもこの世界に属しているから)
この描写は50年前でも同じで、
こういう撮り方を増村監督はしっかり捕らえて、映画にします。
人がいかに短絡なものを追いかけているかを、
あざ笑う映画です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
波止場 1954米 エリア・カザン
主人公マーロン・ブランドがくすぶっていた今までの人生から
脱却してゆきます。
くすぶってしまったのは、「おまえのせいだ」と叫びながらのようでした。
それと呼応して、波止場全体も今までから脱却するのですが、
主人公にとっては、波止場なんかつけたしです。
でも波止場のひどい状況がなければ、
くすぶり続けたでしょう。
波止場を通して社会性を説いた作品です。
でも個に焦点を当てても、みえてくるものがありました。
自分の人生をどう捉えているか。
今の環境は何のためにあるのか。
あたりまえですが、どんな状況でも同じです。
生きるなんて自分の気構えでしかない。
そんな生き様を主人公のマーロン・ブランドは
この作品に残してくれました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女 2009瑞/丁/独 ニールス・アルデン・オプレブ
地味ではない映像だと思いますが、これがハリウッド作品となると、
この匂いはなくなるでしょう。
二人のコンビに味があります。
一見パッとしない男と、
かなりカゲリがある秀才(天才)であり異常っぽいけど応援したくなるヒロイン。
原作も読みたくなります。
少し尖っていて、味わい深かったです。
なかなか見ることがないスウェーデンの自然を
目に出来ることも良いのですが、
この国の宗教観やナチスとの関係を知るきっかけ
になったことも収穫でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ピアノ・レッスン 1993豪 ジェーン・カンピオン
男にとっての悲劇は、嫁いできた妻を迎えた初日に、
はじまってしまっていたのでしょう。
妻=主人公にとって命と同じピアノをあまりにも軽視してしまいました。
こういうシーンはいつも自分を振り返り反省してしまいます。
まったく人のことを解らない自分をです。
そのくせに自分のことは解ってほしいのが人です。
映画は、
主人公が声の変わりにピアノと表情と手話で、
あまりにも解らせてくれる表現の演技、
子役の演技、が印象的です。
脚本も主人公の変化を上手く現しています。
カメラも良く、評価が高い作品というのも頷けました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
愛情物語 1955米 ジョージ・シドニー
華やかに成功してゆく前半。
そして悲劇。そこから主人公のタイロン・パワーが
どう生きるかがはじまりました。
自らが選択した、親をまっとうしない生き様が、
もう一つの悲劇に続くストーリーは、
後半からラストまで惹きつけます。
瞬間でしかなかった幸せとずっと過し、
もうそれはないと気づき、
次の幸せを求めることを自分に許し、
(そこには犠牲にしていた自らの子がいました)
もう一度人生が始まったときには・・・。
人生は長いのでしょうか?
短いですね。
だからそれを全うしようという意志を感じる映画でした。
主人公の心の動きをこの時代にまつわる出来事に、
出来事が起こった訳にリンクして伝えています。
*リンドバーグの大西洋横断の頃とアメリカ
*第二次大戦に参加する主人公
*そして戦争の余韻が残るなかの出来事
ひとりの半生を語りながら、
人のわがままと、それを超える人が生きる意義を訴える映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】