2010年04月
妻は告白する 1961日 増村保造
愛する男に対する女のすさまじさが心を打ちます。
何故ああも人を愛することができるのか?
(それを表現した若尾文子はさすがです)
やっぱり出生にキーがありそうです。
物語では、そのあたりはほとんど触れていませんが、
この物語での女は、男が、愛してくれる男がいなければ、“もう”生きることが、
できなくなってしまっていました。
「たとえ3年に一度でも良いから合って」
希望がそこにしかないのです。
人の生き様は、自分ではわからない、気づいていない、
過去からの積み重ねが描かれているように感じました。
それと愛に対しての違いもメッセージも。
あれだけ人を愛せることが女にはできます。
それなのに男は・・・、
本当に鈍感または、エゴイストとして女の夫が登場します。
法廷劇としても面白みがありましたし、
増村監督の中でも代表作といえる作品なのではないでしょうか。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
失はれた地平線 1937米 フランク・キャプラ
第二次大戦への警鐘も込められている映画です。
争いのない理想郷、シャングリ・ラが舞台です。
この映画の理想郷は、違和感がありました。
人間が不完全だから違和感を覚えるのか、
あまりにもバランスを欠いているからなのか。
今も昔も、人がつくりだした世界には、
争い犯罪もろもろ嫌なところがたくさんあるけど、
心に描く理想が現実になってもそれは、やっぱり不完全でしかない。
そんな世界感を感じました。
結局は、家庭の中で小さな小さな理想郷を自分でつくる。
これが人ができることだし、
これができれば幸せなのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
林家正蔵 独演会
落語好きと言ってもほとんど耳だけ。
今は亡き名人のCDを聞いていて、
現役を生で観るのは立川流。
とかなり偏っています。
正統派?というかは解かりませんが、
立川流以外の現役の有名な方はほぼ初めてでした。
大きなホールに満席でしたから、
正蔵師匠の人気に驚きつつ、
実力ある芸にその人気ぶりも納得でした。
師匠が二席、二つ目と前座がそれぞれ一席
3人とも上手でした。
でも3人でも独演会と言うのですね。
【いもたつLife】
忍びの者 1962日 山本薩夫
忍者を格好良い演出ではなく、泥臭い、けれど
これが日常である。という視点でとらえられています。
だから、ひとりひとりが地味です。
でもその方が現実だっただろうし、そう感じます。
人は環境と教育で、人格が形成されます。
忍者として生まれると、日陰に生きるもの、表には決してでない、
普通の幸せとは隔世になります。それが疑問にも思わない。
そんな主人公(市川雷蔵)が人並みに気づく話でもあります。
市川雷蔵は好きな役者ですが、こういう影がある役はぴったりです。
石川五右衛門を忍者として設定したことも面白いですし、
信長支配の戦国を、忍者を含めて敵対する底辺の者たちから描いた
という点でも面白い映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ザッツ・エンタテインメント 1974米 ジャック・ヘイリー・ジュニア
たかだか100年余りが映画の歴史ですが、
無数の作品がつくられました。
言うまでもないことですが。
多種多様で、
国が違えば違う感覚、同じ国でも全く作風が違うのも当たり前、
でも映画会社のテイストもあったりもします。
また、多くのジャンルも出来上がりました。
時代とともに変遷してきました。
映画を縦横無尽に鑑賞していると、
こういう映画にある時出会うと楽しくなります。
ミュージカルという映画史を語る上でなくてはならないジャンル
それもMGM社にしぼり、その醍醐味を往年のスターが紹介してくれます。
ミュージカルに巨大な力が乗り移っていった時、
その時にしかできない作品ができていったことがわかります。
何故この頃のミュージカルを現代によみがえらせないのか?
そんな疑問を何回か持ったことがあります。
あたりまえに、フレッド・アステアのような役者が現れないことも
一因だと思っていましたが、それだけでは腑に落ちませんでした。
その謎のひとつは、ミュージカルが一時代になってしまったこと。
にあることを実感しました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
しとやかな獣 1962日 川島雄三
コメディですが、コメディとは思えない、人間の悪と
生きるためのしたたかさを描いた映画です。
たしかに面白い映画なのですが。考えてしまいます。
脚本も良いですし、人物描写や、カメラワークなど、
好みの映画で今年のマイベスト10に入るでしょう。
団地一軒の中だけで映画は作られています。
多種類のアングルと、時折外からのカメラや、外へのカメラを使い、
台詞以外でも人物を語ります。
内容は、あばしり一家のような家族と、
ひとくせあるその被害者たち、
そして、あばしり一家も舌を巻くほどの女の軋轢です。
言葉遣いが、まったく本音でない、から、オブラートに包んだ本音、
半分本音、かなり本音などその使い分けが妙です。
これらは、普段誰でも使い分けているのですが、
えげつなく描かれています。
でも100%本音はでないんですよね。この映画でも。
でもそれをお互いが理解しています。
笑うに笑えない映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
眼の壁 1958平 大庭秀雄
東京から田舎へと展開してゆくところ、
登場人物の素性があきらかになってゆくところ、
松本清張らしく面白かったです。
佐田啓二の落ちついた二枚目ぶりは、
当時かなり人気があったことを容易に想像させてくれます。
新幹線がない時代の旅、出張がどういうものなのか、
松本清張とふれると、そこにも思いが馳せます。
同じく通信手段も。
日本はがむしゃらに走ってきて、
今は大不況と言われますが、それでもまだ、
走り続けているような気がします。
直近30年くらいの自分の人生を思い返すと、
その流れに自分の生きてきた時間が重なります。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
からっ風野郎 1960日 増村保造
弱いくせに粋がって、社会を斜に見て、
負けるのがわかってリングに上がっているボクサーのように、
生きている主人公=三島由紀夫、
なにか自分と重なります。
サルのおもちゃを主人公に見立てますが、
それも自分と重なります。
弱いけど懸命に生きて、悪だけど根っからではないから、
分不相応な妻に見初められるのも、
自分と重なります。
素直になった直後に死が訪れました。
死に際のことを考えさせられました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
或る殺人 1959米 オットー・プレミンジャー
人が人を裁くことには、矛盾があるのですから、
立場によりその結果は変わります。
今までもこれからも、裁判は人が裁くのですから変わりません。
この映画も、裁くことについて描かれていますが、
ただあまりにも不可解なことが多いストーリー進行でした。
その代わりと言ってはですが、
法廷闘争=検事と弁護人の二人の力が入ったシーンは、
とても良く、これ自体が後半のほとんどですから、
ストーリーは別にしても、引き込まれます。
疑惑を両者の言い分で推測し、有罪か無罪を決めるわけですから、
当事者以外は、(当事者を含む時もある)ことの真意はわからずに、
決めなければなりません。
その点では、不可解なまま裁判が進むのは、
映画的ではなく現実的だったとも言えます。
ただ、そこを狙ったようには思えませんでしたが。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】