合間に
苗切りして定植の繰り返しですが、
合間をみて苗場の草取りもします。
有機農業の苗場なので、
どうしても手取り除草になります。
また他にも合間をみて、
休耕畑の土作りに準備です。
【芋日記】
苗切りして定植の繰り返しですが、
合間をみて苗場の草取りもします。
有機農業の苗場なので、
どうしても手取り除草になります。
また他にも合間をみて、
休耕畑の土作りに準備です。
【芋日記】
畑に水が含まれて、朝気温が上がると、
畑全体から一気に水蒸気が上がります。
ほしいも用のサツマイモの定植の好条件になっている証です。
今が一番の植え時です。
【芋日記】
働き者の黒沢進さんは、
雨でもメロン畑に通います。
メロンは日々手入れが欠かせない、
手がかかる果物です。
そして、日々の農作業で品質が決まります。
進さんのメロンが美味しい理由はもちろん、
手塩にかけるからです。
【芋日記】
冬の間、忠八さんの種芋を預かるのですが、
今年春に種芋を蔵からだすと、
傷んでいたのが多く、苗が不足してしまうのを、
心配していました。
有機農園ように多めに種芋をとっておいたので、
それで不足分を補ってもらったのですが、
気になっていました。
様子を見に行くと、なんとか足りるとのこと、
ほっとしました。
【芋日記】
一之輔師匠の全国ツアーの独演会です。
師匠の落語は初体験でした。
前座さんの『たらちね』
師匠の『初天神』『夏泥』仲入りで『青菜』でお開きでした。
結構毒がある枕、落語中もそれは同じです。
3演目共に35分くらいでまとめるのも師匠のスタイルでしょう。
最も旬の落語家の前評判どおり3演目とも上手く、楽しめました。
『初天神』はきん坊の悪ガキぶりはかなりのもの、
師匠の地じゃないかと思えてくる程、成りきっていました。
『夏泥』も強弱の按配が絶妙で、
身振りも初天神の動と打って変わって静で演じます。
『青菜』この噺も好きな噺です。
とにかくありえそうな植木屋のバカぶりが見所ですが、
そこへの盛り上げ方が良かったです。
真打昇進から一年、まだ35歳と年も若く、
ますます贔屓客ができるでしょう。
【いもたつLife】
美形の主人公は、フリーの女スパイ、フリーで稼げるほどのやり手です。
だから、美形ですが近寄りがたい存在です。
従来の強い女スパイ像とは雰囲気が違うヒロイン像です。
映画冒頭のアクションで彼女の強さを観客は認識しますが、
ここでは、負けそうになったことと、
逃走相手の男とのやりとりで、弱さというか、
従来のヒロイン像です。
それが、次から次への修羅場をくぐり抜けると、
スーパーウーマンになっていきます。
でもその成長は徐々にです。
やられそうで、ピンチを凌ぐ、
そのピンチが次は一段階上がる、
ダメそうだけど切り抜けるという王道です。
そして、スーパーウーマンへ。
骨太なアクションが売りの、このヒロインが見どころの映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
あるきっかけで母親を想って、母親孝行する主人公、
その訳は、主人公の劣等感と純粋な気持ちでした。
主人公はコソ泥、でも憎めないキャラクターで、
根も優しいし、真面目、正義感もあるのかあろうとしようとしているのかです。
その主人公と生年月日が同じ人物がいて、彼は主人公にとってのヒーローです。
ここが物語のキーです。
劣等感を持っていない人はいません。
そして誰もが親を慕っています。
でもその気持ちはちょっと隠れたところにあるものです。
主人公はそれをある出来事から目の当たりにすることになりました。
その瞬間から、自分は母親(物語の設定で父親は亡くなっている)
に何ができるかと、自分の存在は母にとってふさわしいかを考えることになります。
この物語はハッピーエンドです。
観客は良かったと、主人公も彼に纏わる人たちも、
次に進む道を見つけました。
でも主人公は、これから母に対してどういう息子でいれば良いかはわからないままです。
一時的に吹っ切れただけと心配しています。
しかし、新しいスタートができたことも事実です。
“そこは大事”です。
人生の中で区切りをつけることがやってくることは幸せなことです。
それを想わせる映画です。
余談ですが、
コンパクトにまとまっていて、無駄ない、テンポが良い映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
人類の破滅に向かう6日間を、父娘の生活で語ります。
そこには、人が死ぬまで生きる日常と、
絶望であっても日常を営むしかないのが人という生き物そのものを示し、
その生きる様の崇高さを朴訥に現しています。
映画は終始、モノクロの太陽が陰っている画、
世界の終わりをイメージさせる強風の、音と風景です。
唯一終わりが訪れた時のみ静淑になりますが、
その時は太陽は陰りではなく、現れません。
父娘の6日間は絶望(絶命)に進む道です。
しかも父娘は抗う術を講じ得なく、時が刻まれます。
途中、二人以外の人物が登場しますが、
それは破滅を告げる者と破滅を後押しする者の象徴です。
でも父娘は自分の日常において、自己の責任で生きることを主張します。
世界が破滅しなくても、死に行くことが宿命なのが人ですから、
日常を生きるのが生の全うです。
でもこの物語は、人が必死に生きるために確保したものを、
父娘から次々を奪っていきます。
それでも父娘は日常を続けようとします。
そこには絶望の中の生き様の崇高さを語っています。
そして、同じように日々を過ごす中で、
日々はいつもほんの少しずつ変わっていくこと、
それは老いであり、別れであり、失うことであり、できなくなっていくことです。
それを積極的に受け入れることが生きる義務ということを語っている映画です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
初老の男、妻子と孫までいる男が、財布を拾います。
そしてあったこともない、財布の持ち主に恋します。
男は失業者で、社会からあてにされていない存在です。
そして、妻も何故か醒めています。
ちょっと情緒不安定な男で、
財布の持ち主の女は、挙動不審な男を最初は受け入れられません。
けれどいつしか女は男が気になって。
という展開です。
女は小型飛行機乗りで、
男は飛行機に憧れていました。
この接点が映画のポイントになっています。
恋する男と、恋された女、男の妻、男の女友達の
不思議な関係の描写で、それぞれの心の底にあるものを醸し出している
そんな物語です。
成熟した社会で、役割を全うできなかった男と
役割を全うしている女達のギクシャクした関係を幻想的に現した映画です。
男と女の恋に共感はしませんが、
不満ではない今の生活に不安があるという現代の現実、
そこに惹かれる物語でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】