2013年07月
有機圃場で種を取りたいです
有機農業の根本の考え方のひとつが、循環農業です。
畑(田んぼ)内で全てを完結させるのが理想です。
全てというのは、種であっても苗であっても肥料であっても
外部から入れない、畑で収穫したもので完結させることです。
幸い、サツマイモは自家採取した種芋でやれるので、
種(苗)に関しては自家調達ですが、
地力を上げるために定期的に休耕した畑に輪作で蒔く緑肥作物の種は、
外部のものでした。
今回、種取りを目的に、自社の有機畑でライ麦を育てました。
上手く種が取れれば、自家採取で輪作作物が栽培できます。
【芋日記】
足跡を使って
10日程前に、畝(うね)間を除草した時に残した足跡を、
上手く利用してヒバリが巣を作ってありました。
卵は3個です。
カラスには見つからなければ良いですが。
【芋日記】
ほめられました
隣の畑で昨秋から麦を育てて、
畝(うね)を立ててすぐに麦ここにも麦を蒔き、
同時に隣の畑の麦藁を敷き詰めていた畑です。
隣の麦藁で苗を植える前後で抑草して、
ここに蒔いた麦が伸びたので、倒して麦藁にして抑草しています。
最初の麦藁は、土に返りはじめていて、
新たな麦藁で抑草という良い循環です。
親しい農家の昭さんに「これは良いサツマができそうだ」
と誉められました。
【芋日記】
中耕
サツマイモの苗を植えて、つる、葉が伸びるまでの間に、
『中耕』という農作業をします。
畝(うね)間を耕すのですが、目的は、
除草と、土がやわらかくなるので通気性、透水性(排水性)が高まります。
最近は干し芋産地でもスコールのような局地的な極端に強い雨がある時があり、
透水、排水性はより重要になっています。
【芋日記】
土を覆う
天然であれ、そうでないものであれ、
土の表面を覆うことを『マルチ』といいます。
土を覆う目的は様々で、
土が乾かない、他の土が入らない、土の成分を逃がさない、抑草等です。
この畑では、
サツマイモの畝(うね)は黒いビニールでマルチ、
畝の間には稲藁と麦藁を敷いてマルチでなおかつ、
えん麦を植えておいて育った時点で倒してマルチにします。
稲藁や麦藁は天然資材、
黒マルチは合成資材、
えん麦は栽培した植物です。
栽培品目、畑の環境、栽培方法でマルチが必要かを考えて、
作物がより良い状態になるように資材は使い分けます。
追伸
7/5に、7月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。今月のお宝ほしいもは、“有機EM農法玉乙女平ほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
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今月のお宝ほしいも
【芋日記】
「ゆっくり動く」と人生が変わる 小林弘幸 著
現代人の誰もが少なからず、“急げ”が身についていますが、
私はそれが極端です。
数年前からいくらか気にかけていたことですが、
この本を読んで、“急げはろくな事がない”のが間違いないことを確認です。
『やっぱり』を感じるのと同時に、
『わかっているけどやめられない』を痛感です。
“急げ”は生きる上、特に仕事を進めるにおいての力ですから、
真っ向から否定するわけではありませんが、
自分で“急げ”をコントロールできないのが問題です。
『いつも急げ』になり勝ちです。
この本を読んでいる時こそ、
落ち着いた呼吸をしますが、その時に、
いかに浅い呼吸で過ごしているかに愕然と気づきます。
どうすれば良いものやら。
この本を目に見えるところに置くことからはじめましょうか。
追伸
7/5は「小暑」でした。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
二十四節気「小暑」の直接ページはこちら
小暑
【いもたつLife】
【SPAC演劇 「母よ、父なる国に生きる母よ」 ヤン・クラタ 演出】
世界一強固な絆で結ばれている、愛し愛されているとされる母娘関係に疑惑を入れて、逆転となる憎悪と支配の関係を成立させて、人の世界の始まりから現在に至るまで続いてきた争いの源を覗く。それが私にとっての「母よ、父なる国に生きる母よ」での体験でした。
太古の昔からという日本語訳と太鼓とアカペラで始まるこの演劇冒頭で私は、映画「2001年宇宙の旅」で類人猿とモノリスが遭遇したシーンを思い起こしました。
時空を超えたシーンで、母娘を引き合いに出して繰り返し同じテーマを語っていることからも哲学的な「2001年宇宙の旅」が重なります。
元々、母が子を宿り産み落とすのは神聖なことです。そしてその絆はけっして切れるものではないし、母が娘を思わない時は片時もありません。
けれどそこに何の疑いもしないで道徳論だけで「そんなのは当たり前」としないのが、「母よ、父なる国に生きる母よ」です。
強固な愛の反作用があるのではないか?
母も所詮娘を支配しているのではないか?
そんな疑問を感じる演出です。そして、愛していることと憎悪の表裏が母娘の間に互いに存在することを確認します。それは、母と息子ではそこまで強くはならない憎悪のような気がします。もちろん、父と娘、父と息子でも同様です。母と娘だから、母にとって娘は自分より後にまた子を産む存在だからという、女同士の負けられない本能があるからのような気がします。
それはおいて置いて、演劇はこの絶対的に思える絆の母と娘さえも憎悪の関係になることを、人が刻んできた歴史の様々なシーンで再現、証明します。
ナチスドイツによるポーランド占領とユダヤ人の殲滅を表すシーンでは、その根本原因のヒトラーが、彼の幼少の頃の父、母との憎悪の反復でないかを示唆します。
現在はかなり解決に至っている黒人差別や先住民への迫害問題の場面でも、個々人による違いの大きさがありました。それも元になるのは、家庭での生育の影響が大きいはずです。
また、エイリアンの登場も子孫を残すことへの言及です。エイリアンと人は子孫を残すということで相容れることができないことから争いになりました。エイリアンは人が憎いから恨みがあるから人類を滅ぼそうとしたのではありません。子孫を残すことの過程で人類と争うことになりました。子孫を残すことができる女性としての定めには、母と娘は仲が良いという優等生な関係は、平時だけなんだということを見せ付けられます。
そして、家父長制度についても強く触れます。私はこれについては、男も女も上手くいっている時だけ機能するもので、本来どちらも(特に女性が)納得しているわけではないと考えています。お互いの都合が良いだけで、お互いの支配の按配でバランスをとっているだけです。
以上の4つのシーンの根底にはどれも、愛すべき母と娘の関係の裏返しの、母が娘を支配する構図、お互いが憎悪を持っているということがあるのではないでしょうか。
この事実を認識することはとても辛いことです。でも突き詰めると人の争いの解決に繋がることでもあるということに気がつきます。この演劇が言いたい最終地点はそこなのだと解釈しました。
太古の昔から始まったこの演劇は、強い歌声とリズム、衣装も無機質な色合いで、時折ユーモラスな演出をはさみますが、全体的には演者から主張を感じました。それが最後は華やかな衣装とハーモニーの歌です。そこには望みはかなうことが織り込まれています。
母と娘という神聖な関係の中に支配や憎悪があり、それが世界中の争いの源だとしたら、解決するのはたやすいはずです。母と娘が喧嘩するのは、ほんの些細なことからと相場は決まっています。そしていつの間にか仲直りします。
ただし厖大な時間の中で世界中のいたる所で何度も、いろいろな形で起きてきた争いがたやすくなくなることは、現実にはあり得ないことかもしれません。けれど、解決できる関係であることを信じるのはとても有益だと思うのです。
本来あらゆる人間関係の中で最も強く清いのが母娘関係なのだから。
【いもたつLife】
WHYから始めよ! サイモン・シネック著 栗木さつき訳
企業に大切なのは『理念』であることは誰も知っていることですが、
著者は、“わかってないですよ”と諭します。
人には帰属したい願望があります。
お客さんも、従業員も。
また、日常で何のために生きているかの理由を、
“感じていたい”のだから、それに即した経営は必須です。
企業行動は、
『why』『how』『what』で語られるのが本来なのに、
逆になっていて、それが企業価値(利益)を損ねていることを訴えます。
わかっているけどできてない。ことを訥々と繰り返し語ってくれます。
それはその大事さを軽んじているから、
違うことでの解決を経営者が図ろうとするから、
平易な言葉と、多くの事例で読者の体にしみ込ませるのがこの本です。
【芋日記】
麦間栽培は抑草に入ります
抑草にする麦が伸びきってきました。
そろそろ倒す時期です。
一度倒して、8月終わりにもう一度倒す予定です。
それでどこまで抑草できるかですが、
今年は春から稲藁で抑草しているので、かなり効果が期待できます。
【芋日記】
のぶやんも草取り
タツマは有機栽培ですから、
草取りを少しでも進めたい日々です。
慣行栽培の農家は除草剤という頭があるので、
そんなにあせって畑で草取りはしませんが、
のぶやんは別です。
暇があれば畑にでます。(慣行栽培ですが)
働き者なので性分なのでしょう。
【芋日記】