芝生が綺麗な訳
たかおさんの庭の芝生はいつも綺麗です。
それは春から秋にかけて奥さんが始終草取りをしているからです。
【芋日記】
一番早く芽を出した「ほし黄金」がもうすぐ切れそうなまでに育ってきました。
畑はまだ地温が上がらないので、
農園前の休耕の畑が風が当たらないので、
そこに仮植えしておきます。
追伸
『菊姫頒布会2014』募集開始しました。
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菊姫頒布会2014
【芋日記】
農園前にはビニールハウスが4棟あります。
毎年春は2棟が育苗ハウスです。
その育苗ハウスの空いたところと、
今年は他の2棟は休耕するので、
その一部で自家製野菜を栽培することにしました。
もちろん有機栽培です。
【芋日記】
死生観は歳により変わります。
子供の頃「死」を考えるだけで震えるほど怖い感覚に襲われたことを覚えています。
では今は?
この演劇は体験型という今までに経験したことがない演劇でした。
短い時間ですが、生から死までを疑似体験かなと私は感じました。
だから今現在、自分が持っている死生観を自分でみる体験でした。
「死」は怖いことは今も変わりません。
でも昔ほどではなく、歳を重ねて仕方のないものという感覚になってきていて、
そして、「死」は“嫌”という意識があることをこの演劇で感じました。
“嫌”というのは怖いや存在がなくなるからくる嫌ではなく、
大切な人との繋がりが切れてしまうことからくる感覚です。
「よく死ぬために」の課題はそれを踏まえて生きることだと、
あの空間で思索していたことでした。
追伸
5/5は「立夏」でした。二十四節気更新しました。
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立夏
【いもたつLife】
映画は精神科医と14歳の少年の対話から始まります。
その後の母親との会話でもわかるのですが、主人公の少年ロレンツォは学校(社会)になじめない性格のようです。
そのロレンツォが学校のスキースクールに参加することを決めたことを受けた母親がとても喜びます。
そしてこの物語はここから始まります。
ロレンツォは1週間のスキースクールには参加しないで、自宅のマンションの地下室で孤独を満喫する計画を立てていました。
食料を買い込み、パソコンもお気に入りの音楽も本も、1週間分そろえてロレンツォのスキースクールがはじまりました。
一人を楽しんでいると、地下室に異母姉のオリヴィアがやってきます。彼女は自分の荷物をとりに偶然ここにやってきました。オリヴィアはロレンツォの母親と(父親をとられたことが消化できていないので)折り合いが悪く、数年ぶりの再会でした。
用事を済ませたオリヴィアは一旦は地下室から出て行きますが、行き場がないことから、舞い戻ってきます。秘密を漏らされたくないロレンツォは仕方なくオリヴィアを迎え入れ、ちょっと可笑しな1週間になります。
一人を楽しみたいロレンツォはオリヴィアに振り回されます。
オリヴィアは写真家としての才能があり、将来を期待されていたようですが、今は麻薬中毒に犯されていました。良い縁談がまとまりそうなので、薬を断とうとしていた時に地下室に転がり込んできたので、それに付き合わされるロレンツォはたまりません。
禁断症状で苦しむオリヴィアを介抱します。
二人は姉弟ですが、今も含めて育てられた環境が違います。母親も違いますし、ロレンツォは箱入り息子ですが、(説明はありませんが)オリヴィアはそんな環境ではなかったようです。年齢も10歳くらい違うようで、父親も二人に対しての接し方はかなり違っていたようです。
姉妹であっても別々に暮らしている、あまり合うことない、でも他人ではないという、二人の関係は距離があるけれど、分かり合える部分も多いという感じです。
その奇妙な1週間の生活で二人が少しだけ変わっていきます。
孤独でいたいロレンツォは、孤独が好きなのと同時に外部をシャットアウトすることも目的でしたが、外部とシャットアウトをしないで孤独でいることを選べるようになっていくのです。
それはオリヴィアも孤独であることを感じ取ったからで、彼女はロレンツォよりも一見社交的に見えますが、心に抱えるものは自分と同じ、いやそれ以上に一人で生きていると思ったのです。
いよいよ最後の晩、二人は約束をします。
オリヴィアはロレンツォに“薬を断つこと”を、
ロレンツォはオリヴィアに“引き篭もらないこと”を。
でも多分二人はこの約束を守らないでしょう。(その暗示はありました)
二人にとってとても大事なことですが、極端に言えば約束の内容は何でもよかったのです。
この体験を心に刻んでおくために必要だったことです。
そして、地上に上がるための儀式としても必要でした。
二人は二度と会わないかもしれません。
でもお互いが抱える孤独の意味を理解し合えた他人(姉弟)がいることを手に入れました。
人生の中ではほんの短い一瞬のような時間で、人生が決まったり、変わったりすることがありますが、二人にとってこの1週間はまさにそのひと時でした。(綺麗な映像で説明なく進むベルナルド・ベルトルッチ監督らしい映画でした。だからこの感想もほとんど私の解釈です)
この物語には動物が登場します。
檻(水槽)の中をウロウロするアルマジロ、同じく水槽の中でじっとしているカメレオン、そしてロレンツォが地下室まで持って来た蟻の巣、そして蟻は地下室から地上にいきます。
ウロウロして(外部とシャットダウンしている)地下から抜け出せないロレンツォや、色が変わる、変化するかどうかのロレンツォとオリヴィアを指しているのでしょう。
小道具の使い方も、そして注目されている音楽の使い方も粋な映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
イタリア国内を二分したというエルアーナ・エングラーロの尊厳死問題を下敷きにして、
それに通じる三つの話が並行して進みます。
尊厳死に直面したそれぞれの立場、考えの人達の内面を見せることで、尊厳死そのものと、身近な人達との真のかかわりとは、を考えさせる骨太な映画です。
1、 エルアーナの尊厳死を認めない法案を通す党に即するベッファルディ議員は、過去に妻を尊厳死させた体験があります。敬虔なクリスチャンの娘マリアは、もちろん尊厳死反対でそれを許せません。また党の方針に従えないベッファルディ自身も自分の身の振り方に悩んでいます。
2、 薬物中毒で見も心もボロボロな女ロッサは自殺常習犯です。その日もひったくりや盗みで食いつないでいたのですが、ふとしたことからかかわり合いになったパッリド医師の前で手首を切ります。パッリドは咄嗟にロッサを助け治療します。命は取り留めたものの、ロッサはパッリドの前で死のうとすることを繰り返します。
3、 大女優のヴィナマドレには植物状態の娘ローザがいます。女優の仕事を控えてローザに献身の日々です。奇跡を信じて神への祈りも欠かせません。それを横目で見ている俳優志望のローザの兄は、母の輝く姿が封印されているのはローザがいるからだと、母を自由にしてやりたい気持ちが日々高まっています。
三つの話が織り込まれていますが、では尊厳死を認めるか認めないかということへの言及はありません。もちろんこの問題は答えを出すことができないからですが。それよりも尊厳死の問題に直面した人達が自分の気持ちにどう向き合うからを見ることで、身近な人にいかに自分が関わっているかを強く感じました。
なにもできない植物状態でも、その人が与えるものは大きなものがあります。
1、 では妻の命を絶つ夫ですが、こんな切ない選択は愛していなければできません。そして父の真意を汲み取ることができたマリアは父の愛を感じることができます。
2、 では、“死ぬ自由”を主張する女に対して、“救う自由”を医者が高らかに宣言します。そしてそれが人間愛なのだと。そんな男(医者)が向き合ったことで女が変化します。人のために生きることに気づきます。
3、 では息子は勝手に母が妹に縛られていると思っています。だから母を解き放つために妹の生命維持装置を停めようとまでします。娘に尽くすことが自分が生きることとしているのが母です。それに対して全く、微塵も乱れないように見えますが、息子の懸念も母の内面にはあります。娘を愛する気持ちと自分を大事にする気持ちは相反することではないけれど、人(母)は永久に聖女でいることはできません。
三つの話の中には正解やこれでよかったとかダメだったとかはありません。
人の気持ちに複雑さが描かれるだけです。
そして時間は無常に経っていくことも情け容赦なく人は死に向かっていることも匂わせます。
今自分が生きていることで、周りに対してどんな影響を及ぼしているのか、
それと同時に、大事な人達から何を貰っているのか、
鑑賞後に考えてしまう映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ボスニア・ヘルツェゴビナの現実を映します。
ドキュメンタリータッチです。それもそのはず実話ベースでしかも主演の夫婦は当事者ということですから。
妻のセナダが流産し、手術しないと命に関わる状態になりました。夫のナジフは病院に連れていきますが、保険証がないために手術代は高額で払えません。
その日はなくなく手術をあきらめ、翌日から夫婦は公的機関を頼りますがそれもダメ、仕方なくセナダの妹の保険証を使い手術をし、なんとか助かります。
この顛末とその前後に、彼らの実生活がリアルに映し出されます。
ナジフは生計を立てるためにクルマを解体し、その鉄を業者に持ち込みます。わずかな金にしかなりませんが、他には職がないようです。ラストには、手術代と薬代のために、自分のクルマまで買いたいします。
季節は冬で、常に雪が深々とした情景です。薪が切れると木を切り出しにいきます。
また、電気を止められるシーンもあります。
非情で優しくない国であってもこれが常識であれば、その中で生きていくしかありません。
決してナジフが生活力がないわけではありません。
経済的に豊かになるチャンスがあまりにも少ないのです。
言葉が過ぎるかもしれませんが、日本にいて貧しいと嘆くとは訳が違います。
仲睦まじい夫婦で、お互いに愛し合っていて、二人とも二人の娘を愛していることが、
ドキュメンタリーのような映像で十二分に伝わってきます。
そして夫婦は一見不条理な今回と、現在の境遇に嘆くのではなく、それらを受け入れて、幸せな家庭を築こうとしています。
この後も困難は変わりません。自分のクルマまで解体したのだから、より厳しくなったはずです。
でも大丈夫な気がします。
二人は大変なことを当たり前としているからです。
恵まれすぎている日本人には到底受け入れられないこの前提を当たり前としています。
(日本を憂いてしまいます)
もうひとつ印象的だったことは、
ナジフの仕事仲間も、二人の近所の人も、そして親や妹も、二人に優しいことです。
別に経済的な援助をするわけではありません。でも手を差し伸べます。
皆が大変だから起こることで、これも当たり前なのかもしれませんが、やっぱり今の日本と比べてしまいますがそれは無意味ですね。
あまりにも環境が違いますから。
でも、夫婦の愛の注ぎ方や触れ合う人びとの姿が心に響いた映画でした。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
ここ数年、干し芋産地にも多くの新しい品種が試されています。
その中で「紅はるか」が定着しました。
今年は、シルクスイートを見かけます。
有機農園でもテストで少し作付けしてみようかと考えています。
【芋日記】
麦を風除けの障壁として使う農家もいます。
メロン栽培では付き物ですが、
サツマイモ栽培でも何軒かの農家がやっています。
海に近い畑は寒流の上を通ってくる風で、
かなり体感温度が低いので、
サツマイモも同様に寒いでしょうから効果は見込めます。
追伸
5/2に、5月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。
今月のお宝ほしいもは、“紅はるか四切切り芋”です。
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干し芋のタツマ
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今月のお宝ほしいも
【芋日記】
昨秋に今年度休耕を決めた畑には、麦を蒔いておきました。
伸ばすだけ伸ばすことで根が張り、土壌改良になり、
梳き込むことで緑肥になります。
【芋日記】