2014年08月
まごころ 1939日 成瀬巳喜男
二度目の鑑賞です。
一度目の鑑賞では、二つの家族を通しての深くて優しい人間模様の映画、
そして、プロパガンダ色がありながらそれをも逆手に取って、主題を語っている映画と感じました。それは今回も同じなのですが、二人の子供を通しての親三人の成長物語だということがテーマだと強く思いました。
金持ちの夫婦の敬吉と敬吉夫人の娘が信子、貧乏な未亡人の蔦子の娘が富子、この5人の物語です。
かつて敬吉と蔦子は愛し合っていましたが、敬吉が金持ちの婿養子に行くために蔦子が身を引きます。敬吉夫人は気立てが良い蔦子に嫉妬しています。身を引いた蔦子の夫はとんでもない飲んだくれでしたが、蔦子は健気に尽くし、独り身になっても内職で実の母親と富子を立派に育て上げていました。
が、ある日、敬吉と蔦子の過去のことを知った子供二人は、複雑な気持ちになります。
そんな時に、信子がケガをしてそれが原因で、敬吉は蔦子とばったりと出会ってしまいます。
当然なにも起きませんが、合ったことを知った敬吉夫人は嫉妬から敬吉を責めます。
けれど誤解は解けて。という流れです。
小学6年生、大人に一歩踏み入れた女の子二人が、子供心に親を想う気持ちと、深い友情で結ばれていること、様々な体験から大人になっていく姿が汲み取れます。
それだけで、十分に心を癒される映画で、また、時代から周りの人びとのために(お国のためにも含まれます)という優しさも窺えるし、亡き父親が飲んだくれだったことに傷心する富子とそれを負い目に、そして不憫に思い、蔦子が富子を愛する姿、それを汲んで富子が自立しようとする姿にも、感動します。
それを踏まえて、親たち3人が成長して、結果敬吉はなんのわだかまりもなく出征するのですが、出征はともかく、3人共過去にケリをつけたことが印象的でした。
敬吉夫人は一番わかり易く、嫉妬していた自分を恥じて改心します。物語の流れからすんなりです。
敬吉は、蔦子とはもちろん何かがあるわけでもないですし、蔦子と結婚しなかったことに後悔しているわけではありませんが、婦人に対して、もうこの女はこのまま(自分にとっても娘にとっても良い女にはならない)というあきらめていた自分を、もちろん愛していないわけではないけれど、距離をおいていた関係性を改めます。
そして二度目の鑑賞で蔦子の成長に一番注目しました。
蔦子は、文句なしの女性です。
働き者で、ダメ夫にも尽くしていたし、敬吉の婿に行きたい気持ちを察して身を引くという自分を犠牲にしても他人のためと考え、しかも、それを心の底から願いとしてできる女性です。富子はクラスで一番の優等生なのですが、それこそ、蔦子の姿を観て育ったからに他なりません。
そんな蔦子ですが、富子に真実を、父親が飲んだくれだったことを話していませんでした。もちろん富子を傷つけたくないからですが、いつかは伝えなければということ、もちろん敬吉と愛し合っていた仲だったことも含めて、富子に話すことを「いつか」として躊躇していたのです。今回ちょっとしたきっかけで話さなければならなくなったのですが、やはり話したくないことでした。
敬吉との関係は潔癖で、誰に何を言われることはないのですが、富子に話せない自分を負い目としていたのです。
その自分にケリを付けたのです。
富子の台詞に「おかあさんもさよならしなくちゃね(敬吉と)」があります。
この言葉はこの物語は蔦子の成長物語でもあったことを語ります。
三人三様の成長を映した映画で、心が清くても、ちょっと貧しくても、前に進むことは気高く価値があることを示していたことを感じました。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
逃走迷路 1942米 アルフレッド・ヒッチコック
本当に映画造りが上手いです。
あっという間ですし、造り手の戦時中の時代観もしっかりと盛り込まれています。
軍用飛行機工場でサボタージュが起こり、
主人公が犯人扱いになり、どうも世間も警察も信用してくれないから、
自らで潔癖と証明しつつ、新たなサボタージュを防ぐという話です。
圧倒的な劣勢の主人公ですが、
分別ある心優しき人に助けられたりしながら、もちろん二転三転と危機が起こり、
何とか乗り切り、ちょっとしたラブロマンスもあり、そしてユーモアありで、
サスペンスのお手本です。
ハイウェイのカンバンで主人公の心理を観客に想像させて、追い討ちをかけるところは流石ですし、
手紙や手錠の小道具や、クルマに馬にフェリーに、廃墟の町や高層ビル、そして自由の女神を使った演出で次から次へと楽しませてくれます。
彼に味方するトラックドライバーや盲目の紳士、サーカス団は、アメリカの国民は自身で決める自由を持っていることを言わんとしていますし、サーカス団の決議はファシストへの警告です。
また、主人公と悪の親玉との、民主主義と全体主義の主張のシーンは、
当時の戦争の経緯を凝縮しているようでした。
また、その親玉はじめ悪人が裕福なのも風刺が効いています。
悪に手を染めるのは主義の違いでもあり、金をもうける手段であることを語ります。
また、ヒロインが最初主人公に協力をしないで、警察に突き出す気持ちも理解できます。
事の本質を見ないのが人であるのです。この主張は、悪の親玉も語っていますし、ダンスシーンにも現れています。
少しアメリカ寄りの造りは製作年で仕方ないでしょうし、話の展開が上手く行き過ぎも感じますが、とにかく娯楽作品として一級品に仕上がっていることは間違いありません。
人物も含めて細かい設定がきちっとしていて、一瞬でストレスなくこちらに伝わります。とても丁寧に練られているのでしょう。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
薄く蒔いた畑
休耕している畑の輪作方法は、畑ごとに異なります。
また、休ませる期間も、1年から長いと3年になります。
この畑には、緑肥作物のクロタラリアを薄く蒔きました。
薄蒔きにした理由は、草も生やさせたかったからです。
雑草も生やせながら、
クロタラリアで、緑肥と土壌改善を狙っています。
【芋日記】
紫芋だけ花を付けています
ほしいもに加工はしないけれど、種芋の継承のためだけで育てているサツマイモは、
15種類になります。
その中で一番花が付きやすいのが紫芋です。
他の品種のサツマイモも花を付けることがありますが、
今年は早くから、紫芋だけが今のところ花を咲かせています。
追伸
8/7は「立秋」でした。二十四節気更新しました。
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二十四節気「立秋」の直接ページはこちら
立秋
【芋日記】
ひと夏、野菜を楽しみました
定番のナス、かぼちゃ、人参等から、
ちょと珍しい、ビーツ、コリンキー、ズッキーニ、コールラビ等々
ひと夏、農園前の休耕の畑の夏野菜にお世話になりましたが、
そろそろ終わりになってきました。
追伸
『ほしいもセット予約』募集開始しました。
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【芋日記】
ますます差が出ています
紅はるかは立派なつると葉です。
それに比べていずみは貧弱です。
ここにきてますます差が出てきました。
【芋日記】
常陸太田の稲
干し芋産地の近くの米どころと言えば、常陸太田です。
今年は平年よりも穂が出が早いようです。
早稲はもちろん、コシヒカリも出揃っていました。
干し芋産地では穂が出始めです。
ただし、畑の中にある陸稲(おかぼ)は穂はとっくに出ています。
【米探訪記】
そろそろ葉が喰われてきました
例年、8月のお盆明けから、
芋虫の被害が顕著になりますが、
今年もその傾向が現れてきました。
干し芋産地の天敵は、ハスモンヨトウという芋虫です。
【芋日記】
雹の被害のようです
確認した訳ではありませんが、
夜中に激しく降った時に雹が混じっていたようです。
あちこちの干し芋用のサツマイモの葉に穴が空いていました。
【芋日記】
私の男2013日 熊切和嘉
題名通りの映画です。
主人公は腐野花。
奥尻島の震災で9歳の時に孤児になりましたが、親戚の腐野淳悟の養女になります。
高校生に成長した花は、淳悟を養父以上の存在としています。
父として慕うを通り越して、淳悟に男のすべてを求めるのです。
花が求めるすべてとは、淳悟自身のすべてと共に、花自身のすべてを淳悟に捧げ、それを淳悟に受け入れさせることでもあります。
淳悟は受け入れ、また淳悟も花に女のすべてを観ています。
もし無人島で二人だけで生きているとすれば、何も問題は起きなかったのですが、
残念なことに無人島ではないから、
親子でありながら、常軌を逸する二人の関係が気づかれると事件が起きます。
震災の時から花のことに親身になっている好々爺の大塩の目には、
淳悟の異常さが花を禁断の隘路に貶めているように見えるのです。
だから二人を引き裂く算段をするのですが、
花にとってはその行為は悪魔です。身を守る手段として大塩を殺害してしまいます。
そこからは二人の逃避行で、東京へ。
けれど安住はできず刑事が追ってきます。すると今度は淳悟が刑事を。
という展開です。
この物語はサスペンスではありませんから、二人が犯した社会的な罪への言及はありません。物語を構成する要素としては重要ですが。
花が震災から成長し、二人が二人の世界を完成させるまでの北海道での前半と、
逃避行後、花が大人の女に成長し、花は立場上だけ淳悟と別れ、結婚するまでの後半で、
時間の経過で二人はどうなっていくかということが綴られます。
花が淳悟を、淳悟が花を求めることが永遠には続かないのではないかと、
結局は長い人生でのひと時の戯れになるのではないかと、
私は時間経過で二人が変わるのではないかということがとても興味深く、この映画はそれに応えてくれました。
私の予想は見事にはずれました。
二人が二人を求める心は永遠だったのです。
振り返れば当然でした。
お互いはお互いのすべてなのだからです。
花にとって淳悟は、恋人で夫で、父で、そして息子です。淳悟も同じく花は恋人で妻で、母で娘です。
切れるわけがないのです。
花は、奥尻島での震災での心的外傷が、
淳悟は、子供の頃の家族環境があまり好ましくなかったことが、この根深い関係の原因ということを映画は仄めかしますが、それらは二人が寄り添うことになる引き金でしかない、原因のひとつでしかない、位です。少なくと私は映画からはそう解釈しました。
だからもっと大きな力が二人に働いていたはずです。
それは何かまではピン来るものはないのですが、
花が淳悟に、淳悟が花に、すべてを求める心の動きは特別なものではないということが、私の心の中にも潜むことも否定できなくて、また、ひっかかります。
映画では淳悟は最後は甲斐性なしのダメ親父に成り下がっています。
けれど、花を愛する結婚の相手を含め、登場する二人の若者(将来性も経済力もある)にまったく負けていないのです。
花にとって必要な男としてです。
社会的に優位に見える価値観を否定しているかのようなラストです。
人と人との関係性は何よりも勝ると言いたいような描写です。
花と淳悟は互いに永遠の存在です。
ただ社会的には二人の関係は認める訳にはいかないというだけなのです。
二人はそれを取り除いてしまって二人の世界を築いていたのです。
そしてそれは何事にも換えることができないものだったのです。
追伸
8/1に、8月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。
今月のお宝ほしいもは、“紅はるか薄切り干し芋”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
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