境界線の玉葱
この農家では、ほしいも加工前の麦蒔きの時に、
畑の境界線になにかしらの野菜を育てます。
今年は玉葱を植えていました。
【芋日記】
安曇野農家から常念岳の麓まで行くと、
見事に雪化粧していました。
ほしいも産地よりも寒いのは一昨年の訪問でわかっていたので、
干し場の設定と、原料芋の保管についてアドバイスし、
斉藤農園さんが2年掛けて改善した結果、
高品質の干し芋が作れるようになっていました。
【芋日記】
3年前から交流している安曇野の斉藤農園を訪問しました。
干し芋作りをしたいということで、知り合い、
原料芋の栽培から干し芋加工まで、
僭越ですが指導しています。
3年目は、ほし黄金を中心に干し芋作りを進めています。
安曇野の土地と合うようで、昨年、一昨年よりも
かなり品質が良い干し芋に仕上がっていました。
【芋日記】
めっきり生産量が減ってしまった玉乙女です。
力男さんの干し場ですが、玉乙女はとても綺麗、華やかです。
そして、品質も今年はとても良さそうです。
【芋日記】
ここ数年、ほしいも主力品種の玉豊の品質が、
畑や植えた時期で、結構バラついていたのですが、
今年の玉豊は、総じて高品質です。
黒沢進さんの玉豊も糖化も早く、既に十分な甘みですし、
これからますます良くなりそうです。
追伸
12/7は「大雪」です。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
二十四節気「大雪」の直接ページはこちら
大雪
【芋日記】
ほしいも作りでは、一年ぶりに動かす機械も多いので、
シーズン前に試運転するのですが、乾燥機はやっていませんでした。
今回試しを兼ねて使用したところ、温度が設定まで上がりません。
改めて、試運転は大事だと反省です。
追伸
12/5に、12月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。
今月のお宝ほしいもは、“銀河の星人参芋平ほしいも”です。
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干し芋のタツマ
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今月のお宝ほしいも
【芋日記】
兼六人参芋と紅はるかから今シーズン蒸しはじめました。
人参芋は、通常の平ほしいも
紅はるかは、四切り芋、角切り芋、薄切り芋の3種類を作っています。
どちらも早くから甘みが乗っていて、他の品種も期待大です。
【芋日記】
ほしいも産地の土は落花生とも相性が良くて、
美味しい落花生ができます。
ほしいも産地でも高品質の地区の長砂や馬渡(まわたり)では、
落花生も美味しくて、お茶請けに出されると止まらなくなります。
【芋日記】
犬も歩けばで、
干し芋農家回りが始まると、色々なモノをいただきます。
今シーズンの第一弾です。
もちろん早速お昼ごはんにしました。
【芋日記】
夢かなわず、ドン・キホーテは病に伏せ、終幕になるこの演劇を観て、
世の中は人一人が生きる時間では、その人が望む形には変わらないのだとも、
でも確実に変化は起きているとも思いました。
そしてこの演劇では、そもそも現実とは何か?と問いかけてきます。
風車を怪物と決めつけ突進するドン・キホーテ、彼は世のため人のために真剣に行動します。ただ、的外れな独りよがりです。それを諌める回りは良い迷惑です。
ではドン・キホーテだけが独りよがりなのか?とは言えないと、映りました。
実は、現実を見ているドン・キホーテの従者のサンチョも、キホーテを心から心配する姪のアントニアも、アントニアに頼まれてキホーテを連れ戻そうとする司祭と床屋も、意識してはいないでしょうけれど、その行動は、自分自身のやりたいこと(都合)でしかありません。
キホーテの目には想い姫として映るアルドンサなどは、その最たるもので、彼女はキホーテから讃えられる存在ですが、悪しき生き方を一向に変えようとはしません。
頑固で独りよがりはキホーテだけではないのです。
そして誰もが望む生き方や、望む環境があり、それとの違いで悩んだり苦しんだりします。
でも世の中はなかなか変わることはないのが現実です。
(だから巷では自分が変わればと言います)
何年も前の自分の写真を見ると、今ととても違うという体験は誰もあるはずです。
日々目に見えない変化でもそれが重なると大きく変わっていて、振り返ると時代が流れていることを確認できます。
だから変化しているけれど、問題はそれが、自分や社会が望む形なのかということです。
世の中そんなに上手くはいきません。
ドン・キホーテが玉砕していく姿が重なります。
また、この演劇では最後に操り人形のお芝居がど真ん中で映りました。(舞台上の真ん中ではなく、空間上の真ん中)
なにか、キホーテをはじめ、皆が、結局は大いなる力で操られていることを表現しているようです。
それを思うと、現実を見りことができないキホーテも、現実を捉えている他の人物も、
本当の現実なんて見ていないし、捉えてはいない、どちらも五十歩百歩といわんばかりです。
人が生きる辛さを感じるシーンでした。
でも人間はキホーテのように、風車に向っていく存在なのです。
だからやっぱり人間賛歌であることをこの演劇は訴えているのだと私は受け止めました。
【いもたつLife】