思惑よりも早い
黒いビニールで畝(うね)を被い(マルチ)、
草を抑えていて、芋の葉が伸びてきたので、ビニールを剥がしました。
剥がせば草は出ますが、出る前に芋の葉が伸びて畝を覆う思惑でしたが、
草の方が早く出てきました。
なかなか思い通りにはいきません。
【芋日記】
黒いビニールで畝(うね)を被い(マルチ)、
草を抑えていて、芋の葉が伸びてきたので、ビニールを剥がしました。
剥がせば草は出ますが、出る前に芋の葉が伸びて畝を覆う思惑でしたが、
草の方が早く出てきました。
なかなか思い通りにはいきません。
【芋日記】
畝(うね)の間の麦で抑草していたのですが、
枯れてきたために草が伸びてきたので、草と一緒に麦も刈りました。
この麦間栽培の畑は、畝の間が広いので、芋の葉が畝を覆うまでまだまだなので、
何回か草刈りすることになります。
【芋日記】
若くして亡くなった世界的な女優マリア(エヴァ・ガードナー)の葬儀で、彼女の親友であり、パートナーの映画監督ハリー(ハンフリー・ボガード)の回想で始まります。
その3年の回想でマリアが大女優に、伯爵夫人にまで登りつめ、でも彼女の貧しい生い立ちも語られます。
彼女が手にしたものは何だったのか?
とても脚本が良い、ジョセフ・L・マンキウィッツは流石です。
回想はハリーだけでなく、複数の登場人物です。
多面的な視点で、マリアの人となりが語られるのですが、それは複数の男からみたマリア
であり、マリアの本心は彼らも観客も想像するしかありません。
このあたりがとても上手いです。
マリアは伯爵と結婚することで幸せを掴むはずだったのが、結局悲劇に巻き込まれるのですが、もちろん悲劇で終わることは解っていて、ではどんな秘密があるのか、それはマリア自身がどんな人物だったか、なぜ死ななければならなかったのか、ずっと観客をひっぱります。面白かったです。
ハンフリー・ボガードはマリアに慕われ、でも恋には落ちないという、そして、かつては名監督で落ちぶれているところからスタートし、マリアと共に再生していきマリアの父親代理の役どころです。はまり役で、やっぱり渋い良い演技と存在感があります。
それを超えてしまうほど、エヴァ・ガードナーの美しさも見どころです。
追伸
7/7は「小暑」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「小暑」の直接ページはこちら
小暑
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
今年の緑肥作物はネマクリーンを試しています。
休耕畑にも使っていますが、この畑では麦の障壁が枯れてきたので、
その代わりに蒔きました。
発芽してきました。
【芋日記】
手前が「いずみ」です。順調です。
その奥の緑だけで葉が尖っているのが「ほし黄金」で、
だいたいいずみと同じ位の育ちです。
一番奥が「紅はるか」で、いずみやほし黄金よりも
茎が太く葉も大きく、一回り盛り上がっています。
【芋日記】
花緑師匠は、師匠の五代目小さんの頃から静岡市のお寺と馴染みがあることから、
静岡での独演会は一年に一度以上あります。
私も何度も足を運んでいます。もちろん芸達者だからです。
今回は二つ目の吉緑さんの「真田小僧の序」で幕開きでした。
花緑師匠は、8月1日からの新橋演舞場でのミュージカル「狸御殿」に向けての準備があり、そして舞台が8月27日まであることから、この日を境に9月8日まで高座は無しということで、“噺尽くす”という高座でした。
「鮑のし」「天狗裁き」の後中入り、後半は「野ざらし」「親子酒」と四席という贅沢な落語会でした。
何と言っても「親子酒」の酔っ払いようが、もう酔っ払いそのものです。
師匠は下戸とのことですが、下戸だから観察して身につけた芸でしょうか。
今回も話芸、顔芸でしっかり楽しませてくれました。
【いもたつLife】
自分の本性に怖れる男は、違う自分を目指したのだけれども、それが脆くも崩れさってしまった。
第二次大戦の渦中に普通に生きたいと願った男の生き様を通して、人が抱く普通とはを語っています。
マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は精神を病んでいる父と情夫を持つ退廃的な母の血を受け継いでいることと、少年の頃にファシストのリノ(ピエール・クレマンティ)という男に性的な虐待を受けそれから逃れるためにリノを殺害したトラウマを持っています。それが自分は普通ではないという怖れになり奥深く根付いています。
それから逃れるために普通を目指すのですが、その道はファシストとして生きることです。
およそ知的に釣り合わない美しい妻ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)との新婚旅行を装い、ファシストとしての使命を遂行するマルチェロ、その使命はかつての恩師カドリ(エンツォ・タラシオ)の暗殺の準備でした。
カドリには妖艶な妻アンナ(ドミニク・サンダ)がいます。マルチェロを疑いながらも二人は惹かれあいます。
そして遂に暗殺へと、そこにはカドリ一人に段取りをしたはずだったのに、アンナもいます。当然のごとく二人は暗殺されます。
物語はそれから5年後の1943年7月25日、ムッソリーニ退陣の日に飛びます。
マルチェロが盲目のファシスト仲間と街を彷徨っている時、なんとリノに出会います。彼を殺害した記憶は、マルチェロが、虐待から逃れるため、リノを憎むあまりの作った記憶だったのです。
普通を望んでファシストとして生きたこと自体が否定されます。それ以上にもうマルチェロは自分は正常なのか異常なのかが解らないのです。さらに自分が生きた証ももう虚であることに絶望します。
自分は正常か異常か、自分は主体的なのか、人はそれに対して確固たるものを持ちえない存在だとした映画です。
ヒロイン二人の別タイプの美しさも堪能できる作品です。妖艶で退廃的で高貴なドミニク・サンダ(当時19歳にはとてもみえません)、綺麗な目鼻立ちで美しいのにコケティッシュなステファニア・サンドレッリ(新婚の彼女と数年後の彼女の雰囲気が別ものなのも良い演技でした)、二人のダンスジーンは出色です。
【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】
物理的に抑草するために、何かを被うことをマルチと言います。
黒いビニールで畝(うね)を被って抑草していました。
葉が伸びてきたので、そろそろ黒いビニール(マルチ)を剥がします。
【芋日記】