実の管理も始まります
進さんがメロンの実の下に皿を敷いていました。
風通しを良くして、この上で満遍なく日に当てて、
メロンを育てます。
【芋日記】
自社農園では毎年、黒マルチ(ビニール)を畝(うね)にかけていますが、
今年は他の農家さんも黒マルチを使っているところが多いです。
自社農園では抑草のために使っていますが、一般の農家は除草剤を使うので、
抑草よりも初期育成のためだと思われます。
どうも紅はるかは初期育成が大切という噂が流れていて、
黒マルチを使うのが今年の流行りになっています。
【芋日記】
この時期は畝(うね)立て機をトラクターにつけておきたいのですが、
どうしても鋤き込まなければならない畑があるので、
ロータリーに付け替えて畑を回る日もあります。
【芋日記】
せかい演劇祭ではもう定番という「マハーバーラタ」で、やっぱり楽しい、素晴らしい劇です。
3年ぶりの観劇、3年前も駿府城公園で、ここでは大きな環、360度が舞台です。
物語はナラ王とダヤマンティー王女の冒険で、国をしっかりと治めていたナラ王が悪魔に取り憑かれてしまい、全てを失い、でももう一度元の偉大な王に返り咲くということですが、ナラ王とダヤマンティーの何が起きてもお互いを信じ合う、どんな状況になってももう一度二人は結ばれることを諦めない、愛と勇気の物語でもあります。
いつも通り、宮城演出が冴えます。
ムーバーとスピーカーに別れ、打楽器に乗ってムーバーは舞、スピーカーは緩急をつけて時に力強い主張を、時にユーモアを、また話のナレーションをします。
どれもspacお得意の職人技です。
ナラ王は聖人君主で、ダヤマンティーは神々も妻に娶りたいほどの気品ある姫です。
そんな二人が奈落の底の落ち、そこから立ち上がる、そんな二人だから必ず大丈夫として観る劇で、大団円に確実に向かうそれが見所です。
演劇祭の華でそして、ありきたりな言い方になりますが、愛と希望と勇気を与えてくれる、そしてspacらしさが詰め込まれているのがマハーバーラタです。
【いもたつLife】
演劇というのは役者と演出家だけでは成り立たないことを、この演劇では招聘するに当たってどうプロディースするか、どうすれば日本でこのパフォーマンスを伝えきることができるか、プロディーサーとスタッフという裏方さんのご苦労が成功を産んています。
選ばれた舞台はかなり古い、昭和30年代にもてはやされた、当時はモダンなレストランで、今は空き家です。
その雰囲気は、その古さになんとも言えない寂れた観があり、メキシコの豊かではない住人が住んでいる一室が重なります。
でもそこはきっとわいわいがやがやで、それを伝えるために入場前に観客にメキシコのラム酒が振舞われます。
狭苦しい待合室で飲むラム酒、場末に来てしまったと感じた後に会場へ。そこはもっと狭苦しい、暑苦しい空間で、観客を詰め込むだけ詰め込んで、二人の女優が演じる舞台は、観客の手が届く近さで、八畳ほどのこれまた狭くて暗い中で、突然始まります。
一人は言い方は悪いですがかなりのデブ。もう一人は対象的なやせっぽちの女性。
奥様と女中で、大声の早口で二人はその立場で言いたい放題、それがひとしきり続くと、実は二人は女優で、役の練習をしていたことが解ります。
終わると今度は、二人はお互いを褒め合います。
でも和気合い合いはすぐに終わり、今度は本気で罵り合いの喧嘩になります。
その激しさは、最初もかなりでしたが、それを超えるもので、よくもこんなに大きな声が、よくもこんなに相手を貶めることができるものだという激しさです。
そんなことは長くは続きません。あまりにもエネルギーが要りますから。
疲れた二人は大人しくなるのと同時に、お互いをまたもや労わり合います。そして添い寝となり終了です。
子供の頃、兄弟喧嘩をよくしたのですが、それが重なります。
すぐに喧嘩、でもそれはひとしきりで、疲れて、仲良くなっても、またいつの間にか喧嘩、その繰り返しだったことが想い出されました。
子供のその頃はその頃で真剣に生きていた結果、それがこの二人、大人になっても純粋で真剣に生きているのかもしれません。
場末の貧しい中で生き抜く力強さと自分の中にある子供の頃の懐かしさが洗い出されて触れた、そして心がなんとなく温まった劇でした。
【いもたつLife】
小島章司の白熱のフラメンコ、その後準備を整えて、ダニエル・プロイエットが振袖姿になり、しなやかな日本舞踊を披露してくれます。
日本人の小島章司がスペインのお家芸を、アルゼンチン出身のダニエル・プロイエットが歌舞伎舞踊を、しかもどちらも超一流の舞です。
そしてその両方を観劇できる私などは、所謂大衆で、日本は豊かになったということをとても感じます。
演劇や伝統芸能、または音楽ライブに、そして映画や絵画などの芸術に、今の日本では安価に様々に触れることができます。
また情報社会と言われて久しいですが、世界のあらゆる出来事と深い浅いは置いておいて、繋がることができます。
戦後の高度成長前までは、庶民が、こんなに芸術と身近にあることはなかったでしょうから、贅沢なことです。
そしてこの劇ですが、小島章司の子供の頃からを、母との別れを追います。最後の舞踊は彼の母の舞でした。そして彼はその前に、母を想ってのフラメンコを踊りました。
小島章司のこれまでの集大成なのでしょう。
【いもたつLife】