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ブログ 今日のいもたつ

マリア・ブラウンの結婚 1979西独 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

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戦後の西ドイツの復興と合わせて、一人の女(一組の夫婦)の半生です。
日本の復興と心情的に重なると個人的には感じるので、
よその国の出来事ではないと、登場人物に感情移入します。

主人公はマリア・ブラウン、わずか半日と一晩の結婚生活だけで、
夫は戦地に行きます。
終戦を迎え戦死したはずの夫が生還しますが、
マリアはその時には米軍兵士の愛人になり、子供まで身籠っていました。
思わず米軍兵士を殺害したマリアですが、夫が罪をかぶり投獄生活に。
その間マリアは経済的に成功し、夫を迎え入れますが、
夫は妻に厄介になることを避けてカナダに。
数年後、夫も経済的に成功しよりを戻しますが、悲劇が訪れます。

マリアは年月とともにしたたかになっていきます。
その様子と西ドイツの経済が豊かになっていく様が織り込まれます。
マリアはアメリカ人にもフランス人にも体は許しますが、
心はドイツ人の夫に捧げています。これも西ドイツの姿を描いています。

マリアが貧困から抜け出す姿が主に語られいるのですが、
彼女の母や親友とその夫が問題を起こしては、
彼女を苦悩させます。
これも戦後の西ドイツ自体の苦悩です。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、
祖国のあの苦しい10年間(1945年から1954年)を憂いて、
愛してこの映画を撮っています。
もう一度鑑賞してもっと深くドイツの歴史とその場を汲み取りたくなった作品でした。

ラストシーンは、西ドイツがワールドカップ初優勝のラジオ中継が、
マリアと夫の運命を示唆しながらリンクします。
栄光を手にした瞬間、国民が狂喜乱舞した瞬間に、
マリアの悲劇を重ねます。
監督はとっては真に西ドイツが喜べる瞬間ではなかったのです。

非常に濃いメッセージがある名シーンです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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有機安納芋ほしいもが仕上がってきました

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有機安納芋ほしいもは、年末までには欲しいと待っているお客様がいるので、
一番最初に蒸かしました。
もう間もなく仕上がります。
ここから商品化ですので、年末までには間に合います。

【芋日記】

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武士の献立 2013日 朝原雄三

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正の循環の物語です。

恵まれた環境、そして、自分を鍛える心がけを身につけた者、
それが主人公の夫です。

主人公は、12歳で天涯孤独になりました。
でも彼女には世の中を渡れるべく、
亡き母から授かった超一流の料理の腕がありました。
彼女(主人公)は、その才能と努力で得た料理の腕を
利己ではなく利他に活かすことが身についていました。
母代わりの愛も受けていたからです。
主人公は12歳までの実母の愛と、
12歳からの母代わりの愛を受けていて、
それを開花させる機会を得ました。
この映画は、その部分を見せる映画です。

主人公の夫は、藩に奉公を信条とする由緒正しい武家の次男坊です。
家は包丁侍といわれる、一見武士の本道からは外れる家系です。
夫はそこに引っかかりを持っていました。
(これにまつわる自己評価の決めつけがあり、それがこの物語を進展させます)

『滅私』が武士に必要不可欠の時代、
若き夫はそれに従うことを良しとしません。
大体が武士は戦う者という幻想を背負っています。
若気の至りであってもそれを続けることは、
妻(主人公)にとっても、家(両親)にとっても、
『人でなし』となる行為です
でもそれには気がつかない、
だから妻が身を捨てて夫に抗します。

その姿は、不幸から転換できた彼女の信条がそのまま現れた姿です。

時は和平と成った江戸時代です。
でも常に水面下では争いはあります。
これも世の常です。

だから若き夫は、
環境に踊らされてしまいます。
派手なモノに本質を見出せなくなっってしまうのです。
家の生業の包丁侍の価値を見出せないのです。

それに目覚めさせたのが主人公です。

不幸に落ちかけた彼女は、
幸運にも出会った母代わりに救われました。
でも彼女にはそれを受け入れる資質もあったのです。
その恩返しのように彼女は夫に尽くしました。
わがままな塊の夫も、ついに妻の想いにしたたか参るかのように、
彼女の無垢の気持ちを受け入れる覚悟を持ちます。

そういう物語でした。

世知辛い世の中でも正の循環は機能する。
それを声高に示していました。

ちょっと違う視点の一言、
江戸を再現したセットもロケも良かったです。
物語の背景であり、物語の影の主役の料理もリアリティあり、
そして、主人公はじめ登場人物(特に女性)の衣装も
とても良かったです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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黒沢進さん

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高齢にも関わらず頑張っている干し芋農家の一人の、
黒沢進さんです。
年々も作付けは減っていますが、
原料芋がある間は元気に加工作業を続けるとのこと。
メロンも毎年作ってもらっていますが、
こっちも来春作付けするかは検討中とのこと。
メロンも、干し芋もできるだけ長く作り続けて欲しいです。

【芋日記】

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クレイジー・ライク・アメリカ イーサン・ウオッターズ著 安部宏美訳

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ちょっとした体の変調に、
「いつのまにか病名を付けられ」「直らない薬を飲み続ける」
こんな馬鹿なことがまかり通っています。

アメリカが決めた基準で精神疾患者とされて、
アメリカが世界各地で正義の押し売りをしていることを事細かく4章に渡って解説されています。
1、 香港の拒食症
2、 スリランカの津波被害者のPTSD
3、 ザンジバルの統合失調症
4、 日本のうつ病
これらは皆、アメリカ発の余計なお節介で生まれた本来なら病気ではない、
または、アメリカが決め付ける病気ではないものばかりです。
もちろん余計なお節介を焼くのには訳があります。

日本の例はそれが一番わかりやすいでしょう。
急速に増えたうつ病患者はすべて自発でこれほどまでの患者数になっていることはないことは、自明です。

もちろんストレス社会であるからこそ精神疾患者が増えているのですが、
それを良いことに病気と、それを直すための直らない薬の輸出をしています。

形を変えた侵略に思えて仕方ありません。

【いもたつLife】

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糖化しています

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有機安納芋も糖化して甘くなっています。
その分やわらかいし、スライスした後も一枚一枚はがし辛いです。
丁寧に慎重に干し芋作りをしています。

【芋日記】

日時: |

たかおさんのいずみ

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たかおさんのいずみ干し芋も、
仕上がる前から美味しいことが解ります。

本当に毎年惚れ惚れするいずみ干し芋を作ります。

【芋日記】

日時: |

信義さんの薪ふかし

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今年も頑張って薪ふかしで干し芋作りをしている、
信義さんの釜です。
他の2軒のぎんさんも伸男さんも、
元気で薪ふかしで干し芋作りしています。

【芋日記】

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ピロスマニ 1969グルジア ゲオルギー・シェンゲラーヤ

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生前認められることなく貧しい生活のまま亡くなった画家の半生です。

ピロスマニの時々の精神的や経済的な苦悩とともに、彼の絵画が写されます。
観客は彼がどんな心境で数々の絵を仕上げていったのかを探ることになります。

絵を描くこと以外は不器用な主人公は、絵が認められなければ、困窮するしかありません。
認められない中で描く絵は、
自分を信じるから描き続けられるのか、食い扶持の方法が絵だったのかは解りません。
確かなのは真剣だったことで、紛れもないことです。

映画は一切の説明は排除しています。
台詞やシーンも彼の人となりを知らせるのにとどめます。
救われるべき英雄だったとすることもなく、
ことさら悲劇的に撮ることも控えていて、
報われなくても絵を描くしかないピロスマニの日常を伝えます。
多分、推測できる現実を再現したかったからでしょう。

それは一人の芸術家の儚い一生です。
でも賭けるものがある男の生きる美しさが伝わります。
一芸に取り憑かれた者の濃厚な人生の満足も感じます。

人は今生きている生き方しかできない、それは天才も秀才も凡人も同じかもしれません。

追伸
12/7は「大雪」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「大雪」の直接ページはこちら
大雪

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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偽りなき者 2012丁 トマス・ヴィンターベア

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人は感情で結論を出しておいて、理屈を付けてもっともらしくします。
最初から答えを準備しているのだから議論の余地なんてありません。
それが意識的ではないことがほとんどだから、話は厄介です。
そして、一度魔女狩りが起こると、それに加担することで正義の味方気分を味わいます。
この映画を含めて『完全な冤罪』の映画を観ると、
被害者になってしまう可能性はいつでもあり、その不安と、社会の脆弱さを感じ、
この映画では、実際に駆られてしまう恐怖に追い詰められてしまう錯覚まで起こります。

デンマークの田舎町、街の人々は皆が協力して生きています。
主人公のルーカスも幼稚園に勤めながら、街の同年代の男達とは家族ぐるみの付き合いを何十年も続けています。
仲間と一緒に飲み、遊び、仲間の子供達の父親・兄貴代わりとして、街に尽くす男、必要な男で、その中で生きがいも感じていました。
もしあの事件が起きなければ、離婚はしているものの、不幸な人生なんて他人事だったでしょう。

その事件とは、幼稚園の幼女クララ(ルーカスの親友テオの娘)の些細な嘘ではじまりました。
「ルーカスのおちんちんが立っていた」
ルーカスが大好きなクララの、ルーカスの気を引きたいがために出た言葉でした。この直前にクララの兄(中学生か高校生)からIpadの卑猥な映像を見せられて、「立っている」という言葉を植えつけられていただけでした。悪いシチュエーションは重なります。園長先生がそれを聞きつけたのです。

園長はこの時点で保身からか、ルーカスを変質者(犯罪者)に決め付けます。それを裏付けるために、教育委員のような男に相談します。男は園長と同じです。最初から決めています。だから、クララを誘導尋問にします。
(人は自分が安全地帯にいることができれば、日常でないことが起こって欲しいと望んでいる悪魔の顔があるのでしょう)

もちろん、犯罪を未然に防ぐことは大事です。可能性は極力排除する努力は必要ですが、自分の行為により何が起きていくのかを何も考えなさすぎです。
本当に、感性がないというか、安易なことをするのが人です。
実際に園長と男の安直な行為は、ルーカスの人生と家族を滅茶苦茶にし、クララの心に深い傷を負わせ、幼児を持つ家族に不安を与え、街中の人々に魔女狩りさせる怒りを植え付けました。

ひどい仕打ちが続き、ルーカスはぼろぼろになりますが、それでも心を折ることなく、街で暮らします。
街の人達(特にテオ)はその姿に、嘘をついているのはクララではないかと思い始めます。
そこから物語りは好転します。
そして1年の空白がありラストのシークエンスです。

その1年後は、ルーカスの息子の猟解禁日です。(成人式みたいな感じ)
ルーカスの疑惑も晴れて和やかに式典が進みます。そして明朝ルーカスは息子と初の狩りに出かけます。他の友人達も参加すています。

その狩りをしている最中に突然、
至近距離から“ルーカスが撃たれます”未遂ですみましたが。
(この前振りがあります。ルーカスの飼い犬が殺されるシークエンスがあります)
これで映画は終わりです。
一度魔女のレッテルを貼られた男は、その十字架を一生背負うのです。

この物語には悪人はでてきません。(強いて上げれば園長と男です。彼らは権力を持っていることに無自覚で、それは大罪です)
気が良い街の住民は魔女がいると魔女に対して鬼になるのです。
戦慄の映画でした。

(魔女にされてもルーカスを信じ、支援する者達もいました。冷静な判断ができる人達でした。これも現実です)

追伸
12/6に、12月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。
今月のお宝ほしいもは、“有機安納芋のほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
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今月のお宝ほしいも

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