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ブログ 今日のいもたつ

女のみずうみ 1966日 吉田喜重

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中流の上流家庭の奥様が、
「上等な女房は空気みたいな存在だ」 普段は気にもならないが、無くては生きていけない。
と夫に言い放たれている位ですから、夫婦関係は想像できます。
若い男と不倫関係です。

不倫の彼が撮った彼女のヌード写真のネガが、 ある男に奪われます。
その男からストーカー行為をされてしまう奥様、
不倫の男とは、ストーカーの男とは、夫とは、どうなるか。というお話です。

物語とは裏腹で、映像で魅せる映画です。
岡田茉莉子を幻想的に美しく、 愛の隘路に堕ちた女という状況を観念的に、モノクロトーンで映します。
 ですから、台詞での説明はごくわずか、 吉田喜重監督らしい作品です。

岡田茉莉子を3人の男は別々の観点から愛します。
夫は、美しい彼女を人形としてと、道具として愛します。 彼女特有の個を愛すのではありません。
不倫の男も、美しさに惹かれ、夫から奪うことに駆られて、
そして本人にも婚約者がいることで彼女を愛すのです。
それに比べてストーカーの男は少し違います。
最初は他の男達同じです。 「写真の貴方を愛していた」と告白しています。
けれど、彼女が他の男二人からの愛され方に不満と不安を持っていることに、 男は愛おしく感じるのです。
彼女は、自分のカラダとネガを引き換えようとしますが、 それはネガを取り戻したいのと、違う愛され方への期待です。
男は、そこが愛おしいのです。

女はその欲望を満たすことができました。
すると、罪悪感が襲ってきて、男との関係をご破算にしょうとします。
人は、他の人から貴方はこういう人だというふうに、造られる部分があります。
また、自分自身が他の人からこう見えたいとして造る部分があります。

時にそれらは、こう生きたいを封印しているのかもしれません。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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祇園の姉妹 1936日 溝口健二

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二度目の鑑賞です。
山田五十鈴演じる“おもちゃ”がとにかく粋です。

物語は、正反対の性格の芸妓の姉妹が、
それぞれの信念で穏やかな生活を求めますが適わない、
溝口監督らしい薄幸の女二人の物語です。

姉は昔かたぎで義理人情に厚い、でも現実と事実をみる力がありません。
妹は芸妓が身を尽くしても報われないことに怒りがあります。
湧き出る力は“男を見返してやる”から出ています。
したたかで嘘も平気、なぜなら、男も芸妓を慰み者にしているからです。
確かに男も芸妓もタヌキの化かし合いです。
それについていける金持ち、おもちゃの欲に応える旦那は良い目をみて、
ついていけない番頭(財力がないもの)は、おもちゃにいい様にやりこまれます。

おもちゃはラスト、番頭に仕返しされるのですが、自業自得です。
おもちゃと旦那衆は対等です。 欲と金との交換です。
だから、おもちゃはルール違反はしていません、 唯一、番頭だけは騙したことになります。
本人は気づいていませんが、 だからしっぺ返しを受けました。

姉の梅吉は、一見聖女です。
こんな女に愛されたらどんなに幸せかと、 彼女を求めたくなります。
けれど、一人では生きていけない人です。 そして男にとって安牌なのです。
だから、どんなに尽くしても男の都合で捨てられます。

この映画は、女性哀歌であり、女性賛歌です。
妹は、まだまだ戦うことを宣言します。
姉は、きっとまた、誰かを愛し尽くすでしょう、それが彼女の生き方だから。
それを肯定しています。

この映画を再見して、 溝口作品の中でも機微の部分でとても擽られる映画だと感じました。
梅吉が男に尽くしシーンがあります。
お土産に丹前まで無一文の男に差し出します、無償で。 (それが彼女の良さであり、男をダメにします)
おもちゃは番頭も、旦那と、姉のための旦那も、手玉にとります。
当時19歳の山田五十鈴のその仕草は、酸いも甘いも知り尽くした女のようであり、
まだ19歳の女らしさもみせていて、とても魅力的です。
男がやられるのも当然だと納得しながら、
男を敵視する女の強さと、それを知りながら騙される男の嫌らしさも表現されます。

『浪華悲歌』も含めて、山田五十鈴の潜在を引き出した作品でもあると強く感じました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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手が回らない畑

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同じように管理していても、 草が早い畑とそうでもない畑があります。
また、畑によって草の種類も違う場合があります。
草が早い畑は手が回らなくなってしまいます。
ここはそれに加えてつる・葉の育ちが遅いので特に苦戦しています。

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【芋日記】

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広い畑なので2分割で使っています

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昨年は畑奥を作付けしたので、
今年は手前を作っています。
奥は土壌改良のために、緑肥作物のソルゴを蒔きました。
6月に(6月にしては)寒い日がなく、 梅雨明けは早かったのですが、
それ以降真夏の陽気で、 雨も時折あるということで、
ここまで順調に推移しています。

【芋日記】

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夏本番 虫が活発です。

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農家の庭先ではツバメの雛が大きくなっていました。
有機の畑で時々見られるヒバリの巣も、もうどこも巣立っています。
雑草も花を咲かせていたり、早いものでは種をつけています。
立秋を境に、サツマイモの天敵のイモムシも増えてくるでしょう。
けれどそれまでに、畑に多種類の生物が生息していれば、
イモムシばかりになることはありません。
ただし、草や動物達に押されてサツマイモが育っていないことには収穫は見込めませんが、
今年はどの畑もまずますの生育です。

追伸 7/23は「大暑」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「大暑」の直接ページはこちら
大暑

【芋日記】

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銀河農法栽培の人参芋と安納芋

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土壌改善の銀河星を使った農法の2年目の畑です。
昨年度は初年度ということもあり、 様子見での栽培でした。
作付け時期が遅いこともあり、品質は良いのですが、
収穫量は少ないという結果でした。
今シーズンは、早めの定植で対応しましたが、
つる・葉の伸びは他の畑よりも遅めです。
銀河星は、土になじんで農産物に影響を与えるまでの時間がゆっくりなのかもしれません。

【芋日記】

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畑の多様化のために

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有機農業では畑の環境を自然に近づけることが大切です。 畑回りに緑肥作物を植えてそれを後押しします。 今までは、1種類の作物を畑回りに植えていたのですが、 今年は数種類を植えてみました。 イネ科のソルゴ、同じくイネ科のえん麦、マメ科のクロタラリアです。 サツマイモだけでは寄ってこない昆虫も寄ってくるようになります。

【芋日記】

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ここからは手取りのみです

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一番最初に苗を植えた畑で、つる・葉が順調に育っています。
ここまでは畝(うね)に上はマルチで覆って抑草していました。
畝間は機械である程度除草できましたが、
これからはどちらも手取り除草になります。

すべての草を取り尽くすことは不可能ですし、
それも自然に逆らう行為です。
サツマイモもある、草もある程度は生えている、
手取り除草しながら、そういう畑を目指します。

【芋日記】

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今年もメロンができました

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黒沢進さんのメロンが収穫されました。
集荷にいくとご馳走してくれました。

糖度は昨年の方が高いですが、それでも十分に甘く、
メロンの風味もぷんぷんします。

この暑さだから今年のさっぱり感のメロンも体に合っているし、
進さんの娘さんは今年の方が美味しいと言っていました。

【芋日記】

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西鶴一代女 1952 溝口健二

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情け容赦なく女が堕ちる様を描く壮絶な映画です。
性という制約の中で考えうる女の不幸を、
女がその状況下で遭遇する新たな試練を、
映像化しています。

封建社会下の公家の一員の娘が、
大名の妾として世継ぎを生みながら、
乞食のような娼婦にまで堕ちますが、
その前後とその最中の葛藤を田中絹代が見事に演じます。

純愛から結ばれようとした男とは、身分の違いから不義とされ、
男は打ち首、女の一家は公家から庶民へ。

運よく大名の妾になり世継ぎを生むも、
大名に尽くしたことが仇となり、保身の重役にお家から追い出されます。

商才もなく、甲斐性がない父親に郭に売られ、
もう一歩で身受けされそうになると、その男は詐欺師。

ねんが明けて商家に勤めるも、
遊女の過去がバレて弄ばれる羽目に。

その後、甲斐性も思いやりもある男が現れ、ようやく今までの苦労が報われて、
こんなに幸せになってもよいかの絶頂になりますが、
夫は物取りに殺されます。

乞食の娼婦になり絶望の中、
世継ぎのあの子が大名になり、お屋敷に招かれるも、
女の過去を赦さないお家は子供と引き離そうとします。
女はなんとか逃れ、巡礼者として生きることを決める。

ありとあらゆる不幸が襲いました。

女を不幸にするきっかけは、いつも男の我儘です。
封建社会だったことも割り引けません。
“表向きは女のため”の男もしかりです。
(唯一殺された夫を除いて)
愛した女であっても、血を分けた娘であっても、世継ぎを生んだ母であっても、
他人の痛みは感じませんから、自分の心の負い目が薄れるまで辛抱すれば、
“自分さえ良い方が良い”のが人間です。
綺麗ごとを言ってもそれが本性です。

人が人らしくいるためには安全地帯をいつも作って
そこにいるようにしなければすぐに堕ちます。

そしてこの映画は、
こういう現実があったことを淡々と語った物語です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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