月別記事

ブログ 今日のいもたつ

中耕

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サツマイモの苗を植えて、つる、葉が伸びるまでの間に、
『中耕』という農作業をします。
畝(うね)間を耕すのですが、目的は、
除草と、土がやわらかくなるので通気性、透水性(排水性)が高まります。

最近は干し芋産地でもスコールのような局地的な極端に強い雨がある時があり、
透水、排水性はより重要になっています。

【芋日記】

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土を覆う

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天然であれ、そうでないものであれ、
土の表面を覆うことを『マルチ』といいます。
土を覆う目的は様々で、
土が乾かない、他の土が入らない、土の成分を逃がさない、抑草等です。

この畑では、
サツマイモの畝(うね)は黒いビニールでマルチ、
畝の間には稲藁と麦藁を敷いてマルチでなおかつ、
えん麦を植えておいて育った時点で倒してマルチにします。

稲藁や麦藁は天然資材、
黒マルチは合成資材、
えん麦は栽培した植物です。

栽培品目、畑の環境、栽培方法でマルチが必要かを考えて、
作物がより良い状態になるように資材は使い分けます。

追伸
7/5に、7月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。今月のお宝ほしいもは、“有機EM農法玉乙女平ほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
毎月お届けの「今月のお宝ほしいも」の直接ページはこちら
今月のお宝ほしいも

【芋日記】

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「ゆっくり動く」と人生が変わる 小林弘幸 著

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現代人の誰もが少なからず、“急げ”が身についていますが、
私はそれが極端です。
数年前からいくらか気にかけていたことですが、
この本を読んで、“急げはろくな事がない”のが間違いないことを確認です。

『やっぱり』を感じるのと同時に、
『わかっているけどやめられない』を痛感です。

“急げ”は生きる上、特に仕事を進めるにおいての力ですから、
真っ向から否定するわけではありませんが、
自分で“急げ”をコントロールできないのが問題です。
『いつも急げ』になり勝ちです。

この本を読んでいる時こそ、
落ち着いた呼吸をしますが、その時に、
いかに浅い呼吸で過ごしているかに愕然と気づきます。
どうすれば良いものやら。

この本を目に見えるところに置くことからはじめましょうか。

追伸
7/5は「小暑」でした。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
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小暑

【いもたつLife】

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【SPAC演劇 「母よ、父なる国に生きる母よ」 ヤン・クラタ 演出】

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世界一強固な絆で結ばれている、愛し愛されているとされる母娘関係に疑惑を入れて、逆転となる憎悪と支配の関係を成立させて、人の世界の始まりから現在に至るまで続いてきた争いの源を覗く。それが私にとっての「母よ、父なる国に生きる母よ」での体験でした。

太古の昔からという日本語訳と太鼓とアカペラで始まるこの演劇冒頭で私は、映画「2001年宇宙の旅」で類人猿とモノリスが遭遇したシーンを思い起こしました。
時空を超えたシーンで、母娘を引き合いに出して繰り返し同じテーマを語っていることからも哲学的な「2001年宇宙の旅」が重なります。

元々、母が子を宿り産み落とすのは神聖なことです。そしてその絆はけっして切れるものではないし、母が娘を思わない時は片時もありません。
けれどそこに何の疑いもしないで道徳論だけで「そんなのは当たり前」としないのが、「母よ、父なる国に生きる母よ」です。

強固な愛の反作用があるのではないか?
母も所詮娘を支配しているのではないか?
そんな疑問を感じる演出です。そして、愛していることと憎悪の表裏が母娘の間に互いに存在することを確認します。それは、母と息子ではそこまで強くはならない憎悪のような気がします。もちろん、父と娘、父と息子でも同様です。母と娘だから、母にとって娘は自分より後にまた子を産む存在だからという、女同士の負けられない本能があるからのような気がします。
それはおいて置いて、演劇はこの絶対的に思える絆の母と娘さえも憎悪の関係になることを、人が刻んできた歴史の様々なシーンで再現、証明します。
ナチスドイツによるポーランド占領とユダヤ人の殲滅を表すシーンでは、その根本原因のヒトラーが、彼の幼少の頃の父、母との憎悪の反復でないかを示唆します。
現在はかなり解決に至っている黒人差別や先住民への迫害問題の場面でも、個々人による違いの大きさがありました。それも元になるのは、家庭での生育の影響が大きいはずです。
また、エイリアンの登場も子孫を残すことへの言及です。エイリアンと人は子孫を残すということで相容れることができないことから争いになりました。エイリアンは人が憎いから恨みがあるから人類を滅ぼそうとしたのではありません。子孫を残すことの過程で人類と争うことになりました。子孫を残すことができる女性としての定めには、母と娘は仲が良いという優等生な関係は、平時だけなんだということを見せ付けられます。
そして、家父長制度についても強く触れます。私はこれについては、男も女も上手くいっている時だけ機能するもので、本来どちらも(特に女性が)納得しているわけではないと考えています。お互いの都合が良いだけで、お互いの支配の按配でバランスをとっているだけです。

以上の4つのシーンの根底にはどれも、愛すべき母と娘の関係の裏返しの、母が娘を支配する構図、お互いが憎悪を持っているということがあるのではないでしょうか。
この事実を認識することはとても辛いことです。でも突き詰めると人の争いの解決に繋がることでもあるということに気がつきます。この演劇が言いたい最終地点はそこなのだと解釈しました。

太古の昔から始まったこの演劇は、強い歌声とリズム、衣装も無機質な色合いで、時折ユーモラスな演出をはさみますが、全体的には演者から主張を感じました。それが最後は華やかな衣装とハーモニーの歌です。そこには望みはかなうことが織り込まれています。

母と娘という神聖な関係の中に支配や憎悪があり、それが世界中の争いの源だとしたら、解決するのはたやすいはずです。母と娘が喧嘩するのは、ほんの些細なことからと相場は決まっています。そしていつの間にか仲直りします。

ただし厖大な時間の中で世界中のいたる所で何度も、いろいろな形で起きてきた争いがたやすくなくなることは、現実にはあり得ないことかもしれません。けれど、解決できる関係であることを信じるのはとても有益だと思うのです。

本来あらゆる人間関係の中で最も強く清いのが母娘関係なのだから。

【いもたつLife】

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WHYから始めよ! サイモン・シネック著 栗木さつき訳

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企業に大切なのは『理念』であることは誰も知っていることですが、
著者は、“わかってないですよ”と諭します。

人には帰属したい願望があります。
お客さんも、従業員も。
また、日常で何のために生きているかの理由を、
“感じていたい”のだから、それに即した経営は必須です。

企業行動は、
『why』『how』『what』で語られるのが本来なのに、
逆になっていて、それが企業価値(利益)を損ねていることを訴えます。

わかっているけどできてない。ことを訥々と繰り返し語ってくれます。
それはその大事さを軽んじているから、
違うことでの解決を経営者が図ろうとするから、
平易な言葉と、多くの事例で読者の体にしみ込ませるのがこの本です。

【芋日記】

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麦間栽培は抑草に入ります

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抑草にする麦が伸びきってきました。
そろそろ倒す時期です。
一度倒して、8月終わりにもう一度倒す予定です。
それでどこまで抑草できるかですが、
今年は春から稲藁で抑草しているので、かなり効果が期待できます。

【芋日記】

日時: |

のぶやんも草取り

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タツマは有機栽培ですから、
草取りを少しでも進めたい日々です。
慣行栽培の農家は除草剤という頭があるので、
そんなにあせって畑で草取りはしませんが、
のぶやんは別です。
暇があれば畑にでます。(慣行栽培ですが)
働き者なので性分なのでしょう。

【芋日記】

日時: |

銀河栽培

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今年も一部の畑で土壌改良剤『銀河星』をしようした栽培をしています。
『銀河星』は土中の光合成藻類を育てる土壌改良剤です。
今年は、安納芋と兼六人参芋で試しました。
美味しい干し芋ができることを期待しています。

【芋日記】

日時: |

巣立ちました

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毎度のことですが、
ヒバリの卵が孵るのも速いですが、
雛が巣立つのもあっという間です。

最短で成長することで、やられる確率が減るのでしょう。

【芋日記】

日時: |

夜の素顔 1958日 吉村公三郎

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戦時中、踊り子として戦地を慰問していた京マチ子が、
戦後の焼け跡の東京で、日本舞踊の師匠につき、
師匠とともに成り上がります。

彼女は師匠を前面に出し、度胸と努力と知恵でのし上がります。
それらが適わないと女そのものを武器に目的に邁進します。

師匠を利用できるところまでで、師匠とは決別、
パトロンを奪いしたたかに、新しい流派を設立、家元に納まります。
飛ぶ鳥を落とす成功に向かっていましたが、
戦時中の恋人が現れるところから危うくなります。
恋人のために、結婚するために、金持ちのパトロンと別れるところからです。

金儲けの才能がない恋人(夫)のダメプロデュースでカネが回らなくなり、
しかも、主人公と同種類の美貌の弟子(若尾文子)が登場、
京マチ子が築いたものを奪おうと虎視眈々です。
さあ、どうなるか・・・?

京マチ子は戦前、極貧の家で12歳の時から客をとらされるという境遇でした。
『(世間を)見返してやる』映画中に何度かでてくるこの言葉通りのこれが、
生きるすべてになっていました。
だからそのためなら“何でもあり”なのです。

師匠を利用することも、なんのためらいもなく色仕掛けをすることも、
パトロンと別れて才覚ない夫を迎えることでさえ『見返してやる』ための選択で、
それが達せられれば、カネに困ることが解っていても良いのです。
カネなんてその後に、
どんなことをしても(倫理がないので)造ってしまうというのが、
意識してない彼女の本心なのです。

しかし京マチ子には三つの間違いがありました。
ひとつは、若尾文子の存在です。
自分と同じ境遇で育った、“何のためらいもなく奪うことができる”
同類の女が現れたこと。
ふたつは、あまりにも今まで走りすぎたために、健康が損なわれていたこと。
三つ目は、『見返す』ことは『自己の破滅』をも優先していることです。健康を害するだけでなく、“見返せば”目的達成ですから、そこには日本舞踊の伝統も何も関係ありません。“見返して”“成功して幸せになる”のは彼女にとって意識している夢でしかないのです。本心は『最大に見返すにはどうすれば良いか』で生きていたのです。

最後は破滅、そして若尾文子が京マチ子を継ぎます。彼女は精神まで継ぐ後継者です。
だからこの物語はまだ続きます。新たに若尾文子が『世間を見返し』どこまで『破滅』するか。
それは実社会の出来事で確認しろということでしょうか。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: |